第28話 お名前は?
当たり前のことではあるが、新年は普通の顔をしてやってきた。
大晦日だって、ごくごく普通の1日だった。近所のスーパーは元日だって休まないし、お節料理や餅も食べる気にはならない。いつもは見かけないオードブルセットの小と細巻きセットを買って、紅白ではない歌番組をネット配信で見た。うっかりタブレットで見ようとするところだったが、やめておいた。日付が変わってから、タブちゃんと一緒に見たら自然に騒げたのにと思ったが後の祭りだ。当初の予定通り、新年の挨拶で始めることにした。
「新年明けましておめでとうございますうー!」
頭が出てきたあたりで、明るく元気にハキハキと先回りした。先回りしないと通じないから。
「いやあ、元日なん? それにしては変わり映えせんもんやねえ」
顔を上げたタブちゃんは、頭の先から机の上に出ている上半身ギリギリまで、顎を引いて俺を眺めた。数日ぶりなのだが、本当に時間の感覚はないらしい。俺一人が感慨にふけったのみである。
「ご両親は帰国せんかったん」
「この時期は
「なるほど。それにしても、寝癖くらいなんとかしたらどうなん。って言うか、年末に散髪行ってないん?」
「あれ、タブちゃんはそういうのこだわる派?」
「あれ、ほんまに。口からスルッと出たわ」
全員が散髪して間もない頭で、朝にはおろしたての下着を身につけて。父親の生家で祖父母と迎えていたころはそうだった。
「それに、三木家代表として鏡餅も飾らんとか、どうなん」
「ドイツで飾っとるかもしれんやろ」
「お餅はあっても鏡餅はさすがに無いやろ。まあ、今更言うてもしゃーないわ。で、これから初詣?」
「そんなん行かん」
「三が日の混雑は避ける派?」
「初詣に行かん言うとんねん」
「はあー。ま、ええけどな、別に。せめてお雑煮くらい食べて欲しかったわ」
呆れたような顔を見て、彼女は家族とどんな正月を迎えていたのだろうと考える。
「サキちゃんちの雑煮は、味噌かすましか」
それこそスルッと口に出た。タブちゃん=サキちゃんがキョトンとして俺を見た。劇的な展開が俺の脳裏を駆け巡る。名前から一気に蘇る記憶に、泣くか喚くか。
だが、タブちゃんがニヤアと妙な笑いを浮かべたので、今度は俺が首を傾げた。
「そうかー。
「は?」
「は、や無いねん。間違えてカノジョの名前呼ぶとか、ふふ」
可愛らしく笑っていたタブちゃんが、あっという間に爆笑である。なんじゃ、そら。
佐々木さん、これはもう俺の出る幕じゃありません。
「彼女とかおらんし。会った言うんは同級生」
「あっ! そんなんより! なんでテレビが、あー、この家テレビ無いんやったわ。配信、配信あるやろ」
タブちゃんは、急にバタバタし始めた。
「何よ」
「お正月言うたら! 梅田と難波の二次元中継あるやろ。あれ見たい」
「二次元て。二元中継やろがーい」
「あ、そっか」
てへっと笑ってタブレットに飛びつく後ろ姿はワクワクが溢れていて、とても自分と家庭に問題を抱えたようには見えない。あくまでも俺の主観だが。
「着物の女の子、少ないんやねえ」
早速LIVE配信を見つけ出したタブちゃんは、客席が映ったのを見て残念そうな顔で振り向いた。
「振袖着て、初詣行って、お笑い見に行く。いつかやってみたいなーと思とった気がすんねんけど。実現できとったんやろか」
「早起きして、しんどそうな帯締めて、汚したらあかん言うて焼きイカも食べられんとか、どこがええんや」
「おやぁ、振袖経験の有る女の子みたいなご発言で」
「想像くらいできるわいや。せっかく着たのに行くとこないから、劇場でええかーってなるんやろ」
「それは違う!」
タブちゃんはビシッと、鼻先に指を突きつけてきた。
「年の初めに笑うんは縁起がええんや! ほれ、辛気臭い顔せんと、見よ見よ」
佐々木さんが聞かせてくれたのは、本当にこの子の話ですかと突っ込みたい。コミケから大晦日にかけてどんよりと重苦しかった俺の胸中を、どうしてくれる。
しかもだ。普段お笑い番組を見ない俺にとって、次々に出てくる出演者たちも知らない顔ばかりで、なかなか笑えない。たまにクスッとくるくらいだ。それに引き換えタブちゃんは、まさに腹を抱えて笑っている。どこがそんなに面白いんだろう。けど、たまに映る客席の人たちも大笑いだ。
「
配信にも入るコマーシャルタイム直前に俺の顔を見たタブちゃんは、驚いてから心配そうに首を振った。
「逆に、なんでそんなん大笑いできるんか聞きたいわ」
「ええー? 小難しいお年寄りみたいなこと言うて」
「どこの小難しい年寄り、思い浮かべとるんや」
「んー、一般論かな。経験豊富な付喪神としての」
「付喪神
「そうと決まったわけやないし」
「決まっとるし、死んでもないんや」
「死なんと幽霊になられんやん」
「生きとるんやて、あんた。サキちゃん」
勢いで言ってしまった。
「えっ、サキちゃんってあたしのことやったん?」
自分の鼻を指差して、彼女は目を丸くした。
「教えてくれた人がおるんや」
口の中に苦い味が広がった。
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