第5話 カノジョの着替え

 俺はテーブルの上にタブレットを移動させ、何となく改まった気分になって電源を入れた。パスコード入力の画面に指を伸ばしたところで、頭がぬるっと出た。出たよ、タブちゃんが昨夜のように。


「あー、いつぶり?」

 顔を上げたタブちゃんは、真っ直ぐ俺を見てにっこりした。

「ごめんな。あたし、時の流れから外れてるから」

「なるほどなぁ。年取らんいうのはそういうことか」

「いやぁ、納得すんの早いなぁ」

 タブちゃんは、少々わざとらしく俺を上から下まで眺めた。

「褒められたことにしとくわ。で、昨日の今日やで。学校行って帰った」

「ふぅん」

「もう飯も済んだ」

「ふん」

「ひょっとして、もう出て来んのやないかなーて、思ぉてた」

「ふん?」

 ほんわりした相槌の三連発だ。お陰で一気に力が抜けてしまった。

「どうしたん?」

「いやぁ、悩むだけアホらしい気ぃするわ」

「何か悩んでたん? 聞くだけなら聞いたげるで?」

「タブちゃんのことやがな」

「えー、あたしぃ?」

 自分の鼻を指差して、彼女は首を傾げた。

 うーわ、女の子らしい仕草はみぞおちにグッとくるわ。

「現実的な俺としてはやなぁ、タブちゃんの存在を、こう、認め難いとこがあって」

「まあ、そやろね」

「田中三郎に至っては、誰かと一緒に住んどるんやないかて勘ぐりよるし」

 いや、そんなことは言われていない。だが盛ってしまう。

「田中三郎て誰?」

「タブレットを選んでくれた連れ」

「あれ。これ選んだの、あんたとちゃうん?」

 難しい顔をされた気がして、慌てて手を振ってしまう。

「選んだのは俺やで! 田中は機種を勧めてくれてやな、俺が、こ、れ、を、選んだんやし」

「あー、それならええわ」

 何がいいんだ。気になったが聞き返せなかった。

「あれや。田中三郎、ここに呼び」

「それはまあ。呼ばんでも来るって言うてたし」

「そうなん。来たら最大限のアピールしたげるわ」

「アピール? 霊力込めたら誰にでも見えるようになるとか?」

「霊力込めるて、中二病か。けど、田中三郎にもあたしのこと、見えたら見えたでおもろいな」

「何が」

「あんたの部屋に女の子がおるっちゅう状況やで? あんた、そういうタイプちゃうやろ」

「失礼やな」

「へー、連れ込んだことあるん?」

「連れ込むて、人聞きの悪い」

「遊びに来た女の子は?」

「おらん」

 おごそかに断言すると、タブちゃんはブッと吹き出した。


 この夜は、そのままタブちゃんと話をして過ごした。一人っ子の田中の名が三郎である理由とか、文房具オタクであることとか、スマホゲームに5万円課金したことがあるとか。今思い返しても謎でしかないが、俺は田中三郎のことを話し続け、タブちゃんは面白そうに合いの手を入れ続けた。アルコールが入ったわけでも無いのに、熱に浮かされたような夜だったと思う。

 トイレに立ったとき、ハッと我に返った俺は〈なぜ田中三郎か〉を考えた。

 奴がうちに来ると言ったから。タブちゃんが、奴にも見えたら面白いと言ったから。

 立ったついでに歯を磨き始めた俺は、田中三郎にタブちゃんが見えたらどうなるかの妄想を止められなかった。

 登場シーンを目にしなければ、物に触れないとバレなければ、普通の人間にしか見えないタブちゃんだ。

 〈名前は何? 学生? どこに住んでるの? え、ここに住んでるの? 三木のカノジョってこと? 年いくつ?(あ、これはない。田中三郎はそんなことは言わない) どこで知り合った? いつ知り合った? いつから付き合ってるの? 三木ぃー、この前やっぱり彼女も居たんじゃないかよ〉

 恥ずかしそうに俯いて笑うタブちゃんを思い浮かべたとき、彼女の服装が俺の部屋にはあまりにも不似合いだと気づいた。


「タブちゃん、その服って他のに着替えられるん?」

「何やの、いきなり。歯磨き付いてんで」

 唇の右の端を指し示して教えてくれたので、ティッシュペーパーを取って拭った。

「まだ寒そうに見えるん? あたしは何ともないんやけど」

「ほんで、できるんか?」

「いやあ」

 考え込みながら、彼女は上着を脱ぎ捨てた。というか、脱いだものを床に向けて放ったのだが、彼女の手を離れたとたん、それは一瞬で消えてしまった。俺は目をぱちくりしていたのだが、本人は気にも留めていないようだった。両手を首の後ろに回したかと見るや、どうやらファスナーを下ろしたらしい。肩脱ぎになりかけたところでやっと気が回った俺は「わーっ、ちょっ! あかんで!」と騒いだ。顔をこちらに向けたタブちゃんは、リスのような顔をしていた。

「あかんの? 試さんとわからんやん」

「脱げ言うてないがな」

「言うてないっけ」

「言い直すわ。他の服、持ってんの?」

「んー?」

 彼女は右の人差し指を口元に当てて上を向き、しかめっ面になってしまった。

「無いわ。つまり着替えはできんな」

「はあぁ。ほんならええわ」

 俺は、タブちゃんの左肩がむき出しになった瞬間を思い出して、床に両手をついた。

「ユーレイには羞恥心は無いんかい」

「羞恥心? 無いことないやろ。けど、そうやなあ。あたしは、あんたには感じんみたい」

「なんで」

「えーっとな、あんたがそれの持ち主になったからかな? それこそ赤ん坊とお母ちゃんみたいな?」

「はあ?」

 タブレットを指差す彼女に、なぜだか一瞬ムカついた俺は突然、かなり前に読んだ話を思い出した。毎晩のように現れる幽霊に、金縛りになった状態で犯される男の話。あまりに気持ち良くて文字通り昇天しかけたが、それこそが霊の目的だったというやつ。

「怒ってるん? 怒りながらあこぉなるとか器用やな」

 キョトンとしたタブちゃんは邪気がなく、自己嫌悪のかたまりとなった俺は、またもや「おやすみ」と電源を切ったのだった。

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