第46話 走り出しタヌキ

「信じるって決めてても、実際に見ると、すげえな、おい」

 田中三郎は、タブちゃんが目の前で描いたイワサブローの絵を穴が開くほど見つめた。俺は黙ってうんうんと頷いた。

「で、これはなんだ? タヌキ?」

「惜しいっ」

「ありゃ、犬だったか?」

「つぶれタヌキのイワサブロー」

「なんだよ、つぶれタヌキって」

 そこで俺は、かつてタブちゃんに教えられたように、イワサブローについて説明した。タブちゃんについては説明し尽くした気がしていたけれど、作品の方は咲ちゃん原作の動物たちの漫画にタヌキが一匹加えられてて云々程度だったから。

 だが、大体の話をし終えたところで「あっ!」と叫んでしまった。

「どうした?!」

「大変や! タブちゃん、前のタブレットは壊れてもうてやな、つまり」

『あー、また丸ごとまるっことうなったんかぁ。しゃーないわ』

「しゃーない言うても」

『慣れとぉから。言うたやろ、いっぺん描いたもんは忘れんから気にせんとって』

 なんでも無いことのように言うタブちゃんだったが、それが聞こえない田中は心配そうな顔をした。

「そうか。せっかく描き溜めた作品が消えちゃったんだよな」

「慣れてるって言ってるんだけど、本人は。何回も初期化されてるから」

「初期化ねえ。でもまあ、これからは咲ちゃんとは無関係なやつだけ描くんだから、過去のやつが強制的に消されたのだけは、却って良かったんじゃ無いか? 残ってたんだろ?」

「うーん、そうだよな。そうかもな」

 俺は、そのままタブレットに向かって何か描いているタブちゃんの横顔を眺めた。

「綺麗さっぱり再出発なのか」

『これ見てぇ』

 俺の独り言は耳に入らなかったようで、タブちゃんははしゃいだ声をあげる。

 指差したタブレットには、イワサブローの顔のアップが何種類か描かれていた。それぞれに言葉が添えられている。YES、NO、わからない、の3種類だ。

「おっ、これってスタンプみたいじゃん」

『そうそう、それやで。さすが田中三郎!』

「もしかして、これで俺と会話してくれるの?」

 ペンが〈YES〉を示した。

「こりゃいいや。最新型のエンジェルさんだね」

『エンジェルさん?』

「エンジェルさんって、こっくりさんみたいなやつ?」

「あー、そうとも言うんだっけ。でも、こっくりさんほど、やばくないやつとか聞いたんだが」

『はあ、要するに降霊術のマネっこやな』

 俺は、田中とタブちゃんが互いの声を聞いていないとわかっているのに、話が通じている風なことにもやもやした。

『せっかく存在を認識したんやもん、交流しよ!』

 張り切っているタブちゃんを見ると、全身がむずむずする。それは違うだろうと言いたいような、言いたく無いような。

 一方田中三郎は、俺にとも見えていないタブちゃんにともつかず、いきなり勝手に語り始めた。

「実は俺、イマジナリーフレンドに興味があるんだ。まだまだ医療の現場なんて知らないけど、小児科に長く入院してる子どもたちの話を聞く機会があって。うん、年度末の学内の講演会でね。イマジナリーフレンドは、病気の子どもだけの話じゃ無いんだけど、入院中の子どもには多いらしい。海外だと、それが守護天使になったりするんだって。ベッドの上で、はっきり見えている相手とするような会話をしていると」

「タブちゃんがイマジナリーフレンドじゃ無いことはっ」

 思わず口を挟むと、田中は笑顔で手を振った。

「あー、ごめん。大丈夫、理解してる。だってほら、ペンが動くとこも見たんだから。信じてるって。ただ連想しただけだって」

 タブレット上に〈わかる〉と文字が書かれた。

「ありがとう、タブちゃん。怒りもすれば傷つきもする、独立した人格として、タブちゃんみたいな存在が患者に寄り添えたらどんなにいいだろうって思った、って話。呆けたって思われてるお年寄りが、そこにいない人物と会話するってこともあるだろう? それはまだ解明されていない脳の働きかもしれないけど、他者とのコミュニケーションっていう意味では子どものケースとも似通ったものがあってだな」

「待て待てっ! やっぱり俺に対して含みがあるように聞こえるんだが」

「そんなこと無いってば。言っただろ、タブちゃんは独立した人格だって。死者の霊か生き霊かは知らないけど、意識体として立派に存在してることは認めてるから」

 差し伸べた両手を上下に動かして、田中は俺に落ち着けという仕草を見せた。それから、ふと思いついたように天井を見上げた。

「あー、そうだな。新しい電脳意識とか?」

「なんだよ、そりゃ」『なんやの、それ』

 タブちゃんと反応が被ってしまう。

「SF映画じゃすでにお馴染み、かな。意志を持つコンピューターやアンドロイド。生命の起源が解明されていない以上、電脳が意識を持つに至るのも、あり得ない話じゃ無いわけで」

「そんな荒唐無稽な」

「はっ、お前が言う?」

『わかった! あたし、やっぱりニュータイプの付喪神や!』

「うわ、まだ言うんか付喪神説」

「おお、いいねえ付喪神。妖怪も神さまも進化してる」

 田中は手を叩いて喜んだ。

「じゃあ、付喪神のタブちゃんにインタビューをしましょう。えーと、何から聞こうかな」

『なんでも聞いてぇや!』

「個体を乗り換えといて、付喪神があるかいや」

 はしゃぐ2人(?)を横目に、俺は思わず声に出していたのだが、完全に無視されてしまった。

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