第37話 佐々木先生
浅沼さんがわずかなりとも安心したらしいのはなぜか。それを考えるためと、何しろ目の前で女性に泣かれた、というか泣かせてしまったことに動揺して、俺は小休止することにした。すっかり冷めてしまったが、残っていたハンバーグを押し込むように食べる。浅沼さんの皿は全くの手付かずである。
『食べてからでええけど、新聞だの出版だのの話聞いてぇや』
横のタブちゃんがせっつく。
「あ、そやった」
俺が声を出すと、浅沼さんがビクッと震えるのが悲しい。仕方がないが。
「さっきの話ですけど。あくまでも、ここにいるのはタブレットの精霊であって、亡くなった人間の、その、残存思念ではないのであって」
『難しいこと言わんと、幽霊って言いぃ』
「うん。つまり幽霊じゃなくて、独立した存在なんです。でも、浅沼さんは、作者の霊がいると……その、心当たりがあるんですよね?」
「私が、ええと……新聞の記事は読んでないんですか?」
「新聞は一人暮らしなんで取ってないです」
「一週間くらい前の記事です。作者さんの残した原稿を本にしたっていう」
浅沼さんはポケットからスマホを取り出し、通販サイトの商品ページを表示して見せてくれた。タブちゃんもぐいぐいのぞき込んでくる。きっと頭が俺にめり込んでいるから、そっちを見ないように気をつけた。
本の題名は『えぼし山の仲間たち』。スクロールして内容紹介を見ると〈早世した少女の遺作を出版したいという恩師の遺志を、教え子たちが継いだ作品集。動物たちのほのぼのとした暮らしを描いた連作です。恩師の残した文章や、出版までの経緯もまとめて一冊の本にしました。〉とある。出版社は北関東の地方新聞社。著者名は〈咲ちゃんと佐々木先生〉!
「マジか……」
唸りのような声が出た。
『サキちゃんて、おったんやん。大事な教え子とあたし、一緒にしたらあかんやろ』
タブちゃんの声も絞り出すかのようだ。
「作者さん、中学生のときに脳腫瘍で亡くなったんだそうです。佐々木先生というのは小学校時代の担任の先生で」
ああ、そうだったのか。咲ちゃんを見舞った記憶と、タブちゃんを見舞った記憶を混同したのか。病気で休みがちだった咲ちゃんと、不登校だったタブちゃんを重ねたのだろうか。
「ご遺族から預かったノートをスキャンして、自費出版の用意をしてたらしいんですが、その佐々木先生が急に亡くなって。パソコンとか処分されてしまった上に、ご遺族は引っ越ししてて。出版したいっていう希望を聞いていた教え子さんが、あれはどうなったんだろうと言い出して」
ぽつぽつと途切れそうな話し方で、説明させていることを申し訳なく感じてしまう。
『うーん。ほんならあたし、やっぱり咲ちゃんの描いたもんを写しとったんか。この人と
「いや、それは
隣のタブちゃんに話しかけてしまい、ビクッとした浅沼さんに気付いて焦った。
「ええと、このタブレットの精霊がですね、自分も咲さんの作品を写していたんだと言いまして、その」
「そのタブレット、最初の持ち主は佐々木さん……だったんでしょうか」
「あー、そうですか、ね。パソコンとデータ共有してた、とか。パソコンも売られて、同じような現象を引き起こしてたり、してますかね。ん? どこで咲さんの描いたもんを見たん?」
つい勢いよくタブちゃんの方を向いてしまった。
『そんなん覚えてないわ。自分の中から出てくるもんとして、描いてたんやもん。けどなあ、描いてた自覚はあるんやで、あたし。初期化されるたんびに描き直してたんよ。タブレットに描いてたんは、咲ちゃんと
「うーん、タブちゃんが描いてるとこ、見とるしなあ、実際」
「あ、あの」
浅沼さんが小さく手を上げた。
「はい?」
「タブちゃん、って呼んでるんですか?」
「ああ、はい」
彼女は、今日初めてクスッと笑った。笑った直後に「すみませんっ」と青ざめたけれども。
「いいんですよ。タブレットのタブちゃん。安易ですよね」
『なんやて! わかりやすいやん!』
タブちゃんが拳を振り上げて叩く真似をした。が、その拳を力なく下ろして、はあーっと長いため息をついた。
『佐々木先生のこと、ちょこっと教えたげ』
「そうか。あの、浅沼さん。その佐々木先生と、えー、既に幽霊だったんですけど、会ったんですよ」
「えっ? 三木さん、が?」
浅沼さんが震え上がったので、俺は慌てて手を振った。
「や、見える体質じゃないんです。本当です。ただ、ちょっと特殊な状況になりまして、特別に見えたんです。それで、話を聞かされまして」
俺は不登校や弟の話は省いて、意識の戻らない現実のタブちゃん(と言うのも変だが)を見舞っていた佐々木さんのことを話した。話してみて思いついたことがあったので、途中でタブちゃんの方を向いた。
「なあ。時系列はもっと狂っとったんやないかなあ」
『何?』
「タブレットを追いかけて魂が抜け出たって聞いたけど、もう死んどったからできたんやないん? 弟が一切スルーしたいうんも、幽霊が見えんかったからで」
『あー。なるほど。入院しとったんがあたしやとして、
「その方が話が通るわ。あっ、失礼しました。こっちの話で」
浅沼さんに向き直って頭を下げると、困ったようにちょこんと頭を下げ返された。
『結局、あたしがどこの誰かはわからんわけやね。じゃあ、不登校だの暴力だのは、他所の話にしとこか』
タブちゃんの声が耳にしみた。
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