第36話 精霊さん
俺は、初めてタブちゃんのことを他人に話すのだと緊張した。だが、すでに妙な体験をしているらしき相手だ。今なら聞いてもらえるだろう。
「ええと、これから真面目に大事な話をしたいんですが。その前に、名前を教えてもらえませんか? あ、いや、実のところぶぉーのさんって発音しにくいんですよ。無理だったら適当でもいいです。今、ここで呼ぶだけだと思って」
我ながら何を言ってるんだと冷や汗をかいたが、彼女は頷いてくれた。
「そうですね。そうですよね。私、浅沼といいます」
年上の人が、俺なんかの前で縮こまっているのは落ち着かない。
「はい。では浅沼さん。うまく説明できるかアレなんですけど。ぶっちゃけて言いますと、俺、私たちの間に、ちょっとした勘違いがあるようなんですよ。今ひとつ話が合わないというか」
「え? そうなんですか?」
ちらりと上げた目に、強い警戒が現れているようだ。
「まず、こっちの状況を説明しますんで、聞いてもらえますか? 質問と訂正は後でお願いします」
「はい」
「じゃあ、これを見てください」
俺はバッグからタブレットを取り出してテーブルに置いた。一目見て「あれだ!」となることは期待していない。話の流れからして想像はするだろうが。
「これは数カ月前に、私が中古で買った物です。そうしたら、浅沼さんのお友だちと同じく、とある漫画が保存されるようになりました」
「えっ」
浅沼さんが息をのんだ。
「ただ、違っているのはですね。私は、このタブレットにそれを描いている本人を見ることができるんです」
「描いている……本人?」
「はい。ええと、ここは店の中なんで、人もたくさんいるんで、叫ばないようにしっかり口を押さえておいて欲しいんですけど」
『ちょっとあんた、何言うてんの』
「だって、騒ぎになったら困るだろ、実際」
タブちゃんと会話する俺を見ても、浅沼さんは怪訝そうな顔をした程度だった。
「じゃ、ちょっとそれ、持ち上げてみて」
『えっ、そういうことなん?』
「うん。それから、イワサブローのどれでもええから、出してもらえんかな」
『わかったけど。いくで? お姉さん頼むよ。騒がんとってな』
タブちゃんは、用心深い手つきでタブレットを持ち上げた。俺には普通の動作に見えるが、他人にはタブレットが10センチほど宙に浮いたように見えるはずだ。浅沼さんはと見れば、硬直している。
タブちゃんはタブレットをテーブルに置くと、画面を表示させてイワサブローの1ページを開いた。そのページを選び出すまでに、スワイプもしている。浅沼さんは声も立てなかった。
「見せたげて」
俺が頼むと、タブレットの向きを浅沼さんに見やすい方へと回し、テーブルの上で押しやった。つまり、くるりと向きの変わったタブレットが、自分に近づいてきたという。ここに至って、浅沼さんは初めて「ひっ」と声を漏らして口を両手で押さえた。だが、その目は画面に釘付けだ。身を乗り出してのぞいてみたら、ピョンタとイワサブローが会話している場面だ。他の動物たちもいる。
「そ、そこに、いらっしゃる、んですか?」
震える声で、浅沼さんはタブちゃんのいる辺りに話しかけた。
『おるよー』
タブちゃんは顔の横に両手を広げ、ぴらぴら動かして笑った。
「ええと、います。それでですね、いるのは幽霊じゃないんです」
うんと声をひそめて、浅沼さんに言った。
「これはね、タブレットの精霊なんです」
「え?」『えっ?!』
相変わらず、浅沼さんよりタブちゃんの声の方が大きい。
「どういうわけか、私には、最初から姿を見ることも会話することもできたんです。そりゃもう、信じられなかったですけど。浅沼さんだって信じられないでしょうけど、でも、今の見ましたよね?」
「は、はい」
「で。漫画のファンになったんで、Tubuyaiterに投稿するように勧めました」
「あっ」
浅沼さんが小さな声を立てた。
「あなたがトレース盗作って言った、あれです。フォロワーさんから言われたら、ああ言うしかなかったでしょうけど」
浅沼さんは、頭を深く下げて「すみません、すみません」と繰り返す。小さな声でよかった。俺が一方的に女性を責めているようにしか見えない状況なのだから。
「でもですね。私はここにいるタブレットの精霊が、あなたの作品を本当に盗んだんじゃないかと疑いもしたんです」
『ひどい話やんなー。けど、疑われてもしゃーないんよ。なあ。あたしも今ひとつ自信ないもん。今でもやで』
「もう一度見てください、これ。タヌキがいるでしょう?」
俺が促すと、浅沼さんは涙に濡れた目でタブレットを見て「ほんと」とつぶやいた。
「元からあった作品に、後からタヌキを足したって見えるじゃないですか。絵柄も違うし」
「じゃあ、せい、精霊さんは本物の作者さんの霊魂じゃないんですね」
ん? 浅沼さんがホッとしたように見えるのは気のせいか?
タブちゃんもなんだか首を傾げていた。
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