第35話 微妙な行き違い

 久しぶりに会ったぶぉーのは、げっそりと頬が削がれていた。顔色も青白い。

 お互いを認識できるほどの距離になって、慌てて言うべき言葉を探したが出てこない。

「お待たせしてすみません」

 深々と頭を下げられても「いやいや」としか言えなかった。向かい合って立つと、かなり背の低い人なのだなとわかる。まるで怯えた小動物のようだ。

 二人して(とタブちゃんと)階段を上る。

 彼女はもこもこしたダークグレーのダウンコートを着ていた。それのせいで黒っぽく滲んで見えたのだと自分に言い聞かせた。

 角のテーブル席に案内されて、水とメニュー表が運ばれてきたが、彼女はずっと目を伏せていた。店内は暖かかったのだが、ダウンコートも脱ごうとはしない。

「えーと、僕はレギュラーハンバーグセットにしますけど」

 実際のところ、食事をしようという気分でも無くなったが、注文しないわけにもいかない。週末の昼時にコーヒー1杯で粘れる店でもないだろう。

「同じものを」

 彼女は蚊の鳴くような声で言った。

 呼び出しボタンを押して注文をしてしまうと、さすがに話を始めるしかない。横に座って「ほれ。ほれ、なんか言い」とせっついてくるタブちゃんもいることだし。「きょ、今日は」と言いかけた俺だが、全く聞こえないようにぶぉーのが口を開いた。

「あの、亡くなったのは、身内の方ですか」

「え?」

 無くなった? 亡くなった? 俺の身内? こりゃまた、いきなりやな。思わずタブちゃんを見た。

『これはるな。誰か知らんけど』

 やめてくれやと言いたい。声を大きくして言いたい。言えないが。ホラーは苦手だ!

 のタブちゃんにも幽霊は見えない。付きまとっていた佐々木さんが見えなかったのだから間違いない。

「えーと。とっ、盗作を認めるということでしたよね」

「はい。本当に申し訳ありませんでした」

 元々下げていた頭をテーブルにめり込みそうなほど下げたので、ぶつからないかと冷や冷やしたではないか。

「本当に、本当に、申し訳ありませんでした。だから、どうかもう、私から離れるように、に言ってもらえませんか。勝手な言い分だと、わかっています。でも、眠れないんです」

 そのかたって、どのかたやねん。

「えーと。まずは、どこで原作を見つけたのか、教えてもらえますか」

「はい。中古のタブレットです」

『そらきた!』

 タブちゃんが立ち上がって叫んだので、びくっとしてしまった。

「友人が……。中古のタブレットを買ったんです。1年間保証付、動作確認済み、もちろん初期化されていました」

『ふんふん』

「でも、いつの間にか、描いた覚えのない漫画が保存されていて、しかも増えていくって」

うた人の写真持ってないん? 顔見たら覚えてるかも』

「本人は気持ち悪がってたんですけど、私は最初信じませんでした。もう、今にも手放しそうだったんで、その前にって貸してもらったんです」

『そん時にコピーしたんやね』

「その時にコピーしました。とても、あの、可愛いと思ったので。読み返そうと思って」

『最初は盗むつもりとちゃうかったんやな』

「盗むつもりじゃなかったんです。消すのが惜しかったんです」

 生きているぶぉーのの声は弱々しく、生きているとしても、そこに体の無いタブちゃんの声は元気いっぱいだ。

 うつむいて黙り込んだぶぉーのに、何を言えばいいのか悩んだ。今ここに、原作者がいますよってか?

 いや、ちょっと待て。いかにも祟られてますという彼女に憑いているのが、原作者か。

「ええと、お友だちがタブレットを買ったのはいつでしたか」

「1年ほど前です」

「コピーした作品は、何ページくらい、あ、それ聞いても俺にもわからないですけど」

「今回本にした分より、もうちょっとあります。それでも全部じゃなかったんですね」

「え?」

 全部じゃない、と言われた意味がわからない。思わずタブちゃんを見ると、彼女もそこが気になったらしい。

『もっとあるのん、知ってて?』と首を傾げている。しかし、ぶぉーのは黙り込んでしまった。

 黙っているうちに、注文したものが運ばれてきた。ハンバーグとライスと味噌汁。店員が並べて立ち去ってから「温かいうちに、食べましょうか」と言ってみたが返事はない。いい匂いにも沈黙にも我慢ができず、俺はハンバーグにナイフを入れた。食べ物を無駄にすることはない。食べようじゃないか。

 全く気にしないふりをして食べ進めていると、ぶぉーのがうつむいたままで言った。

「出版される本は、完全版ですよね」

「は? 本?」

 口の中に物が入ったままで声を出してしまい、ちょっとむせた。

「新聞を読みました。人に教えられたんじゃなくて良かったです。私は今後一切絵は描きませんし、Tubuyaiterもやりません。盗作についての謝罪投稿をして、アカウントは削除しました」

『新聞て何? 出版て何? なんの話なん?』

 タブちゃんがわあわあ言っているが、俺だって知りたい。

『あーもう、調べたほうが早い』

 なんとタブちゃんは、カバンに手を突っ込んだ。幸いファスナーが仕事をして、取り出すことはかなわない。干渉できるのがタブレットだけだとこうなるのか。

「ちょ、ちょ」

 言葉にできずにあたふたしていると、視線を感じた。ぶぉーのが目を見開いて、カバンの中で〈暴れているもの〉を凝視している。

「何かいるんですか?!」

「えーと、ですね」

『あー、ごめん。はたから見たら変やったんか。でも、この際やん。あたしのこと話してみ』

「まあ、そうなるか」

 よし。腹をくくって、タブちゃんと頷き合った。

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