第45話 いきなり飛び出すなんとやら

 田中が特別な話を教えてくれたことをかみしめて、俺はお返しについて考えた。

「おいおい、妙なこと考えてないか? 目つきが怪しいぞ」

 田中にそう言われるくらい、考えた。 

「お返しを求めてないのはわかってる」

「え、うん。深刻な声出すなよ」

「だけど、これを話すなら今しかないと思う」

 だから俺は、タブちゃんのことを話した。話をするのは苦手だから、行ったり来たりしどろもどろになりながら。タブちゃんが最初に出てきたところから、漫画の話、盗作問題、佐々木さんや浅沼さんの話。存在もあやふやな意識不明の女性の話。要所要所に適切な質問を挟みながら、田中三郎は真剣に聞いてくれた。

 長い話の後で、田中は腕組みをして言った。

「普通だったら、お前がとうとうおかしくなったと思うところだが」

「とうとうの意味ぃ。ま、わからないではないが」

「うん。でも、我が家の秘密を打ち明けたタイミングではあるし、だからこそ嘘は言わないと思う」

「そりゃ……どうもありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

 俺たちは床に手をついて、至極真面目に頭を下げ合った。

「壊れたタブレットの主電源を入れることでしか、タブちゃんは出てこないと思ってる?」

「色々やってみたよ。でも実際そうだし」

「アカウント引き継いでみろよ」

 田中三郎は、自分が持ってきたタブレットを指差した。

「いやー、電脳世界にどうこうって話じゃないと思うんだが。アカウントはいくらでも変えられるものだろ? 誰にも予測不能のものだよな。あっちから探し当てられるもんじゃない。だからこそ、タブレット本体に憑いてるはずなんだ」

「まあまあ、熱くなるなって。試してみるくらい、いいだろ。今、ここで。俺の見ている前で」

 田中は、俺の肩をぽんと叩いた。

「それとも、怖くてできない?」

「怖いって?」

「タブちゃんが出てこないことじゃない。出てきたときに、俺の前で何をやらかすかが怖いんだろ」

 田中はニヤリと歯を見せた。

「そっ、そんなことは!」

「じゃあ、試してみろよ。何もなくて元々だろ」

 けしかける風でもない、淡々と言う田中。俺は勝手に張り合う気持ちになって、タブレットを充電ケーブルに繋ぎ、主電源を入れた。そうして、ノートに記録してあったのと同じアカウントで設定をした。


 再起動。


 ……出た。


 見慣れたぬるりとした動きで、タブちゃんが出た。

 俺は口もきけずに田中の顔を見た。


『おはようさーん! ってあれ? なんで田中三郎がおるん?』

 不思議そうに首を傾げるタブちゃん。その途端、俺は田中の手を握っていた。

『え? なんで手ぇ握っとるん?』

「あれ! 時空の扉をくぐるときとか! どっかに触れとったら一緒にできるやつ! 見えるやつ!」

「いや、見えないけど。出たのか?」

 目を丸くしたタブちゃんと、必要以上に淡々とした田中三郎である。

「うん」

『出たって何よ、幽霊みたいに。あはっ、幽霊みたいなもんやてか?』

「みたいなもんやけど、みたいなもんやけど、な!」

『何、あんた泣いてんの?』

「……泣くのは自由だが、とりあえず俺には見えないんだが」

 握った手を田中に持ち上げられたので、俺は急いでそれを離した。  

『泣きながら手ぇ振りほどくとかぁー。あたしがそういうの描くタイプやないからって、油断したらあかんよー』

「なんの話や。いきなりわけわからんこと言うなや」

『あれ、ひょっとしてマジなやつ? やったらごめん』

「そこで謝ったら変な感じになるやろがぁ」

『あれ、そやっけ? いやぁ、あたしも作風を広げてもええかもしれんし。あんた、この前コミケ行ったやろ。そういう系の同人誌とか』

「なんの話や言うとるやろ! この前って、あれからどんだけ経っとる思てんねん! ついさっきまでおったみたいに言うなや!」

『え? は? どんだけ経っとるって、え?』

 ほんの少しうるうるっとした程度だったはずの涙が、一気に溢れた。うっうっと声まで出てしまう。自分でも、なんで泣いているのかわからなくなるくらい、肘で顔を抑えたまま泣きじゃくってしまった。

 タブちゃんも田中三郎も、俺が声を上げて泣いている間中黙っていた。彼らはどんな表情で俺を見ていたのだろう。今考えても恥ずかしい。

 ようやく顔を上げたとき、田中は微妙に俺から視線を外していた。

「久しぶりに、お前の関西弁聞いたなあ」

 田中はそのまま天井を見上げた。

「お袋さんと話してるの聞いてたから、懐かしい感じがしたよ」

「そうだっけ」

「さっきの話を信じてなかったら、ホームシックだと思うところだった」

「ホームシック?」『ホームシック?』

 タブちゃんと声が揃ってしまった。

「いやあ、もう3年だぞ。俺はこうして日本にいるんだし」

「そういうことじゃない」

『お母ちゃんが恋しいってことやないん?』

「お母ちゃんて! 話なら最近だってしたし!」

 ついムキになってタブちゃんに向かって大きな声を出してしまった。

「お母ちゃんが恋しくたって良いだろ」

 まるでタブちゃんの声が聞こえていたかのように、田中が言った。

「ホームは大切だ。俺にとっては、初代三郎の存在とかさ。お前だって、色々大切なものがあるだろ、ホームには」

「ああ……うん」

 通じるものがあるような、よくわからないような。

 顔を上げたら、タブちゃんと目が合った。

『もしかして話したん、あたしのこと?』

 俺は声を出せずに黙って頷いた。

『ふーん。けど、田中三郎にはやっぱり見えてないんやね』

 彼女はそうや!という顔をして、タブレットを引き寄せた。

『あれ? これ、いつものやつ違うん? ま、ええか』

「ええんかい! そんな簡単に言うてええんかーい!」

 タブちゃんは、俺を無視してタブレットに絵を描き始めた。田中は声も出せずに凝視している。奴の目には、ペンがひとりでに動くように見えていることだろう。

 そして、イワサブローが「これからもタケちゃんを、よろしゅう」と言う絵がタブレット上に完成した。




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