第10話 成仏の条件
「あたしが、プロの、漫画家に、成ろうと、してた?」
考え考え口にしてから、タブちゃんは両手で頬を挟んだ。
「そうなん?」
「いや、知らんわ。俺に聞くとこ
「うーん、そうなんかな?」
「こういうとき、イワサブローは話聞いてくれそうやな」
「せやねん!」
タブちゃんは、パッと放した両手をパタパタ上下させた。
「イワサブローはタヌキボーがあるんよ」
「タヌキボー?」
「人望がある、って言うやろ」
「タヌキ望かーい!」
「誰彼相談事を持ちかけてきたり、喧嘩の仲裁したったり、そういうの、ええやろ」
「ええな。けど、田中三郎と名前が似とんのが今ひとつやな」
「それや!」
タブちゃんは、両手で俺の腕をつかもうとしたが、ぐるぐるパッと小さなバンザイに変えて誤魔化した。
「名前聞いた瞬間、イワサブローのこと考えたわ。田中三郎がこのタブレット選んだんやったら、もう、運命やろなって。運命
「ふうん。イワサブローは、なんでイワサブローなん?」
どうしたものか、勝手に顎が上がってしまう。
「つぶれたけど死なへんのよ? 山の硬い
「勢い」
「イワタローかイワイチロー、イワジロー、イワサブロー、イワシロー。そりゃもうイワサブローやん」
「イワゴローもおるで」
「それはキャラクターに配慮してやね」
「キャラクター?」
「大岩……ゴロー」
タブちゃんは、鉄道すごろくゲームのテーマ曲を「チャッチャッチャッチャー」と口ずさんだ。
「いや、それもう他人やがな」
比較的真面目に突っ込んでみた。
「それにしても、タブちゃんもテレビゲームとか、やっとったんやな」
「いや、やった覚えないよ?」
「今言うたやろ、って言うてないか」
「うん。動画で見たんやもん。前の前? 前の前の前?の持ち主がゲームの動画見るんが好きでな」
「そうなん」
「そりゃ、実はゲーム大好き人間やったかもしれんけど、自分のことはなーんも覚えてないし。漫画も描いてたんかどうか、わからんのんよ。イワサブローのお話は、ただ湧いてくるんやもん」
タブちゃんはニコニコしていたが、俺は『彼女を成仏させるべきか』と考えていたことを思い出して胸の奥がギュッとした。漫画は、彼女にとって重要なことに違いないのだ。
「あ」と、声が出た。そう言えば。
「何?」
「もういっぺん聞いてもええかな? 漫画描いてたペン」
「ペン?」
タブちゃんは服の上から胸元に手のひらを当てた。
「これのこと?」
「それや! ちょお、それ、どっから出したん?!」
「えー?」
タブちゃんは、初めて気がついたように、自分が握っているペンを見た。
「いっつも持ってるよ?」
「持っとらんやろ」
「え? 知らんし」
「けど、そこに手ぇ当てたら」と言いつつ、俺は何気なくタブちゃんの胸に手を伸ばしてしまった。その手がスルッと突き抜ける。
「ちょっと、あんたぁ。人が人ならセクハラやで」
「ご、ごめん」
「あ? 人が人なら、世が世なら。幽霊は人やない。何言うてんねやろな、あたし」
タブちゃんは一人でウケていたが、俺は実体があったら胸に触っていたという事実に、縮み上がっていた。
俺は、女子と極力関わらないようにして生きてきた。告白とか交際なんぞ、もってのほか。幼少期から、やたら絡まれて詰られて、時には笑いものにされてきた。自分では理由もわからない。ともかく女子と関わるとろくなことがない。タブちゃんと会話が弾むのは、彼女が人間ではないからだ。
この状態に慣れてはいけない。
「どうしたん? あんた、めっちゃ怖い顔してんで」
タブちゃんは心配そうな上目遣いになっていた。
「えっ」
「セクハラ言うたから気にしてたん? 冗談やで」
「いや、冗談じゃ済まされん」
俺は、タブちゃんが本当に気にしていないのだとしたら、人間であったことを忘れかけているせいではないかと考えた。そもそも、自分のことは覚えていないというのだ。以前だって、いきなり服を脱ごうとしたくらいだし、このままでは元人間としての尊厳が損なわれるのである!
俺は、ペンを握ったまま首をひねっているタブちゃんを見た。そして、ふと思った。
このペンは、最期に持たされたものではないだろうか?
これくらいなら燃えるだろうということで?
「タブちゃん!」
「はい?」
「本物の、プロの漫画家になろう!」
「いや、死んでんのに?」
イワサブロー並みにすっとぼけた顔で、首を傾げるタブちゃん。しかし、俺は脱力してはならないのだ。
「Tubuyaiterに上げてみたら?」
俺はSNSの名前を挙げた。
「Tubuyaiterのアカウント作ろう」
「いやあ、それこそ
「……あのなあ」
「ごめん。これでもちょっと、舞い上がってんねんよ。昇天しそう」
「してないやないか!」
「……ごめん」
ああ、2回も謝らせてもうた。
俺はテーブルに突っ伏した。
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