第27話 躊躇するもの
男性コスプレイヤーは、にこやかに握手を求めてきた。
「ありがとう。良い写真が撮れたようですよ」
彼の側に駆け寄った仲間らしき人が、デジタルカメラの画像を見せてくれた。
「これ、偶然とはいえ実に効果的です!」
ひざまずいた俺の斜め後方に、弾けるような光が写り込んでいる。佐々木さんかもしれない。ユウカさんを霊媒だと最後まで信じていた佐々木さんだから、本物の僧侶だと信じて成仏できたのだろう。そう信じることにした。
「良い芝居を振ってもらったお陰で、写真まで神がかりしました」
「この写真、SNSにアップしていいですよね?」
もちろん了承すると、2人組はまた撮影に戻っていった。作品のファンらしい女性が、俺にも「すっごく良かったです」と声をかけて彼らを追いかけて行った。
興奮したせいか寒さを忘れた俺は、ようやくぶぉーのにもう一度会いに行くつもりだったのを思い出した。時間を確かめると、そろそろ14時だ。最寄り駅の始発でやって来た俺は、参加者全体からすると早い到着ではなかった。列に並ぶ時間はその方が短いという湯浅さんのアドバイスがあったからだが、すでに撤収しているサークルも多い。『ウィッチーズ』メンバーもすでにいなくなっていた。
仕方がないので、昼食代わりのプロテインバーをかじってから駅に向かう。バーを取り出すときに目に入った冊子のせいで、家に帰ったらどう行動すべきか気が重くなった。
そういえば、タブちゃんがサキという名前であることと明石の病院に入院していることの他は、苗字も住んでいる場所も知らないままだ。佐々木さんが消えた今となっては、確かめる術もない。
佐々木さんのことを黙っていれば、タブちゃんとの関係は変わらないんだと考える。考えてしまう。
それよりも、だ。
ぶぉーのとは限らないけれど、タブレットからタブちゃんが描いた物を抜き取った人物が存在していることがわかった。タブちゃんが原作者ではない可能性を消すものではないが、そもそもぶぉーのには〈オスメス疑惑〉があるのだ。正面切って問いただそうか。
帰りの道も混み合っていたため、ダラダラと歩いていると頭の中は考え事でいっぱいになった。
そもそも、タブちゃんが事故に遭ったのはいつの事だろう。
タブちゃんは何歳なんだろう。
意識が戻らない人は、何年くらい生きていられるんだろうか。
タブちゃんは、いつから動物たちの漫画を描き始めたんかな。
小学生から不登校って、辛かったやろな。
小学生のタブちゃんは、ノートに鉛筆で漫画を描いとったんやな。
タブレットを手にしたのは、事故よりずっと前、ではない。
それまで、漫画は手書きだった。
お母さんにノートを買ってきてもらっていた。
そうだ、ノートがある!
急に立ち止まったために、後ろの人が俺の背中にぶつかって舌打ちされてしまった。慌ててペコペコ謝りながらも、頭の中では『行け行け! カマかけたれ! 当たって砕けろや!』と景気良い言葉が次々と湧いて出た。
とはいえ、そうなったらなったで、真逆のことを考えてしまうのが俺の常だ。
そもそも、タブちゃんの作品が一系統だと決めつけるのは間違っている。
小学生のころは、恋愛ものとかお姫さまとかを描いていたかもしれない。
動物たちの漫画に手描きの原型があったとは限らない。
つまり、ノートはオリジナルの証明にはならない。
イワサブローが付け加えられたのはいつからか?
なぜイワサブローだけ絵柄が大きく違うのか?
考え続けていた勢いで、俺はいつの間にか家に着いていた。電源を入れることができずに放置していたから、タブちゃんの出迎えはない。出迎えのない家は暗い。タブちゃんがいるからといって照明が点いているわけではないのだが。俺は、タブちゃんとの生活に馴染みすぎているのだな。
もうじき新年を迎えるわけだが、両親は帰国しない。一人で訪ねるほど親しく付き合っている親戚の家も近くにはない。去年も同じようなものだったし、正月に寄せる特別な感情もないのだが、タブちゃん抜きで過ごすのは耐えられない。
明日はもう大晦日だ。明後日の朝は普通に電源を入れよう。元気よく新年の挨拶をしよう。それまでに〈もりもり山〉を読んで、タブちゃんに話すべきことを考えよう。
帰宅後のルーティーンをこなし、買い置きのカップ麺を食べてから、俺は買ってきた冊子を手に取った。情けなくも魔女の方だ。結局俺は怖いのだ。タブちゃんを怒らせること、悲しませること、嫌われることが怖いのだ。
そもそもの設定がわからないので、魔女の本の内容はさっぱり頭に入ってこなかった。ボンキュッボンのお姉さまやロリっ子、王道ともいうべきキャラクターたちの絵柄は好みなだけに残念だった。事前に調べたところでは本家は結構シリアスな展開のようだが、だからこそか、ギャグ寄りなのもとっつきにくい。それでも本家への愛の熱量が伝わってきたのので、なんとなく拝んでから本棚に収めた。
それから。さあ、向かい合う時が来た。
俺は〈もりもり山の動物たち〉の表紙をめくった。
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