第44話 一人でもサブロー

 田中家は、代々名主の家柄だったという。農地改革で強制的に買い上げられるまでは、広い田畑や山林を所有していたそうだ。

 話は江戸時代に遡る。

 その年は全国的な凶作だったという。それでも年貢の取り立てはある。田中家も、役人と小作人たちの間でたいそう苦悩したようだ。

 そんなある日、村に一人の旅の僧侶がやって来た。いかにもみすぼらしい僧侶は、一夜の宿を求めて村の中を訪ね歩いた。けれども行く先々で断られた。

 昔話では、最も貧しい者が僧侶を泊めて、持てるもの全てを差し出してもてなす流れになるのだが、違った。村の人々は「名主さまのお屋敷に行きなされ」と口々に勧めたのだ。「いやあ、こんな汚いなりだし、名主さまのお屋敷はちょっと」と言ったかどうか。僧侶は結局、屋敷を訪れた。

 門構えを始め大きな屋敷は確かに立派だが、住人たちは村人たちと変わりなく、痩せこけていたという。それでも名主は、三男の三郎に僧侶をもてなすよう命じた。

 名主の三男、お坊っちゃんかと思えばそうではない。家や土地の相続をするのは長男ひとり。次男、三男ともなれば、婿に行ければ運が良い。貧しい土地なら下男同様の扱いを受けたとも言う。

 幸い田中家では、そこまでひどい扱いをしていなかった。使用人よりはましな立場だったようである。それでも家のものを自由に使える立場にはなく、銭金も無い。もてなせと言われたら、自分の食べるものを分けるしかなかった。

 そんな状況で、僧侶が病に倒れた。

 病の種類はわからない。移ることを恐れたのか、家族や使用人たちに頼らずに、三郎がただ一人で看病したと伝えられている。三郎がまめな性格だったのか、できる限りの看病で僧侶は回復した。

 ようやく出立しようとしたとき、彼は一家全員を前にして礼を述べた。そして「このようなときに手厚いお世話をしていただいて、ありがたいことでした。今の拙僧には返せるものが何もありませんが、先々のことならばお約束いたしましょう。この家に三郎という名の男の子おのこのある限り、一族皆栄えるでありましょう」と言い残したという。

 相模国では、江戸時代にも大きな地震があったし、関東大震災の被害もあった。台風が直撃したこともある。だが、田中家は大きな被害を受けなかったし、一族の出征兵士も皆無事に帰還した。これらは全てかの僧侶のお陰であるとして、代々三郎という名前が受け継がれているのだという。


 語り終えた田中三郎は、顔を赤らめて頭をぽりぽり掻いた。

「まあ、それがうちに伝わる本物の話ってことで。どこかで聞いたような話の継ぎはぎだろ」

「そういうところもあるけど、珍しいと思うよ」

 俺は本心からそう言った。

「珍しい? どこら辺が?」

「三人兄弟の話は世界的にも多いんだ。三人のうち、三番目が成功するってパターンは、結構あるはずだよ」

「俺は知らない」

「んー、有名なところだと……そうだな、三匹の子豚とか」

「おう、それなら知ってる。藁の家、木の家、煉瓦の家ってやつ」

「そうそう。三人とも成功する話もあるけど、上の二人は失敗しがちなんだよな」

「うんうん、三匹の子豚もそうだな」

「ところが初代田中三郎氏の話は成功譚じゃない。初めから名指しだし、誠心誠意尽くしたとはいっても、特別な能力を発揮したとかじゃない。しかも、三人兄弟どころか、一家が幸せになっただけじゃないだろ? 三郎っていう名前が一人いれば、一族ひっくるめて幸せになるんだろ?」

「珍しいのか?」

「特別盛大、大盤振る舞い」

「そこまで言う」

 田中は恥ずかしそうに視線を逸らした。

「あ、でも逆なら一族全部に影響が及ぶ例はあるぞ。孫子の代まで祟ってやるーって方だと、末端まで一族総当たりになったりする」

「ほほう。そうなんだ」

 田中は、顎の辺りを撫で回して何度も頷いた。

「さすが、いつでも本ばっかり読んでただけのことはあるな。よく知ってるなあ」

「それって、本当に褒めてる?」

「まあ、いいじゃん。こっちのバージョン話したの、本当にお前だけだからな。広めるなよ」

「話す相手がいないから大丈夫。まだ付き合いのある同級生って、他にいないから」

「それもそうか」

 さすが田中三郎、高校から今に至る俺の唯一の友よ。

「でも、一族以外に話したら駄目だって、本当に口止めされてないわけ?」

「うん。でも、話したら変な目で見られるだろ、絶対。初めて聞いたのって小学校に入学したころだったと思うけど、こりゃ黙っとこって思ったもん」

 俺は変な目で見ないと信用してくれたということか。タブレットを譲られたことよりも、大きな借りを作った気がした。

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