第32話 夢見る少女でいたかった

 年明けからだらだらと過ごした冬期休暇も終わり、あっという間に試験期間に入った。現役学生たちの後期試験が終われば、学内は受験生を迎える体制になるからまた休みが続く。

「だからね、連絡先の交換しよう」

 しばらくぶりに会った湯浅さんは、ちょうど昼食時だったこともあり、俺をカフェテリアに誘って直球で来た。まだまだ試験を受けるべき科目はあって、のんびり喋っている場合ではないのはわかる。けれども、SNSでのやり取りは面倒臭いと思ってしまう。だからと言って断り方がわからない。二人してシンプルなカレーライスを食べながらも、俺は早く立ち去りたいと思っていた。

「話したいことがたくさんあったのに、連絡先知らないから困ったんだよー」

「え、そうなんだ」

 驚いた顔がおかしかったのか、湯浅さんは俺を見て吹き出した。

「先に言っとくね。いち、ぶぉーのさんが、すっごく話したがってた。に、本気でコスプレやりたくなった。さん、きっかけは三木君。よん、だから手伝ってほしい。まだあったけど、出てこないわ」

 指を折りながら数え上げる湯浅さんだったが、ぶぉーののところで引っかかって、その後の内容が入ってこない。というより、理解し難い。

「わからないーって顔だあ。じゃあ、まず気になるだろうから、ぶぉーのさんの件から」

「お願いします」

「はい」

 また、ちょっとばかり吹き出されたが、まあ悪い気はしないのが不思議だ。

「会うことがあったら伝えてって言われたんだ。TubuyaiterにDM入れてって。また、ピョンタの話をしたいって」

 ビクッと震えてしまったので、湯浅さんの方が驚いた顔をした。

「意味はわかったみたいだけど、大丈夫?」

「あ、うん。有名人に覚えててもらって、びっくりした」

「有名人って。もちろん、知ってる人は多い絵師さんだけど、普通の人だよ。それを言うなら、三木君だって有名人への一歩を踏み出してるかもしれないのに」

 真面目な顔で言われたので、哲学的な意味でも含んでいるのかと考えていると、スマホの画面を差し出された。なんだかどこかで似たようなことがあったような。

 そこには〈カメにいの今日も撮影日和〉というタイトルと、ブログサイトのロゴ、続いて〈演出効果を考える〉という見出しに続く文章があった。見出し下の日付は1月1日だ。

「3と4まとめて説明するから、まず、それ読んで」

 湯浅さんに言われてスクロールする。あのコミケについて書かれたものだ。ということは、と嫌な予感がした。案の定、俺と炎空さんの例の写真があった。

 一見コスプレをしていない人間(この場合は俺)とポーズを決めて良いものか。それを他人が撮影して良いものか(炎空さん自身がTubuyaiterに上げているので良いと判断されたが)。行きずりの人間と合わせる(一緒に撮影することを指すようだ)行為は許されるのか。

 コスプレの撮影者として有名な人のブログらしく、コメント欄にも賛成派、反対派のコメントがいくつも書かれている。読んでいるうちに顔が熱くなってきた。そして、コメントの中に〈この一見通りすがりの男性、ドクター美零の人とも絡んでいました。仕込みですかね?〉〈そうなんですか? 考えられないと思いますが。レイヤーさんが急に声をかけたくなるような、オーラの持ち主なんでしょうかw〉というやり取りを見つけて頭から湯気を吹きそうな気分になった。両方の現場を見ていた人がいて、同一人物だと認識しているだと? 目立つ服装をしていったつもりもないし、自他共に認める地味顔のはずだが。

 読み終えてなお、画面を見つめて考え込んでいる俺に、湯浅さんが「おーい」と軽く声をかけた。

「どうやら意外だったみたいだけど?」

「単なる偶然、もらい事故、何も知らなかった」

 早口の小声で言ったら、なぜかウケた。ひとしきり笑ってから、湯浅さんは「でも、どう? これを機会にちゃんとコスプレと関わってみない?」と言った。

「冗談じゃない」

「撮影は? 私のカメラマンになってくれないかなあ?」

「撮影技術はない。そもそもカメラも持ってない」

「最初はスマホカメラでもいいのに。私、秋アニメの『夢見る少女でいたかった』のコスプレがやりたいんだ。知ってる?」

「ごめん」

「だと思った。あのね。ほら、これ。小学生のときに植物状態になった女性が、十年後に目覚めた話で」

「十年も経ってから目が覚めることあんの?!」

 いかにも無愛想に対応していた俺の突然の食いつきに、公式サイトを表示したスマホを手に湯浅さんは目を丸くした。

「ある、ん、じゃないかなあ? でも、アニメだし。でね、21歳になって目覚めた主人公が、小学生のころ好きだった男の子と再会してっていうラブストーリーなんだけど。ほら、見た目は大人だけど心は小学生っていうピュアな感じがね。心象風景として、ランドセル背負って黄色い帽子被ったシーンがあったり」

「見た目は21歳なのに、心が小学生?」

 死んだら時間の概念が無くなるという話を唐突に思い出した。湯浅さんのスマホに表示されているロリ系の絵を眺めながら、タブちゃんが十年も眠っていたとしたらと仮定してみる。いや、だめだ。タブレットの存在がその仮定を明確に否定する。あのタブレットは、5年前に発売された機種だ。それもあって、俺は最初から付喪神説を笑い飛ばしていたのだが。

「結構興味持ってくれた? とりあえず、アニメ見てくれたら話は早いんだけどな」

 俺がタブちゃんのことを考えているとも知らずに、湯浅さんは上目遣いになった。ごめん。本当にごめん。

 

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