第8話 カノジョの秘密その1(たぶん)

 部屋に戻って後片付けをしていると、タブちゃんが俺にまとわりついた。

「手伝いできんし、ごめんな」

「いや、そんなん思ってないから」

「田中三郎、なかなかの男前やね」

「うん。最初は皆んなそう言うんや」

「あー、面白おもろかったわあ」

「俺はしんどかったけどな! 笑い堪えんの!」

「それがまた、面白いやんか」

 タブちゃんの上機嫌は俺にも伝染し、後回しにしがちな洗い物もすぐに終わらせた。だが、冷蔵庫を開けてシュンとした。田中三郎は食が細いが、俺はそこそこ食べる方だ。スイーツを1個分食べたくらいでは、食事に影響はない。しかし、冷蔵庫には安物のウインナーと昆布の佃煮くらいしかない。冷凍唐揚げを食べ切ったことを忘れていたし、野菜もない。

「コンビニ行くか。一緒に行ってみる?」

 俺が誘うと、タブちゃんはびっくりして口元を押さえた。

「いや、あたし、ここから離れられんし」

「タブレット持ってったらええんやろ? 持ってったるわ。外見たいとか思わんのか?」

「いやあ、退屈とか心配してくれてんの? 大丈夫やで」

本当ほんまに?」

「本当や。あたしら、時の流れから外れとる言うたやろ? 退屈いうんは、時間が無かったら分かれへんのやわ」

「なるほどなあ」

 納得した俺は、一人で近くのコンビニに行った。


 帰ってくると、タブちゃんはテーブルに置いたタブレットにかがみ込んでいた。シャワーを浴びて、弁当を温めて、ようやくテーブルに近づくと、タブちゃんは慌てたように画面を閉じた。その頬がほんのり赤い。

 頬を染めるのは本来血液の働きだろうから、霊体の場合どうなっているのだろう。演出か。

「何かやっとったんやろ? ええよ。あっちの机でやれば?」

「ええねん。あんたが留守のときだけって決めてんねん」

 言い切ったタブちゃんは、俺の〈豚生姜焼きトンカツ弁当〉をのぞき込んだ。

「野菜、タマネギちょびっとしかないやん。うわ、スパゲティー。それ、味するん?」

 トンカツの下に潜む白いスパゲッティを指して眉をひそめる。

「塩味。結構好きなんや」

「サラダとかうたら良かったのに」

「高いんやで、コンビニサラダ。昼に学食の豚汁定食食ったからええやろ」

「豚汁か。あんたのお母さん、何入れる?」

「普通や」

「その普通が普通やないんよ。100人居ったら100通りの豚汁があるんやて」

「じゃあ、タブちゃんちは?」

「覚えてない」

「なんでドヤ顔ー」


 豚汁の話は、俺の里心に小さな火を灯した。ドイツに住んでいる母さんは、どんな料理を作っているのだろう。和食の食材も金さえ出せば手に入ると言っていたけれど。

 そこまで考えて、ようやくタブちゃんのことに思い至った。自分の名前や年も、家族のことも忘れたのにタブレットに……タブレットに、憑いている。それは執着のせいだろうか。地縛霊が死んだ場所を離れられないように、タブレットから離れられないタブちゃん。執着を断ち切って成仏させてあげるのが、見えている俺のつとめなのだろうか。

 執着の元が何なのか考え始めたものの、数日後にはすっかり失念していた。タブちゃんとの生活に慣れ、タブレットを使う時間もそれなりに確保して快適になったせいだ。


 冬休みに入ったある日、俺は使っていないアプリをまとめたフォルダを、何気なく開いた。コンパスとか、初めから入っていた電子書籍アプリとかの他に、見慣れないアプリがあった。〈ファンペイント〉という名のお絵描きアプリである。絵心など持ち合わせていない俺だが、小さいころには漫画らしきものを描いたことがある。どんなものかと開いてみると、アカウントが作成されているではないか。俺の他にアカウントを作成できるのは、タブちゃんだ。そして当たり前だが、俺ではログインできない。あれこれ調べていたら、もう一つ大きな発見があった。これは、見て見ぬふりをすべきではない。


「なあ、このアイコンやけど」

「あ、気ぃついたん」

 タブちゃんは、どうしても隠したいという雰囲気でもなく軽く反応した。

「俺はええんやけど。もしかして前にも入れとった?」

 タブレットの電源はわざわざ切らない人が多いと思う。つまり、タブちゃんが使える時間はたっぷりあっただろう。

「まあ、うん」

「だから手放したんやな、前の持ち主ら。入れた覚えのないアプリがあるし、ストレージ見たら写真データが圧迫しとるし、なんでや思たら見覚え無いもんが入っとるしで」

「ストレージって何?」

「データを保存しとく……装置? タブレットで写真撮らんから気付かんかったわ。このまま放っといたら保存できんようになるとこやった」

「えっ、そうやったん」

 タブちゃんは目を見開いて、口元を手で押さえた。

「俺も読み終わった漫画は削除するけど、タブちゃんのも保存の方法を見直さんと」

「そうか。悪かったわ。考えたことなかった。あたしが、もうお腹いっぱいーとかなって気ぃ付いたら良かったのに」

「タブちゃんとタブレットは一心同体ちゃうやろ」

 こういう会話のリズムが心地良くて、ついニヤニヤしてしまう。

「とりあえず無料のオンラインストレージ使うか。けど、せっかく描いたのに、前のは丸ごと消えてもうたんやなあ。残念やったな」

 スマホでお薦めを検索しようと操作しながら言ったら、返事がない。タブちゃんを見ると、ずいぶん難しい顔で目を閉じて、両方のこめかみを人差し指でツンツンしている。

「何しとん?」

 改めて声をかけたら、パッとこっちを見た。謎の効果によって、顔中が真っ赤だ。

「理解が追いつかんかったから、頭の整理してた。写真データ見たいうことは、あたしの、その、見たんやね?」

「見たで。漫画」

「あああー!」

 タブちゃんは、立ち上がってバタバタ足踏みをした。

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