第16話 嘘と誠

〈ぶぉーの〉は東京在住のOLで、20代前半。二次創作以外の作品は『もりもり山の仲間たち』が初めて。Tubuyaiterのフォロワーは約4千人。湯浅さんと面識があり、架空の人物ではない。ちなみに、関西弁ではないそうだ。

 それだけの情報を仕入れるために、飲み物を何回かおかわりして、コミケとコスプレの話に付き合った。

「筋金入りのオタクっていうのは間違いだったけど、すっごく素質あるよね。今日は楽しかった。ノートもありがとう」

 湯浅さんはそう言って、満足そうに帰っていった。

 俺は困惑と疲労感、限界近い膀胱を抱えて、近くのビルのトイレに駆け込んだ。そのビルには行きつけの書店があるので、トイレの場所は熟知している。

 帰り着くまでに話す内容をまとめておこうと思ったものの、浮かれ気分と忙しなさの同居する街は、考え事をしながら歩くのに不向きだ。結果、出たとこ勝負ということで玄関の鍵を開けることになった。

「お帰りーぃ」

 集中タイムではなかったのか、タブちゃんはキッチンとの仕切りのドアをすり抜けて出迎えてくれた。

「ただいま」

 声は震えていないか。責めるような顔をしていないか。不安でいっぱいの俺を、後ろで手を組んだタブちゃんはジロジロ眺め回した。

「するね、するね。他の女の匂いがするねえ」

「なんや、それ誰の真似や」

「なんやっけ。なんかの悪い魔女」

「あっそ」

「阿蘇は熊本県」

「小学生か」

 言葉は交わしつつも、俺はタブちゃんの顔を直視することができなかった。

「タケちゃん」

「はい」

「人の目ぇ見て話せんのんは、やましいことがあるからや。まあ、あたしは人やないけれども」

「はいはい」

「手放しとぉなった?」

「はあ?」

 予想外のことを言われたせいで、びっくりして顔を向けたら目が合った。

「さっき会うて来た子ぉのせいで? あたしがおったら邪魔?」

「いやいやいや、待て待て待て。同級生と話しとっただけやがな。匂いでもするんか?」

「匂いはわからんもん。温度と味もわからんけども。五感って後何やっけ。視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚か。触覚もほぼ無しやね」

 指を折りながら数え上げたタブちゃんは、俺の真正面に回った。

「お別れする前に、古道具屋連れてってー」

「お別れって、止めぇや。誰もそんなん言うてないがな」

 俺の頭にタブちゃんが消えた部屋が一瞬浮かんだ。寒い。

「それに古道具屋て、よう入らんわ。店の親父に睨まれそうや」

「親父とは限らんよ。超絶美人なマダムが出てくるかもよー。いらっしゃいませぇー」

 タブちゃんは珍妙な甲高い声を発してお辞儀をした。何かの真似らしい。

「美人なマダムがそんな挨拶するかい」

「それはそれとして。なあ、連れてって」

「なんのために」

「創作系付喪神探しに。硯とか文鎮とか鉛筆削りとか」

 創作という言葉に虚を突かれてツッコミを忘れた俺は、疑いに確信を得たタブちゃんの目に射すくめられた。

「何があったん」

 もう後回しにはできない。

 俺はスマホを取り出して、〈ぶぉーの〉のアカウントと作品のスクリーンショットを表示すると彼女の前に押しやった。

 タブちゃんは頬を赤らめることがある。血が通っていないのに。しかし青ざめることはないと、このとき知った。生きた人間なら蒼白になったであろう表情だった。

 横向きのスマホの画面に2枚表示していたものを拡大しようと思ったのだろう、親指と人差し指のみ伸ばしたタブちゃんの右手は、机まで貫通した。

「出来んのやったわ」

 泣き笑いの表情で、彼女は右手を左手で押さえた。震えていたのだろう。

「あんた、やって」

 俺は黙って頷くと、まずはアカウントを拡大した。それから作品を。ウサギとシカが描かれた場面だ。ウサコとシカオ。

「ピョンタとツノタロウちゃうん。なんなん、これ。どういうこと」

「俺も知りたいわ」

 タブちゃんは、飛びつくような勢いでタブレットを操作した。後ろに回った俺は、そこにTubuyaiterが表示されているのを見て、胃の辺りに重い衝撃を食らった。

「アカウント、いつ作ったんや」

 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせてようやく声を出せた。

「えーっと、あんたが3回か4回寝て起きたかな」

 タブちゃんは、自分のツブヤキを開いた。ツブヤキはまだ少ない。対するgoodマークも少ない。そもそもフォロワーはいない。

「なんで、作ったこと黙ってたんや」

「フォロワーおらんし、恥ずかしいし」

 タブちゃんは消え入りそうな声で言った。

「すぐ削除せえ。アカウントごと」

「なんで」

 静かに言ったつもりだが、タブちゃんは目を見開いた。

「あっちはフォロワーも多い。盗作、っ」

 どっちが盗作なんだ。そう思った瞬間、言葉に詰まった。そうだ。俺はどっちが、と思ってしまったのだ。

「あたしが、あたしが盗作した言うん」

ちがっ! けど世間は」

「世間はそう思うんか。元人間としては、人間の倫理に沿う必要はないて思うけど、それでも」

 タブちゃんは、タブレットの上に両手を乗せた。

「わからん。なんでこんなことになったんか、わからん」

 そう言いながらタブちゃんは泣いた。大粒の涙が後から後からこぼれ出た。幽霊も泣くんだ。俺には触れないあの涙は、どこから来てどこに行くんだろうか。付喪神も泣くのかな。泣くんだろうな。

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