第3話 カノジョとキッチンで
幽霊に「よろしく」と頭を下げられる日が来ようとは、想像もしなかった。そしてまだ、夢まぼろしではないかと疑っている自分がいる。
それでも現実らしいことに、腹が減っていた。忘れていたのだが、腹の方でぐうぅーと主張してくれたのだ。
「あ、晩御飯の時間やね。どうぞどうぞ、気にせんと食べて」
タブちゃんは手のひらを上に向けて、どうぞのポーズをとった。
「ううーん」
どうぞと言われても、この状態では迷うではないか。
「引っ込んどこうか?」
「出入り自由なん? それとも電源切る?」
「電源切ったら強制的に引っ込まされるけど、切らんでもできるよ」
小首を傾げて言われたけれど、とりあえず部屋の隅に移動してもらうことにした。姿が見えないなら見えないで、不安になりそうだったから。
「一応確認するけど」
「なに?」
「飯とか食べんよなあ?」
「逆に食べると思うん?」
「思わん。失礼しました」
俺は小さなキッチンに立ち、昨日買ってあった豚こまのパックとカット野菜の袋を冷蔵庫から取り出した。炒めている間に、冷凍してあったご飯を電子レンジで温める。
「スパイス塩やね」
「うわっ!」
いきなり耳元で声がして、危うくフライパンに手が当たりそうになった。
「いや、いきなりは止めて! 気配! 気配無いから!」
「あー、感じられんのやねぇ」
「せや! 遠くから声かけてからにして」
「そんなびっくりせんでもええやん」
タブちゃんはスパイス塩がよほど気になったらしく、ラベルを見ようとしたのだろう、小瓶に手を伸ばした。だが触れないことを直前で思い出したらしく、手首から先をひらひらさせながら引っ込める。
「成分見たいんか、って、おーい!」
見えるように動かしてやろうと思ったのに、シンクに半分体をめり込ませている彼女に驚いた。いいや、めり込んではいないか。
「便利やろ。羨ましい?」
「いらんわ、そんな能力」
「そうか? はー、色々入ってるなぁ。美味しいん、それ?」
「美味しい。ちょっと高いけど、何にでも使えるし」
「ふうん。自炊して偉いなぁ」
「別に、フライパンか鍋か、どっちか一つで作れるもんだけやし」
「はあー。あたし料理したこと無いと思う、多分」
「そうなん?!」
「あっ、今、女のくせにって思うたやろ」
図星だったが、盛り付けに集中しているふりでやり過ごした。フライパンが当たっても火傷するわけでもないのはわかっているが、狭いキッチンでタブちゃんを避けるのは実際に気を遣うことだった。
何にでも使う白い丼に肉野菜炒めを、大ぶりの茶碗にご飯をよそって、100円ショップで買ったトレイに乗せて運ぶ。
「キャベツにニンジン、タマネギも入ってるんやねぇ。便利やなぁ」
部屋の隅にいる約束だったのに、テーブルの向こうからまじまじと覗き込んでいるタブちゃん。
「実家暮らしで、お母さんに飯作ってもろてたんやろ。お母さんはカット野菜なんか買わんやろし」
そう言ってから、いつもより塩っぱい炒め物を、ご飯にバウンドさせて口に運ぶ。玉ねぎも少々焦げたが、それはそれで美味い。タブちゃんが話しかけてこないので、ちょっと努力して意識を飯に向け、黙々と咀嚼した。味付け的にご飯が足りないから、もう一つ温めようか。そう思って腰を上げかけたら、何事か考え込んでいたタブちゃんが「なあ」と言った。
「あたし、いくつくらいに見える?」
「あ。えーと、それも思い出せん、と」
女性に年齢を問うものではないという処世術から、答えるのをためらってしまった。
「うん。あたし、鏡に映らんしなあ。ほれ」
タブちゃんは画面がオフになっているタブレットを指差した。覗き込むと自分の顔が映る。向こうからグーッと近づいてきたタブちゃんの顔は、映らない。ゾクッとした。
「自分の顔も覚えてないん?」
「全然。着てるもんはこうやって見れるけどな。これ着て生きてた記憶は無い」
「いや、言い方よ」
結婚式の招待客みたいな服は、最期の衣装だったのではという考えが浮かび、だからアクセサリーを付けていないんだとまで深読みした俺は、脳裏に浮かんだ画像を打ち消すためにブルルッと首を振った。
「顔のこと説明してみて。まず何歳くらいに見える?」
「同じくらい?」
本当は少し年上かなと思ったけれど、若く言って嫌がられることはないだろうと思って言ってみた。
「美人? 可愛い?」
「二択かーい」
「ちゃうちゃう。タイプやんかタイプ。あっ、ストレートにブサイク言う気やったんか!」
「そんなことないって。品のええ顔つきかな。メイクも控えめで、髪も黒色でサラッサラやし、お嬢様っぽい感じ」
「上手いこと言うやん」
タブちゃんはほんのり赤くなって、指でOKサインを送ってきた。
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