第24話 彼の言葉

 佐々木さんは、かなり話し慣れた人らしい。俺がちゃんと理解しているか確かめながら、タブちゃん=サキちゃんとの出会いを教えてくれた。


 佐々木さん夫婦が旅行中のことだ。旦那さんが突然倒れて、救急車で病院に運ばれたのだという。直前までなんの兆候も無かったのに、脳梗塞だったそうだ。旅先の病院での入院生活は、さぞ大変だったことだろう。意識の戻らないご本人よりも、妻である佐々木さんの方が苦労があったに違いないのだが、そこら辺の記憶は曖昧なのだそうだ。

[苦しかったとか、辛かったとか、そういう記憶はほとんど無いんです。死ねば忘れるようになっているんでしょうかね。苦しい辛い恨めしいと出てくる幽霊は、よっぽどの強い思いがあるんでしょう]

「そうですか」

 そうとしか言いようがない。

[ともかく、主人が入院していた病院で、サキちゃんに出会いました。彼女も入院していたんです]

 お互いナースステーションに近い病室だったためか、毎日通っていたサキちゃんのお母さんと顔見知りになり、言葉を交わすようになったという。

[サキちゃんは、交通事故だったんですって。後部座席に乗っていて外に投げ出されたとかで、意識が戻らないと聞きました。お母さんは、毎日毎日ベッドの横でサキちゃんに話しかけていて。話しかけで意識が戻ることもあるんですってね。どういうきっかけだったのかはわかりませんが、私もベッドの横に並んで座って、サキちゃんについてのお話を聞かせてもらうようになったんです。小さいころの話が多かったですね。まるで一緒になって記憶を取り戻す作業をしているかのような、あなたはこれこれこういう人間として育ってきたのよと言い聞かせるような。特別な話は無かったと思いますけど。ちょっとした、愛らしい逸話ですよ]


 佐々木さんの話を聞いていて、俺は胸が苦しくなった。意識の戻らない家族を見守る二人の女性が寄り添う様を、想像してしまったからだ。不慣れな旅先での突然の病もだが、年若い娘を前にした母親の姿を思うとたまらない。


「ところで、病院の場所はどこだったんですか」

[明石にありました。でも、お母さんは遠くから通っているような口ぶりでした。私たち夫婦は、その後淡路島に行く予定だったんです。結局二人とも、一度も淡路に足を踏み入れることなく終わってしまいましたがね]

 佐々木さんは懐かしそうな眼差しになったが、すぐにキリッとした顔つきに戻った。

[そう。サキちゃんたちの家は病院の近くではありませんでした。だからか誰もついていないこともあったし、私が一人でベッドの横に座っていることもあったんです。本人はいろいろな機械に繋がれているし、ナースステーションでちゃんとわかりますから、命の心配は無かったんでしょう。お父さんをお見かけしたことはほとんどなかったけど、働いていれば難しいでしょう? 不思議には思いませんでした。付き添いとかそういうことは、女に任されがちですから]

 眉の辺りに不機嫌そうな影がよぎる。

[でもね。ある日、お母さんによく似た男の子が病室に一人で来ていて、びっくりしました。サキちゃんは一人っ子だと思い込んでいたから。どうしてかしら? お母さんがそういう話し方をしたから? そこはちゃんと思い出せません]

「幾つくらいの子ですか?」

[さてねえ、中学生か高校生か。線の細い、神経質そうな子でしたよ。その子、三木さんが買ったあのタブレットを、目を閉じたままのサキちゃんにこう、掲げていたんです]

 佐々木さんは、握り込んだ両手を頭上に掲げてみせた。

[まるで、それで殴りかかろうとしているみたいで、もうびっくりして、部屋に入ってしまったんじゃないかしら、私。でも、その子は私のことなんか見向きもしませんでした。どうしてかしら。まるで見えないようでしたよ。まだ死んでいなかったはずなのに]

 腕組みをしてうーんと唸った佐々木さんだったが、気が急いた俺は「どうなったんですか」と前のめりになった。

[殴ったりはしませんでした。でも、その子は呪いの言葉を吐きました]

「呪い?」

[お前は、どこまでも俺の邪魔をするんだな。さっさと死んでくれ、そう言ったんです]

「弟が?!」

 俺は驚いて大声を出した。屋外で冷えた体が、また一段と冷たくなった気がした。

 佐々木さんは辛そうに頷いた。

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