第14話 デートもどき
俺のノートを褒めちぎってくれた女子は、二、三回分どころか結構な枚数をコピーした。一瞬『これを誰かに売るんじゃないか』という考えがよぎる。そして、そんなことを考えた自分を最低だと、また思う。
「ありがとう! これで今度の試験は何とかなりそう」
ノートを返して寄越しながら、彼女は輝かんばかりの笑顔を向けてきた。
「それは良かった」
「三木君は司法試験目指してるの?」
俺はひゅっと息を吸い込み、唾が変なところに入ってむせた。
「やーん、大丈夫?」
「だ、大丈夫」
この女、なんで俺の名前を知っているんだ?
「司法、試験は、受けない」
「そうなの? まあ、人それぞれよね。私なんか、何のために大学入ったのかもわかんないくらいだけど」
「それはそれで。色々だから」
入学した後に目標を失ったとしても、4年間の間に他にやりたいことが見つかれば、それはそれで良いのではないか、と言いたかったのだが。
「そうだよねっ。私、結構な田舎の出身なのね。大学に入ってから、憧れのコミケに初めて行けたし、お友だちもできたの。実はゆうべの徹夜もコミケの関係でさ」
「漫画描いてるんだ?」
タブちゃんの姿が浮かんで、思わず前のめりになってしまった。
「ううん、そっちじゃない。絵の才能も無いし。私はコスウリコやるんだ」
「は?」
「……え?」
俺たちはしばし見つめ合った。
「ごめん。三木君って、そっちの興味無い人?」
「そっちって」
「うわ、ごめんねぇ。私、てっきり」
てっきり何かは言わなかったけれど、どうやら失望されたようだ。それよりも、2回も謝らせてしまった。また、やってしまった。俺が激しく落ち込んでいる間に、彼女もそれなりに考えるところがあったようだ。
「ねえ、まだ時間ある?」
「うん。他の教科のノートとか?」
「ううん。私、ファミレスでバイトしてるんだけど、今日は休みなんだ。社員割使えるから、お礼に奢るよ。どう?」
「えっ、そんな、いいよ。たかがノートだし」
「されどノートだよ」
おお、彼女と話して初めて『よっしゃ』と思った。
会話は球技のラリーのようなものだと思う。長く続けたければ、相手が返しやすいところに打つべきだ。俺は打ち返してもらう前に、悪いところに飛んでくる想像を止められず、返しやすいはずのコースを外してしまう。知っているのに直せない。それでも拾って返す力量のある相手、もしくは悪い想像をする隙を与えない相手となら楽しい会話ができる。
俺の表情から何かを読み取ったのだろう、彼女は「決まりだね! 行こっ」と歩き始めた。
振る舞いが堂々とした人物に逆らうことはできない。それが俺だ。
どこの何というファミレスなのか説明しないで歩き出した彼女のやや後ろを歩きながら、俺はようやくその全身を観察することができた。
ぼんやりと顔を向けた方向に座っていた女子に「視線がいやらしい」と言いがかりをつけられて以来、意識をあえてぼやけさせる努力をしてきた俺だが、タブちゃんと暮らす(と! 暮らす!)ようになってから、ささやかな観察くらいはできるようになった。
依然として名前不明の彼女は、探偵のマントを短くちょん切ったような焦茶色のコートを着て、冬らしい生地の黒い半ズボンと黒いタイツ、履き口にフェイクファーの付いたハーフブーツ姿である。長い黒髪は先端をギザギザにカットしている。化粧は割と濃い。まつ毛がバシバシしていて重そうだ。そんなのしない方が可愛いだろうにと思ってしまう。以上。
「……だからさ、私がやるよって言っちゃったの。でも、それが良かったんだよね」
「良かったんちゃう?」
「あれ、三木君って関西の人?」
しまった!と思ったときには遅かった。相手に気取られないように観察していたら、相手の話も聞いていないという間抜けをやらかした。その上に、喋りのスイッチが切り替わっていたようだ。
彼女の目がキラリと光った、気がした。
関西弁なら面白いことを言って当然という反応は、印象操作ではなく実際にある。俺みたいに気が利かない人間は、勝手に期待されて勝手に失望される。最近の俺は、タブちゃんとノリツッコミを堪能できているが、それは相手も合わせる気があるからだ。一人でも面白いことを言えるのは、それなりのスキルを持った人間だけなのだ。
「いや、親が関西」
「へえ。あ、ここが私のバイト先」
駅近のビルの二階を指差す彼女を見て、助かった、と思った。話の流れが逸れたのも、手頃な価格帯の全国チェーンだったのも。
「ご飯には早いよね。でも軽くなら食べられるでしょ」
安い物を選ぶ配慮くらいできるから大丈夫だよと言いたかった。もちろん言わないが。
彼女について店内に入ると、受け付けの中年女性が嬉しそうに寄ってきた。
「あらあ、ユアサさん。うちでデート?」
「違いますよぅ。それだったら隠れてしますもん」
ユアサ。湯浅と書くのだろう。名前が分かった。なるほど、五十音順だと近い苗字だ。どこかで接点があったのだろう。
彼女は女性にヒラヒラと手を振り、案内を受けずに窓際の席に向かった。
「お水とかは、ドリンクバーのところから自分で取るんだけど」
「あ、取ってこようか」
「わわわ、要求したみたいになっちゃった。違うからね。注文決めてから自分でやろうね」
「うん」
彼女は二つ用意されているメニューを一つ俺に渡し、もう一つを早速開いた。俺は彼女が見ているページをさりげなく確かめながら、自分も選んでいるふりをする。彼女はデザートのページに留まっている。それならこっちはサラダあたりにしておこうと決めた。
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