第9話 つぶれタヌキ

 足踏みでは飽き足らず、その辺をくるくる回り出したタブちゃんを見て、俺はポカンと口を開けていた。

「何や、恥ずかしいん、もしかして?」

「知らんわ。恥ずかしい、嬉しい、悔しい」

「え、悔しい?」

「読者想定してないもん。扉絵無しでページ数もバラバラとか、アカンやろ」

「ちょっとしか見とらんけど、そこは問題ないで。毎回同じおんなしセリフで始まるやん。あのパターン、ええやん」

「たまに4コマも入っとんのやけど」

 ピタッと止まったタブちゃんの目が、ちょっと怖い。

「あ? そやった?」


 タブちゃんは、擬人化された動物たちの漫画を描いていた。主人公は〈つぶれタヌキのイワサブロー〉という。その名の通り、全身が斜めにつぶれたように描かれているタヌキ。イワサブローの家に客がやって来て「つぶれタヌキのイワサブローさんはご在宅ですか?」と声をかけるところから毎話始まる(4コマ除く。はい、ごめんな)。客はクマにキツネ、ウサギにイノシシと、やはり動物たち。物知りで世話焼きなイワサブローに相談事を持ちかけたり、遊びに誘ったり。ジャンルで言ったらハートフルコメディーだろうか。

 タブちゃんは可愛らしい絵柄を得意としているらしく、太い輪郭で描かれた動物たちはキャラクターとして確立されて……いや、俺が偉そうに言ってどうする。つまり、グッズとして既に売られていても良さそうな絵だ。とても可愛い。

 ところがイワサブローだけは違う。子どもの落書きのようなというのだろうか、そもそも体が斜めになっている上に、ぐにゃぐにゃの線で表現されているのだ。それがあぐらをかいて座っているところなど、短い脚がぴょこんとしていて、それはそれで癖になる。


「なあ、つぶれタヌキって何?」

「つぶれたタヌキ」

「そのままやん。冷やしタヌキみたいな言い方すんなや。で、なんでつぶれたん」

「倒れた家に、挟まってん。て言うか、タヌキ冷やしたら風邪ひくがな」

「家の下敷きで、よう死なんかったなあ。いや、タヌキ冷やしたんちゃう。タヌキ入って無いわ! 食べもんや」

「食べもん? おいしいん? でな。イワサブローは運が強いねん」

 ツッコミ役の第三者が欲しいところだった。

「そらそやろ。つぶれても生きとるとか」

「イワサブロー、倒れた家に挟まった言うたろ? それが山奥の人間の空き家でな」

「うんうん、問題になっとるやつや。野生の動物が入り込むらしいな」

「これ見て」

 

 タブちゃんはタブレットを操作してから横向きにし、2ページを見開きで見せてきた。右ページに潰れた民家。左ページには、その中に小さな家のようなものができている絵だ。初めの頃に描いたものなのだろう、まだ見ていなかった。


「柱やら、しっかりつっかえ棒してな、使えそうな木材は使つこうて、がわはそのままで、中にイワサブローの家を建てたわけや」

「へえー。柱が鳥居っぽいし、家は祠っぽいなあ。何かありがたい雰囲気やん」

「そう? あたし、舞台のセットから思いついたんやけど。ほれ、新喜劇の。けど、ええなあ、それ。イワサブロー大明神って感じも」


 新喜劇のセットとは、家が客席に向かって半切りになった状態のやつだろう。玄関もあるが、開口部からいきなり上がり込んだりするやつ。室内が丸見えなあたり、イワサブローの家も似ているか。俺の目には、お札が見える様式の祠みたいに見えるのだが。何しろ小さいし。ウサギやネズミは中まで入れるが、イノシシはごろりと横になって頭だけ突っ込み、鹿は角が引っ掛からないように入り口手前で座り込む。クマなんか、元の人家の玄関口までだ。


「クマが来たとこ見てたら、イワサブローの家の外にも家があるのん、気づいたのにな。なるほど、こうなっとんたんか」

「背景ほとんど描いてないしな。うんうん、1話完結物でも、設定はちょいちょいアピールすべき、と」

「けど、イワサブローんの小っさいちゃぶ台と畳んだ布団、好きやで」

「あはは、そこはこだわったんよ。舞台でも付き物やん」

 それは新喜劇というより時代劇っぽいと思ったが、口には出さなかった。

「なあ、ちょっと今から、これ使うてもええ? 新ネタ思いついたわ」

 タブちゃんは真剣な表情でタブレットを指差した。

「ええけど」

「ほんなら早速」

 タブちゃんは胸元からペンを取り出した。

 え? え? ちょっと待って?

「おい、それどっから出したん?!」

「は?」

 タブレットに向かっていたタブちゃんは、うるさそうに顔を上げた。彼女のそんな表情は見たことがなかったので、びくっとした俺はへこへこ頭を下げた。

「すんません、ええです」

 その声にも反応しなかったタブちゃんだが、しばらく集中した後に「なあなあ」と話しかけてきた。

「あたし、態度悪かったやんな? ごめんやで」

「うんにゃ、ええよ。創作者あるあるやろ」

 何気なくそう言うと、彼女は「いややわ、もう!」と笑った。手を振り回していたが、俺の腕の辺りを叩こうとしたのを、さりげなく回避したようだ。

「創作者かぁ。ええなあ。あたし、プロになったんやな」

「ん?」

「せやろ? あたしはこれ描く専門やもん。他のことせぇへんし。せんでもええし」

 他のことをしないでイワサブローの漫画だけ描いている。それはそうだ。〈○○のプロ〉と言うとき、仕事にしている、それで食べている人を指すとは限らない。けれど俺はもやもやした。

「タブちゃん、それでタブレットに憑いたんちゃうん?」

「え?」

「本物のプロになりたかったんちゃうんか? つまり、プロの漫画家に」

 思わず言ってしまった俺の言葉に、タブちゃんは目を丸くした。


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