第20話 顔を合わせて

「本当は彼との話をもっと聞きたいんだけど、また今度よろしく。待ってもらったから、必要なことだけ説明するね」

 注文無しで本題に入る湯浅さん。バイト仲間には断り済みなのだろう。

「結果として私のコスも見てもらえるわけだけど、目的は〈もりもり山〉でしょ?」

 ここで調子の良いことを言う必要はないと判断して、素直にうんと頷いた。

「サークルは『魔女戦記』の二次創作やってるの。それは知ってる?」

「サークルが『ウィッチーズ』っていう名前なのは知ってるけど、内容は知らない。アニメ?」

「スマホゲームだよ。アニメ化されたらいいよねーって言われてるけどさ。もしかして、会場の地図とかもう調べた?」

「ぶぉーのさんのツブヤキを見たから。でも実際、大混雑するんだろ」

「そうそう! 初めてだとびっくりするよー」

 それから湯浅さんは、初心者向けの心得をアドバイスしてくれた。あちこち見て回りたいわけじゃないと告げると、それに応じた説明をくれて助かった。

「〈もりもり山〉はTubuyaiterでも伸びてるけど、サークルのメインじゃないから。まあ、三木君が表のファンじゃないのはバレバレだろうけど、一応控えめにね」

 何を言われているのかわからなかったけれど、頷いておく。

「ぶぉーのさんには、私の友だちが来るからって言っておくけど、当日はあくまでもマジョリーナとして参加するから、そこのところよろしくね」

 マジョリーナというのが、今回コスプレするキャラだということは理解した。

「試験期間が終わったころに、今日のおトモダチの話、改めて聞かせてね。じゃあ、会場で!」

 湯浅さんは田中三郎に一目惚れをしたのだろうが、調子の良いあいつに振り回されて、がっかりする未来が見える。そうしたら、どうやってフォローしよう? まあ、その時はその時か。


 生まれて初めて始発電車に乗って、サークルの場所にたどり着くまでのことは、あまり思い出したくない。寒風吹き荒ぶ中、周囲の全てが歴戦の勇者に見えて、狩られるウサギになった気分だった。勇者にとって、ウサギなんか狩る価値もないと後になってみればわかる。けれども、ウサギは常に怯えているものだ。

 タブちゃんが描くウサギのピョンタは仲間内では強気だが、自然災害や人の気配には誰よりも臆病だ。耳が良いばかりに遠くの銃声にも怯え、手近な穴に飛び込んでトラブルに巻き込まれたりする。地蜂の巣穴に飛び込んで集団で追いかけられ、仲間たちまで巻き込まれる話もあった。ピョンタが助けを求めたイノシシは方向転換できず、イノシシの前方にいたシカが逃げ出し、シカの角を恐れたクマが逃げ出して、蜂を発見して追いかける。ウロボロスの輪のごとき追いかけっこは、イワサブローが右手に花束、左手に蜂蜜の壺を抱えて登場したことで唐突に終わった。蜂たちは花束に群がり、クマが蜂蜜に前足を伸ばしたからだ。

 動物たちのエピソードを思い返しながら長い列に並ぶ時間をやり過ごし、俺はイワサブローのようにグニャグニャになった気がしながら、湯浅さん、もといマジョリーナの前に立った。前に見せてもらった写真よりは、細部にこだわった衣装に見える。短いワンピースの上に深い緑色のローブを纏った魔女。合わせ目からのぞく足は素足に見えたが、何か温かいものを履いているのだろう。じっと見てはいけないだろうから、よくわからない。視線を下げたらヒールの高い靴の先端が目に入った。くるりと巻き上がった装飾がされている。繋ぎ目がわからないくらい、良くできている。

 コス売り子というのは、愛想を振りまくものではないらしい。マジョリーナがどういった性格なのか知らないが、淡々と求められた本を渡し、代金を受け取っている。テラテラ光る素材の薄い本の表紙にはマジョリーナが大きく描かれているから、アピール度はなかなかのものだろう。俺の目当ては長机の端、マジョリーナ•湯浅嬢の反対側に、ひっそりと重ねて置かれただけだ。

 実名を呼んで話しかけるなと言われていたので、順番が来てから頭を下げるだけにした。それでも『もりもり山の仲間たち』と、興味のない魔女本をを一部ずつ買い求めると、湯浅さんは振り返って後方にいる地味な女性に声を掛けてくれた。化粧っ気もなく顔色が青白いその人は、マジョリーナが大きくプリントされたグレーの半袖Tシャツを長袖の上に着込んでいる。

「お買い上げ、ありがとうございます」

 聞き取りにくいくらいの小さくかすれた声で、その人は言った。

「ぶぉーのです」

 わかっていたのに、本人の口からその名を聞いた途端、ピクリと手が震えた。




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