第41話 タヌキ危うし
タブレットから顔を上げると、タブちゃんが気配で察したのだろう、目を覆っていた両手をそっとどけた。
「どやった?」
「心機一転、完全新作、続々更新かぁ?」
「なんや、それ」
ぷうっと頬を膨らませるタブちゃん。
「ストーリー漫画にしたんやな。それに人の絵、勝手に苦手やって思うてたけど、ええやん。特にイワサブローじいちゃん、気に入ったわ」
「あはー。めっちゃ練習したんよ。人間描いた記憶なかったし」
照れまくるタブちゃんも新鮮だ。
「でも、イワサブローは描き続けることにしたんやな」
「うん。あたしのオリジナルなんは確かやろ? そうなると離れ難いしな」
「イワサブロー以外のタヌキ、仔ダヌキがわらわらおるんもええわ。つぶれてないタヌキ、初めて見たな」
前作を知ったとき、〈つぶれタヌキ〉は交通事故で大怪我をした自分を表しているのだと思っていた。問題を抱えた家族と、その中で自分を守ることを、廃屋とイワサブローの家の二重構造で表現していると思ったりもした。
「神さまと、人間も含めた生き物との間に存在するために、イワサブローはつぶれる必要があったんかな」
「まーた小難しいこと言い出して、この考察好きっ」
からかうように言い放つタブちゃん。
「けど、ご考察有り難く頂いとくわ。なんか、ちょっと、ぐっと来たから」
「ちょっとかい」
「ちょっとやで。調子ぃ乗りなや」
ツンとしたタブちゃんだが、熱中して描き始めたのは俺としても嬉しかった。そのうちにまた、世間に出すことを考えてもいいだろう。今度はTubuyaiterじゃなくて、他の媒体でやってみたらどうだろう。今はまだ、その話をするときでは無いだろうが。
後期試験の結果が出揃って、まあまあ落ち込まずに済む感じだったある日、田中三郎から着信があった。彼も試験で忙しい日々が落ち着いた頃合いだろう。
『俺にとって良いニュースと、お前にとって良くないニュースがある。どっちから聞きたい?』
「えー。それって一つのニュースってことじゃねえの?」
『そうとも言える』
「じゃあ、お前に良いやつ」
『了解。発売初日に、新型のAZタブレットを購入しましたー!』
それが言いたくて連絡してきたんだろう。めちゃめちゃ声が弾んでいる。
「え、すげ。10万円超えてるんじゃなかった?」
『なんだかんだで12万ちょい』
「ほおー。オンラインゲームやるもんな。俺には必要ないけど」
『はい、それー』
間髪入れずに言われると、身構えてしまう。
「何?」
『お前の持ってるやつ、2世代前の機種になったわけよ。本体のアップデートもだけど、アプリのアプデもできなくなってくぞ。それが良くないニュース』
「しなくたって、使えなくなるわけでもないだろ」
『そうだけど、色々と不都合も起きるぞ。新機能が使えないだけならいいけど。まあ、最悪動画はブラウザから見ればいいけど、電子コミックはどうだかな』
コミックと聞いて、それまで考えなかったことに気が付いた。俺が読む分には問題ない。けれど、タブちゃんが使っているお絵描きアプリはどうだ?
半ば上の空で自慢話に付き合った通話を終了してから、俺はまさにお絵描き中のタブちゃんに聞いてみた。
「え、使えるアプリを探して乗り換えたらええん
彼女はあっさりと言った。
「どっちみち、機能全部使いこなしとぉわけでもないし。紙に黒ペン1本で描くんと違わんし。この、クラウド上に保存っちゅうんは問題無いんやろ?」
「多分」
「保存したもんが消えたらちょっとはショックやけど、まあ、今までも何べんもあったし、また描き直したらええわ。いっぺん描いたら忘れんようになってるもん」
「そうか。そうやな。初期化されまくりやったもんな」
現実のクラウドシステムよりも、タブちゃんクラウドの方が信頼性が高いかもしれない。
「あたしにはなんぼでも時間あるし、疲れんし、心配せんとって。それにしても、田中三郎はリッチなんやねえ。お医者さんになったら、もっとリッチになるんやろねえ」
「さあ、それはわからんで。あいつの親は医者やないから、それなりに大変らしいけど」
「ふうん。ま、あんたも頑張りぃ。弁護士先生にでもなったらどぉやのん」
「そんなもん、急になれるかい。司法試験の合格率は医者より低いんやぞ」
「あれ。そんなら、あんた、何するん?」
「普通の就職やろな。一般企業。夢が無いとか言うなよ」
「言わんわ。世間の会社員に失礼やろ。会社員やって夢のある人おるやろに」
それはそうだ。春になったら俺も3年生。就職について本気で取り組まなければならない。職業・会社員というのが、一番とらえどころのない進路かもしれないなと思う。
ただ、タブちゃんには話せないけれど、実は密かな夢も芽生えているのだ。
例の盗作問題からこっち、SNSで傷付いた人を助ける仕事をしてみたいと思い初めている。もちろん、弁護士が一番に考えられるが、現実として無理。他にできることはないかと探しているところだ。卒業までにあと2年、タブちゃんと違って限られた時間だけれど。
そう。タブちゃんには時間がいくらでもあると思っていた。
ある朝、どんなことをしてもタブレットの電源が入らなくなってしまうまでは。
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