第12話 その題名は
タブちゃんは、近頃ますます熱心に漫画を描くようになったようだ。
以前は俺の留守中しかタブレットを触らなかったのだが、学校の課題をやる前などに「しばらく使わんよ」と宣言したら、遠慮なく描いている。
「つぶれタヌキのイワサブローさんはご在宅ですかー? あいよー。邪魔するでー。邪魔するんやったら帰ってー。はいよー」
新しい話に取り掛かるときは、この一連の独り言が欠かせないらしい。初めて耳にしたときは描いているのかと驚いたが、実際にこんな場面は無い。
お決まりの〈つぶれタヌキのイワサブローさんはご在宅ですか?〉の後には、クマキチなりピョンタなりの名前を呼んで「お入り」と応じるのである。
「なあ、まだ始めてないやろ、アレ? アカウントくらい作ったんか?」
身体の疲れという概念からは解き放たれたタブちゃんだが、ネタに詰まると床にゴロゴロし始める。その様子を見て声をかけてみた。
「うん。けど、もうちょっと考えてから」
「まあ、急ぐことないけど。ところで、タイトルはやっぱり『つぶれタヌキのイワサブロー』なん?」
「やっぱりって何よ。『イワサブローかく語りき』やで」
「えっ?」
マジかと言いかけたのを、何とか堪えた。
「格好ええやろ」
「うーん」
思わず唸った俺は、ややあって正直に「微妙?」と言った。
「なんでやの!」
「中身と
「それはわざとやし! イワサブローがタヌキ望ある立派なタヌキやいうことを……あれ? お客さんにタヌキはおらんわ、今のとこ。となると、タヌキ望やのうてケモノ望がある言うた方が正しいんかしら」
「はいはい。けど、どっかで聞いたことあるタイトルやな」
「『ツァラトゥストラかく語りき』」
「それや!」
「読んだことある?」
「無い」
「あたしも無い」
「無いんかーい」
タブちゃんは、ぺろっと舌を出した。
「最近は『かく語りき』やのうて、『こう言った』になっとるらしいけど。一応検索しといたんよ」
「それはそれとして、つぶれタヌキのイワサブローでええ思うけどなあ」
「題名でつぶれタヌキっちゅうんは、ちょっとアレやない?」
「その言い方はどうかと思うわ。そもそも、つぶしたん自分やがな」
この場合、自分は二人称である。
「あら、そやった。ふふ」
タブちゃんは突然横を向いて、含み笑いをした。
「あたし、神様みたいやん。イワサブローの運命を左右した」
「創作っちゅうんは、そういうもんやろ」
「付喪神の本領発揮やね。創作系の付喪神の皆さんに
「付喪神説、気に入ったもんやなあ」
「幽霊より納得いくやないの。そうかー。神様も案外こんなして、この世界を創作しとるんかもな」
タブちゃんは、己が生み出したイワサブローをペン先でつついた。つぶれたタヌキの背中に黒い点がポツポツと付く。
「ふふ、このまま虫がたかったことにしたろっかな」
「ひどい神様やな」
「案外こんなもんやで、きっと」
タブちゃんは鼻歌を歌いながら、タブレット上に描き込んでいく。何の曲だろうと思って聴いていたが、分からなかった。案外、タブちゃんが適当に作ったのかもしれない。雰囲気は昭和っぽいんだが。うっかり『何歳やねん』とツッコミかけて、危うく踏みとどまった。女性に歳を訊いてはいけない。
しかしである。タブレット端末の歴史上百歳越えはないと思ったのだが、それはあくまでも端末が、である。
ちなみに俺は、付喪神説は論外だと思っている。百年大切に使われたからこそ、モノにも魂が宿るのだ。タブちゃんが生気をちゅちゅう吸うとも思えないし。コンピューター系が自我を持つというお話はあるにせよ、タブちゃんのような人間臭さは持てないだろう、という気がする。
付喪神でないとするならば、端末に未練、執着、心を残した幽霊の出番だろう。元人間。その人物が見た目通りの若い女性とは限らない。若さにこだわりのある婆さんだったかもしれないし、大人になりたかった少女かもしれないし、女性ではなかった可能性もある。
幽霊は、死の瞬間に強く思ったことに関係した姿で現れる。
それが、タブちゃんと出会って以来読み漁ったネット情報から、俺が得た仮説なのだ。
「あれ、また難しい顔してる」
慌てて顔を上げると、ペンを持ったまま俺を凝視しているタブちゃんと目が合った。
「まーた、あたしの成仏できん原因とか考えとったんやろ」
咄嗟に返事ができないことが、返事になってしまった。それでもタブちゃんはサラッと流してくれた。
「なあ、鳥獣戯画って知っとぉよな?」
「ああ、あれ? ウサギやカエルの擬人化的な」
「ウサギの絵ぇ検索してたら、よう出てくるんやわ。あたし、ああいうの描きたいな」
「ウサギはええけど、俺はカエル好かん」
「そういう話ちゃうやん。あたしのんはセリフあるけど、セリフなしでも伝わるような、そんなんもええなーって」
「わかる、ような」
「あたし、なんぼでも描く時間あるやん? そしたら却って悩んでもぉて。いつまでも始める踏ん切りつかんのよ」
「うーん。コンテストでもないし、いっぺん試してみて、何なら削除してもええやん。それでもどうしても嫌やったら、別に止めたらええし。好きに描いとったらええんやぞ」
「いつまでも?」
「いつまでも!」
俺は軽く請け合ったが、なぜだが体の奥にチクリとした痛みが走った。
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