第4話 受け継がれし技

 制御下に置いた魔力を使って身体強化・改を発動する。

 俺の少ない魔力でも全身を均等に強化することは出来る。だが、それではほんの少しだけ身体能力が上がるだけにしかならないし、そうするくらいならば身体強化など使わない方がマシだ。


 なら、どうするか?


 答えは簡単だ。

 必要な時に必要な分を強化すればいい。


「はぁ……」


 軽く息を吐いて一歩踏み込む。

 最初に強化するのは両足と両腕。それよりも重点的に目を強化した。


「―――ッ!!」


 全身に風を受け、景色が流れるのと同時に眼前に熊の巨体が現れる。

 相手が急接近してきたわけじゃない。俺が一歩でここまで接近したのだ。自主訓練でその効果は検証していたし、こうなることも知っていたがいざ実戦で使うとなるとやはり勝手が違う。


(ビビるな―――)


 臆しそうになる心を怒りで燃やし、右手に逆手持ちしているショートソードを振るう。

 鋭い風切り音を立てながら熊の足へと振るわれた刃は届いたには届いたが、その分厚い毛皮によって弾かれた。


「チッ―――!」


 その結果に舌打ちするのと同時に左側から振るわれた丸太のように太い腕が視界に写った。

 本来であれば捉えることさえ出来なかったであろう一撃だ。目を重点的に強化しておいてよかったと思いつつ全力でその場にしゃがみ込む。

 轟音と共に頭上を通過する巨腕に冷たい汗が溢れる。あの腕が掠っただけで俺の肉体は引きちぎられるだろうことを嫌でも実感したからだ。


「だからって……引くわけるわけねぇだろッ!!」


 しゃがんだ状態から背後へと飛び、その俺を狙って突き出された右腕を上空へと飛び上がることで回避する。

 巨腕が地面を砕き、飛び散った大小様々な岩によって全身に傷を負うが致命傷ではないから無視。


「固い装甲を持つ生き物と戦うときは―――」


 熊の右腕を足場に再度跳躍。

 迎撃のために突き出された左腕を空中で身を捻る事で回避し、その勢いを利用したまま熊の頭上で倒立反転。


 グルリと地上と空が急激に回り、胃の中身が逆流しそうになるのを感じながら両腕を振り上げた。


「――目を狙うって決まってんだよ!!!」


 そのまま熊の両肩に足を乗せ、目を狙って両腕を振り下ろす。

 俺の身体はまだ幼く、身体強化・改を使ったところでたかが知れてる。だから、逆手持ちを選択した。

 逆手持ちの利点はナイフなどならまだしも、ショートソードでは正直そこまでない。ただ、今この現状――幼い身体で急所を狙う時は無類の強さを発揮してくれる。

 腕は振り上げるよりも振り下ろす方が強い。それこそ、未成熟の身体であってもそこそこの威力を期待できるほどに。そして、逆手持ちはその力を十全に得物へと伝えてくれる。


「――――――ッ!!」


 手ごたえを感じたのは左手だけだった。

 右手から感じたのは手ごたえではなく、何かが砕け散る音。何があったのかを理解するよりも早く、俺は強烈な力で吹き飛ばされた。


『グルォォオオオッ!』


 右手に持ったショートソードを手放さなかった事と上手く着地できたのは訓練の成果だったのだろう。

 だが、その事を喜ぶよりも先に怒りに満たされた咆哮が鼓膜を刺激する。

 急いで顔を上げてみれば、そこには左目から血を流して怒り狂っている熊の姿があった。


「チッ―――」


 舌打ち一つ。

 即座に中ほどから折れてしまっている右手のショートソードを手放し、左手のショートソードを順手に持ち替え、両手で構える。

 

 轟音を伴い、空気を叩きつけて振られた右腕を前へ飛んで回避するが数瞬後に振るわれた左腕が視界の端に映った。

 熊もまた先ほどの攻防で俺がどう動くのかを理解したのだろう。事実、ヤツの攻撃をやり過ごす手段はコレしかない。


「ぐッ!!」


 回避は不可能と判断し、思考を高速で回す。

 一秒にも満たない時間を身体強化・改を使って強化した思考能力であらゆる可能性を模索し、一番被害が少ない手段―――左腕を犠牲にする事を選んだ。

 熊の振るわれた左腕に自らの左腕をぶつけ、インパクトの瞬間に身体を押し出す。骨が折れ、砕け散る音が耳と体内から聞こえ、その後すぐに俺は地面へと叩きつけられた。


「ガハッ……」


 いくら全身を強化したとしても、俺の魔力量では即死を免れるのが関の山だった。肺から強制的に空気が叩き出され、一時的に呼吸困難に陥る。

 仲間からの援護は期待できない。彼らが怯えているわけではない……俺と熊の位置があまりにも近すぎるのだ。

 コレも全て何も考えずに飛び出してしまった俺の責任だ。

 せめて、もっと味方と連携する事を意識しておけば―――


(後悔先に立たず、か……どうして、こうも取返しが付かない状況になってから色々な事に気づかされるんだ……)


