第18話 イブの邂逅

 どれくらい、学食に座っていただろう。カレーライスはすっかり冷たくなり、手にしたスマホの画面は消えたままだった。俺は、そこに映る自分の顔を見つめた。ひどい顔だった。

 こわばった手を動かし、残りを何とか食べきって、のろのろと食器を下げた。歩いていても、頭の中に浮かぶのは『ぶぉーのの話の続きはどうなっているのだろう』ということばかりだった。イワサブローのいない世界を俺は知らない。

 そうしているうちに、全ての間違いの元が己であったのではと思い至った。ぶぉーのの作品に触れたタブちゃんが、それを気に入っていたとしたら。キャラクターを付け加えて、自分だけで楽しんでいたのだとしたら。何も悪いことではない。世間に出せと言った俺だけが間違っていたのだ。

 荷物を置いていた席に戻って、俺はまた腰を下ろした。

 タブちゃんは、ぶぉーのの作品にいつ触れたのだろう。その人が、あのタブレットの持ち主だったとしたら、いろいろ説明がつく。〈自分に描き込まれた作品に喜ぶタブレットの図〉が浮かんだ。立ち上がったタブレットに短い手足が付いたものだ。妖怪ぬりかべのように。これはタブちゃん付喪神説に繋がるかもしれない。

 妄想は膨らんで、タブレットに小さな目がついた。体に動物たちを描き込まれて、くすぐったがるタブちゃん、もとい、タブかべ(仮)。口元に苦い笑いがこみ上げてきた。妄想の中のタブかべの目は、無邪気に笑っている。


 俺になんか見つからなければ、そのまま笑っていられたのに。

 自ら絵を描くタブかべは、謎の現象を嫌悪されて何度も売られたという。電源を切られたままの時期だって長かっただろう。完全な無の期間と、たまに訪れる楽しい期間。それで十分だったのかもしれない。

 なぜ、霊感も無い俺に見えるんだ? 会話できるんだ?

 電源を入れることを止めて、売ることもせず、一生使わないでしまっておいたら良いのだろうか。

 いや、それでは文字通り、死蔵だ。

 死。

 俺がタブちゃんを、2度目に殺すのか。


 俺は勢いよく立ち上がった。椅子が引っかかって大きな音を立てたので、周囲にペコペコしながら急いでその場を離れた。

 俺の足は、深い考えも無しにあのファミレスに向かっていた。というより、妄想するな、行動しろとだけ自分に言い聞かせていた。店に到着して一歩踏み込んで、自分でもびっくりした。

 中途半端な時間のファミレスはそこそこすいていたけれど、混んでいた方がよかった。そうすれば、そのまま引き返せたのにと後悔しているところに、湯浅さんがやって来た。

「いらっしゃいませー。ご来店ありがとー」

 後の方は小声で言って、彼女は屈託のない笑顔になった。席へと案内しながら、更に「イブまでバイトして偉いでしょ」と言われた。

「本当だね。衣装できた?」

 俺も小声で問う。

「あはっ、後少し」

「見に行きたいんだけど」

 前を行く彼女の肩がピクッと動いたのを見て、失言かと身構えた。

「こちらのお席でいかがでしょうか」

 営業用の声になった湯浅さんはしかし、座って見上げた俺に、一段階上がった笑顔を向けた。

「こちらが期間限定のお勧めでございます」

 白いチーズソースのハンバーグと、雪だるまを模したスイーツの写真が載ったメニューをテーブルに置いて、彼女はわずかに屈み込んだ。

「後1時間くらいで上がるんだけど、それまで待つ時間ある?」

「え?」

 申し出に驚いた俺に、彼女はなぜか誇らしげな顔を向けた。見間違いだろうか。

「当日のアドバイス、してあげたいんだけど」

「待つよ」

「じゃ、後でね」

 思わず請け合ってから、俺はここに来てしまった理由を考えた。コミケという未知の世界に、踏み出す勇気が欲しかったのか。行ってぶぉーのに会う。タブレットを差し出して、所有したことがあるか問う。彼女とタブちゃんの反応を見れば、俺が次にとるべき行動を決められるだろう。

 よしっと己に気合いを入れてからメニューを開き、うんと早めだが夕飯にしてしまうかと考えていたら「よお」という声が降ってきた。

「えっ」

「奇遇だな」

 そこに田中三郎が立っていた。俺の返事を待たずに、向かいの席にするっと座る。いや、困る。困るが、そうと言えない。

「すみませぇん」

 田中は、通りがかった店員を呼び止めた。

「あそこの席にいたんですが、知り合いに会ったんで、席移ってもいいですか?」

 おいっ!

「よろしいですよ。ご注文はお済みでしょうか」

「まだです」

「では、こちらのテーブル席2名さまに変更しますね。お水は」

「あっ、自分で取りに行くんで大丈夫です」

 田中三郎め、俺が何も言えないうちに、水の入ったコップと開封済みのおしぼりを回収しやがった。

「俺が待ち合わせ中だとか思わないのかよ」

「えー、そんなことあるぅ?」

 ちくしょう。そうだよな。

「逆にお前は」

「さっき解散したとこだ。疲れたから甘物あまもの摂取しようと思って」

「帰ったらケーキがあるだろ、どうせ」

「だろうけど、飯の後だ。うちはそういう家なんだ」

「待てないのか」

「あれー、なんだか冷たいねえ」

 不安とイライラが態度に出ていたかもしれない。心の内で自分をなだめ、俺は黙ってメニューに視線を戻した。そのままで田中に問う。

「いつ俺に気付いた?」

「水取りに行って、席に座って、なんとなく店内見回したら、いた」

 湯浅さんとのやり取りは見られていないようだ。少しだけホッとした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る