第2話 カノジョ、現れる

 目の前で笑い転げている同世代っぽい女性に隠れて、俺はそっと自分の膝をつねってみた。

 恋人が欲しいとか思ってなかったのに、潜在意識では強烈に求めていたのか? 女性の幻を見るほどに?

 たちの悪いいたずら……を仕掛けてくるような知り合いはいない。そもそも、タブレットから出て来るレベルのを呼べるか?

 詐欺師? いや、何のために?

 気配を感じてハッと顔を上げると、彼女がおもしろそうにじっと見ていた。知る者が知らない者に向ける上から目線ではなく、小さな子どものようなキラキラした目つきで。そうだ。考えるよりも、本人に聞いた方が早い。

 

「えーと、元人間って、それ、死んだ人ってこと? 幽霊? 元の持ち主さん? 初期化されてたのに?」

「初期化で消せるんなら、事故物件とか存在せんわ」

 彼女はケラケラ笑った。

「ほんでも、初めてやわぁ」

 笑いを収めた彼女は、自分の両頬を包み込むように手をやった。

「え?」

「今まで、何人かがそれ買うたけど、あたしが見えた人初めてや」

 彼女の右の人差し指が、真っ直ぐにタブレットを指している。

「何人か?! その人たち、取り憑かれて死んだ……り?」

「んな訳ないやん。けど、なんでかな? 皆んなすぐ手放してもぉて」

「不幸が続くとか、そういう?」

「そんなん無いって。ホラー好きなん?」

 彼女は大きな口を開けて笑う。それにしても、どこからどう見ても質量感のある姿だ。唾も飛んできそうだった。

「物質化しとるん? あ、いや。物に触れる?」

「見せよっか?」

 俺が頷くより早く、彼女はテーブルに手を置いた、ように見えた。だがその手は、スッと突き抜けた。思わず「うへぇ」と間抜けな声が出た。

「ほれ、触ってみ?」

 右手で左肩をポンポンと叩いてから、その右手で俺を手招きする彼女。自分で自分には触れるんだなあと考えていたら、ついつられてその左肩に手を伸ばしてしまった。

「わっ」「わあっ!」

 俺の手が突き抜けると同時に彼女は脅かすような声を上げたが、それを上回る声を上げてしまった。しかも、よろけて床に手を着いてしまった。

「どんなん、幽霊触った感想は?」

「触ってないわ」

「触ったやん」

「何もなかった」

 実際、何とも言い難い冷気を感じたとかゾッとしたとか聞いたことがあるけど、そんなものも感じなかった。

「けどなぁ、これにだけは触れんねん」

 彼女は机の下から、そう、机は完全にすり抜けて、タブレットを持ち上げた。なかなかにすごい光景であることよ。

「よっぽどの強い思いが、その、残存思念があって?」

「難しいこと言うなあ。わからんのんよ。思い出せんもん」

「思い出せんって、自分がどこの誰かとか、いつ、し、死んだとか」

「なぁんもわからん。あたしはただ、これと一緒にるだけ」

 タブレットを机に置いてから、彼女は俺を見てニカっと笑った。そして言った。

「ところで、ここどこ?」

「俺の家」

「そうやのうて。この前は仙台やって、その前は北海道の、えー、変わった地名のとこにおってんけど」

「なんでそんなに転々としとるん、このタブレット?!」

「ネットで買えるし、買い取りも頼める時代やん。え、お店で買うたん?」

「うん。電源が入っとらんと、周りのこと、わからんのか?」

「そうらしいわ。で、その言葉やし、関西やろ、ここ?」

 俺は、ブルブルと首を横に振った。

 子どものころから親の転勤について全国を回ったけれど、家では関西弁で育った。普段は出ないのに、話し相手につられるとつい出てしまう。

「神奈川。家に帰りたかったん?」

「そういう訳やないよ」

 彼女が視線を逸らして髪の毛の先をクリクリするので、悪いことを言ってしまったかと焦った。急いでほかのことを言う。

「名前、何て言うん」

「ちょっとぉ。人に名前聞くんなら、自分から名乗りぃ」

 こっちを向いた顔は暗くなかったので、ほっとした。

「あっ、ごめん。三木健人みきたけとです」

「三木くん。ミキちゃんがお嫁に来たらミキミキやん」

「それ、よう言われたわ。マツモトミキが、また気が強うて、もう」

「いやぁ、本物のミキちゃん身近におったん。で、あたしの名前はな」

「うん」

「あたしも知りたいわ」

「知らんのかーい。あっ、ごめん」

 つい軽いノリで言ってしまって慌てたが、あっちは謝られたことにキョトンとしているようだ。

「ええの、ええの。まあ、名前が無いと不便やんな。タブちゃんって呼んで」

「タブちゃんって、そらまた適当な」

「あたしが決めたんやから、ええやん」

 ニコニコしながら俺の腕を叩こうとした彼女の手が、スコッとすり抜けた。

「ひっ」

「ごめーん」

 タブちゃんという呼び名を得た彼女は、ゲラゲラ笑った。そのついでに床を叩くのだが、その手は床にめり込んでいるのである。これは何と言うか、微妙にかもしれない。俺はそっと目を逸らした。

 ひとしきり笑い転げてから、彼女は改めて部屋を見回した。

「それにしても、ここ狭いなぁ」

「一人暮らしの学生の住むとこなんて、こんなもんやろ」

「ふうん、大学生なん。家族は?」

「両親はドイツにおる。親父の転勤で。俺が中学のときから神奈川に住んどって、大学があるから一人残った」

「持ち家無いん?」

「転勤族やし、借り上げ社宅を転々としてきたわけよ」

「その両親が関西出身なんやね」

「うん」

「ほんじゃ、三木くん。これからよろしゅうな」

 タブちゃんは握手を求める右手を差し出し、でもすぐに気がついて、照れ臭そうに引っ込めた。

 


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