 振り上げられた熊の右腕を眺めながらそう思う。

 反射的に身体を起こしたがすぐに動き出す事は出来ない。それほどまでに叩きつけられたダメージは大きかった。


(終わるのか……? こんなところで? あの子を救う事も出来ずに道半ばで……いや、まだ一歩も踏み出せずに……?)


 死の足音が近づいて来るのを感じていると、不意に視界に映る熊の背後……そのずっと遠くにある青空に一羽の鳥が飛んでいるのが見えた。


『ねぇ、バルド爺の奥義はどんな技なの?』


 ソレは過去の記憶だ。

 俺が鍛錬を始めてまだそんなに日数が経っていない時に、訓練を見てくれていたバルド爺に興味本位で聞いた何でもない世間話だ。


『奥義ですか? 若様にはいずれ必要になるかもしれませぬが、今はまだ早いかと』


『ソレはわかってるけど、やっぱりどんな感じなのか知りたいんだよ。必殺技ってカッコいいじゃん』


『必殺技、というのがどういう意味かはわかりませぬが……そうですね…………我が奥義はとある戦場で会得した技なのです』


『とある戦場?』


 興味を持った俺に気づいたのであろうバルド爺は腰に差していたショートソードを撫でながら懐かしそうに語ってくれた。

 その戦場の敵は帝国軍であり、彼らは当時の周辺諸国が正式採用しているよりも強固な鎧を身に纏っていたと言う。

 刃が通らない相手に苦戦は必然であり、バルド爺も死にかけたと言う。そんな折に会得したのが彼の奥義だと言う。


『奥義はおいそれと見せていい物ではありませぬが……若様の頼みです。一度だけお見せいたしましょう』


 そう言ってバルド爺はショートソードを抜き、構えた。

 普段は温厚なバルド爺から感じた事がないほどの覇気を受けたのを今でも覚えている。


『いざ―――奥義―――――――』


「そうだ……」


 短い過去への旅から意識が帰ってくる。

 この状況を打破出来る術を俺は知っていた。その方法に思い至らなかったのは心のどこかで不可能だと切り捨てていたからだ。

 だが、何故そう思うのだろうか?

 あの奥義は今でもハッキリと思い出せるほどにこの目に焼き付いている。その全てを俺は見ている。その全てを識っている。ならば、不可能なんて事はない。


 再現は可能。しかして、その全てを模倣するだけでは届かない。

 俺とバルド爺では体格も経験も何もかもが違うのだから。しかし、俺には前世の記憶がある。あの頃に培った経験と知識があるのだ。ならば、模倣を超え、慣熟を超え、その完成形さえも超えられるはずだ。


 故に――――――――――――


「“絶技”―――」


 ―――――この技は奥義を超え―――――――――――


「鎧通し」


 ―――絶技へと至るのだ―――――――


 不思議だった。

 呼吸さえおぼつかず、指一本動かす事さえ出来なかったのに今この瞬間においてそんな不調など無かったと言わんばかりに身体が動いた。

 狙うのは誰かが付けたであろう左胸にある小さな……それこそ、細身の剣がギリギリ刺せるくらいの傷。そこだけは強固な毛皮を斬る事が出来ていた。


「――――」


 踏み込みは一歩で足りた。

 熊の懐に入り込んだ瞬間、右腕は何かに押されるように突き上げられ、その剣先は導かれるように小さな傷へと吸い込まれる。


 奥義、鎧通し。


 長年戦場に身を置いたバルドが強固な鎧を身に纏う兵士を倒すために作り出した奥義。

 凡そ狙うのが不可能なほんの僅かな隙間を貫く、光速の突き。


「……」


 気付いた時にはショートソードは俺の手首まで熊の左胸へと突き刺さっていた。熊は自らが絶命した事にさえ気づかないように腕を突き出した状態で止まっている。

 右腕を引き抜き、横へずれると熊はその巨体をゆっくりと地面へと倒した。もう、二度と動く事はない。


「終わった……」


 勝利に対する歓喜はなく、ただただ俺は疲れたと地面に身体を投げ打った。

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