第26話 信じるものは救われるか?

 タブちゃんが吸い込まれたという例のタブレットは、病院からほど近い買取ショップに持ち込まれた。思ったほどの値がつかなかったせいだろう、弟はいかにも不機嫌な顔つきで帰っていったそうだ。

 佐々木さんはなんとかしてサキちゃんを呼び出そうと頑張ったが、ショップにある間は何も起きなかった。

 例によって時間の経過は不明だが、ようやく売れて電源が入れられ、どこかの誰かの部屋に彼女は現れた。俺が見ているのと同じワンピース姿でぬるりと現れたとき、佐々木さんは初めて瞼を開けた彼女を見たのだ。

[サキちゃんが私を知らないのは当然だから、驚かせてしまうだろうと覚悟はしていました。だけど、気づいてもらえないとは思いませんでした]

 以来何人かの持ち主の元を渡り歩いたわけだが、タブちゃんと意思の疎通ができたのは俺が本当に初めてだそうだ。

「佐々木さんのことが見えないのは、俺も同じだったわけですが。幽霊、だからですかね。すみません」

[謝ることはないですよ。つまり、サキちゃんも幽霊ではないから私が見えないと、そういうことだと今は理解しています。あなたも理解していただけましたか?]

「それは、もう」

[では、その理解の上に立って、お願いします。彼女にまだ生きているということをわからせて、体に戻るよう説得してください。これは三木さんにしかできないことです]

 すぐに「はい、わかりました」と言うのを待っていたのだろう。佐々木さんは黙ったままの俺を不審げに見た。

[何度も言いますが、私には時の流れがわかりません。サキちゃんに残された時間があとどのくらいなのか、全くわからないのです。でも、そう長くないことは確かです。あまりにも長く体を離れていたら、二度と戻れなくなってしまいます]

 俺は、冷え切ったこぶしを握りしめて、なんと言うべきか考えた。

 佐々木さんは、弟の言葉を呪いと表現した。タブちゃんはそれを真に受けたのだろうか。死ぬべきだと思い定めたものの、自発的には不可能だ。タブレットについて行ったのは、大切な作品が消されてしまうことを止めたい一心からの偶発的な出来事だろう。意識、生気、魂、どんな表現でもいいが、体を置いて抜け出す方法を知っていたはずがない。だが、実際に抜け出してタブレットと一体化したとき、やった!と喜んだのではないだろうか。自分のことを忘れてしまう前に、わずか一瞬でも。

 一連の出来事を思い出させ、体に戻れと言うのは、彼女にとって良いことなのだろうか。そもそも戻れたとして、起き上がって活動できるようになるのだろうか。

[何を迷うことがありますか。無茶をしたせいで、私ももう、現世に留まってはいられないようです。ここに迎えに来てくれた祖母がそう言っています]

 佐々木さんは、横を向いて頷いた。なんと、そこにもう一人幽霊がいるのか。

[心残りを無くして成仏しないと、主人に会うことも叶わなくなるとか。それは嫌です]

「そうですよね。どうぞ、おばあさんと一緒に行ってください」

 俺としては親切心で言ったつもりなのに、佐々木さんは目を吊り上げた。

[心残りを無くしてと言ったでしょう! サキちゃんにきちんと話をするのを見届けますとも! さあ、早く帰りましょう!]

 げえ、と思った。それ以上の感想は出てこない。げえ、だ。

[ぼうっとしない! ほらほら、さっさと歩く!]

 俺のような者にも丁寧に話してくれていた佐々木さんが、焦りからか小うるさい先生状態になってしまった。しかも、俺の尻を叩いたではないか。叩かれた感触は無いものの、外気の寒さ以上の嫌な寒気が尻から腹へと突き抜けた。これ以上叩かれたらたまらないと、文字通り震え上がる嫌な寒気だ。

 やむなく歩き出した俺は、前方にコスプレイヤーたちと彼ら彼女らを囲む人々を見た。そして、なんらかの力を一時的とはいえ奪われたユウカさんのことを思った。その途端、佐々木さんに対する強烈な怒りが込み上げた。

 善意の人だけど。タブちゃんがサキちゃんであった真実を知れたけど。

 怒りのせいでずんずん早足になった俺に、佐々木さんは無邪気に喜んでいる。

[良かった。やっとその気になったのね。せっかくだから、思い出したことを教えてあげましょう]

 黙っとれダボ、と思いつつも耳は反応する。

[何人目かの持ち主が、勝手に増える漫画を気味悪がって友人に相談したことがあったわ。その友人がタブレットを預かって、自分のパソコンに漫画を取り込んで]

「なんやて?!」

 いきなり大声を出して振り向いた俺に、周囲の人間たちと佐々木さんが驚く。

[それがさっきの人かは覚えていないわよ。全く、盗んだの盗まないの、ねえ。プロでも無いのに、たかが漫画のことになると]

「たかが?! たかが漫画やと?!」

 周囲が引くのがはっきりわかったが、怒りは止められない。

「ずっと、そんなん思っとったんかい! 犯罪やぞ! 盗作は物を盗むんと同じおんなしなんやぞ!」

[なんなの、急に]

 幽霊である佐々木さんが、怯えた顔で後退った。ついでに周囲の人々もだ。

「たかがやないねん! 金になろうがなるまいが、創作物は大事なもんやねん! 作者は心血そそいどるんじゃ! たかが幽霊にはわからんこっちゃろけどな!」

 怒りに任せて怒鳴り散らしていると、横手から重々しい声が掛かった。

「そこのお方、気の合わぬ霊に憑かれておるな」

 見ると、俺でも知っている人気アニメの僧侶キャラに扮したコスプレイヤーが歩み寄ってきた。僧兵のような衣装で、素足に高下駄。まくり上げた袖からのぞく腕の筋肉は本物の、迫力ある男性だ。

「お助けください! 愛する漫画をけなされて、難儀しております!」

 俺らしからぬセリフが口をついて出た。

[ちょっと、三木さん、なんてことを]

「よかろう。行き合ったのも何かの縁。拙僧が引導を渡してやろう」

 俺は手を合わせて彼の前にひざまずき、彼は堂々と経を唱えた。そして気合一閃、彼が太い数珠を握った手を振るった後、振り返ると佐々木さんは消えていた。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 自然と本物の涙が滲み出た。周囲の大きな拍手に包まれて、俺は脱力した。

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