第43話 新しいお古

 タブレットが直らない。

 正確には、直るかもしれないがそれだけの価値は無いと言われた。なんと驚くべきことか、修理費用が2万円以上かかるというのだ。購入金額よりもはるかに高い。

 つまり俺は、突然にタブちゃんとの別れを迎えたのだ。

 それからしばらくは、事実を受け入れ難く、鬱々として過ごした気がする。

 早い。あまりに早すぎたじゃないか。

 学年末の色々を淡々とこなしているうちに時は過ぎた。田中三郎にだけは、話のついでに報告したが、もちろん深刻な事態だとは受け止めなかっただろう。


「そうか、本当に急に壊れたんだな。それが中古の怖いところだ。今度は新品を買う気になったか?」

 もうすぐ新学期という春休みの終盤、家に遊びに来た田中三郎は、事も無げに言った。

「いや、しばらくは止めとく」

「布団の中で使ったりするから壊れたんじゃね? タブレットの画面ってのは案外弱いらしいし。薄い機種なんか、曲がるらしいぞ」

「曲がるの? タブレットが?」

「力任せに長時間イラスト描いてたりとか。まあ、お前はそんな使い方はしないだろうけど」

 タブちゃんだって、そんな力は入れなかったはずだ。彼女の懐から出てきたペンは俺にも触れるものだったけれど、筆圧ってあったんだろうか。

 店では、一応保証期間内なので、下取りに出せば5千円分のクーポンになるからと買い替えを勧められた。だが、タブレットは持ち帰った。なにかの拍子にタブちゃんが出ないとも限らないから。


 そもそも、どうして俺だったんだろう?


 今まで何度も考えたことを、あれからまた、繰り返し考えてきた。

 何人もの持ち主を経たのに、タブちゃんは俺にだけ見えたのだという。なぜだろう。タブちゃんにもわからない答えが、俺にわかるはずもないけれど、何度でも考えずにはいられない。

「それにしても、どんよりしてんなあ。サニーとの別れがそんなに堪えたのか? あのファミレスの子とはどうなんだよ、その後」

 サニーのことなんか完全に忘れていたけれど、そんなふうに見られていたのかと思うと腹が立つ。

「サニーに話しかけたのって、マジで最初だけだって。で、ファミレスの、湯浅さんは、友だちになれたのかも、しれない」

「んー? 珍しいな。ってか、初めてじゃね? 女子を友だちとか言うの」

「うん。性別とか関係ないかも」

「ふうん。じゃ、なんなんだよ、どんよりの理由は」

「自分じゃそうは思ってないんだが。強いて言うなら、手持ち無沙汰ってやつ?」

「ほうほう」

 珍しくしつこいと思ったら、田中は持ってきたリュックを引き寄せた。

「じゃーん! ほら、これ」

 田中は、中からタブレットを取り出した。

「やるよ、俺のお古」

「え? いやあ、気持ちはありがたいんだけど」

 タブちゃんのタブレットよりも一世代新しい機種だ。田中は新品で買ったから、これだって7、8万円はしたはずである。それに、新機種を買ったんなら、下取りに出せたはずだ。

「なんだよ、遠慮してんの?」

「この借りは大きすぎるだろうよ」

「んなことねえって。実はさ、ここだけの話だけど」

 他の誰もいないというのに、タブちゃんだっていないというのに、田中は声をひそめた。

「有馬記念、ビギナーズラック」

「はあ?!」

「シーッ」

 わざわざ口の前に指を立てやがった。

「馬券買ったの?」

「いやあ、ちょいとあぶく銭があったもんでねー」

「おっさんか!」

 彼の説明によると、1年ほど前に従兄弟に10万円貸したらしい。すっかり忘れていたら(忘れるか、普通)年末に返してきたので、ふらふらっと馬券につぎ込んだんだそうだ。競馬と関係したスマホゲームに熱中しているのは知っていたけれど、本物の馬券を買うとはな。

「正月に来たとき、言わなかったじゃん」

「それだよ。まあ、さすがに? 自慢したい気持ちもあったけど、恥ずかしい気持ちもあったんだなー」

「バクチだもんな」

「でもでも。それから良くないことが続いたりしてさ。今更かもしれないけど、厄祓いしようって気になったわけよ。儲けたのは親にも内緒だったんだけど、珍しく親父と話してたときに、賭けで手に入れた金は誰かに奢ったりしないと悪いことが起きるとかいう話になって。ほら、俺んって、そういう家だから」

「そういう家? 一人息子にも三郎っていう名前を付けちゃうゲン担ぎの家ってこと?」

 そうだった。田中が三郎という名前になった理由。自己紹介するたびに、笑われたり珍しがられる名前。一人っ子だと言うと更に不思議がられる名前。命名の理由は〈おじいさんが初孫の誕生を喜び、村長まで務めて長生きした祖父の名前を付けて欲しいと望んだから〉と聞いている。時代錯誤な感じがしないでもないが、悪い理由ではない。

「実はあれ、表向きの理由なんだよ」

「表向きって?」

「これを受け取るんなら、本当の話を教えてやる」

 田中はタブレットをずいっと押しやった。

「うっ、それは気になる」

「だろ? 話しちゃいけないって止められてるわけでもないけど、話すべきじゃないって思ってるから、誰にも話したことはない。さあ、どうする?」

 ざっくりした性格だと思われがちだが、案外繊細な奴だから、俺に気を遣わせないために言ってるのかもしれない。とはいえ、この場面で「嘘だピョーン」とか言わないだろう。

「よし。貰う。ありがとう」

「うん。神さま、これで厄祓いってことで、一つ!」

 田中は天井の東南角に向かい、パンパンと柏手を打って頭を下げた。マジで、びっくりした。

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