第16話 告白

『たとえ自分が何処で生きていようと、本物の恋と出逢えば分からないはずがありません。そんな事も分からないほど、人を愛するとは頼りないものですか?』


(ああ、その通りだともオリガ。お前は間違っちゃいない)


 ソレイユはオリガの言葉を口中で繰り返し唱えると、やがて迷いを断ち切るかの様にそう言った。

 本物の恋と出逢った今では、もはや自分を欺く事は出来ないと知ったからだ。


(人を愛する、か──)


 まだ封の切られていない茶葉の入った袋を戸棚から取り出したソレイユは、テーブルにティーカップを並べているオリガに向かってぽつりと呟く。


「俺はさ……恋愛経験が少なくてね」


「恋愛は数ではありませんわ」


「そうなの? 何だかルーナの事ではオリガに叱られてばかりだね」


「これも副官の務めです」


 苦笑いを浮かべたソレイユに対して、オリガはあいかわらず冷静な表情のままだ。

 おそらくオリガにしてみれば、最初からソレイユのルーナへ対する気持ちに気づいていたのだろう。


(ちぇ、バレバレだ)


 ソレイユはチラリと横目でオリガを盗み見る。そのオリガの様子からは、これ以上何も言うつもりは無いと訴えているのが窺えた。

 あとはソレイユ自身で決断しろという事のようだ。


 カップにお茶を注ぐと甘いベリーの香りが鼻をくすぐった。そのお茶はルーナの為にソレイユが内緒で買っておいたベリーティーであった。


「ルーナ様が喜びそうなお茶ですね」


 オリガがお茶を一口飲んでそう言ったのを、ソレイユはしみじみとした口調で応えたものだ。


「まったくお前は、俺には過ぎた副官だよ」


 ここに至って自分が正直になれなかった理由にようやく辿り着いたソレイユは、己にまとわる全ての言い訳を捨てる。


(俺は怖かったのだな、娘ほど歳の離れた少女を愛するのも、愛されるのも……)


 薄皮を剥がして表れた正直な心で最初に思ったのはそれだった。


 もちろんルーナがソレイユを愛しているかは分からない。だが、どうやらその事はソレイユにとって一番重要な事ではいようだ。

 ルーナに対する愛情を素直に認めたソレイユの心には、ルーナの愛を欲する気持ちよりもずっと強く、ルーナの幸せを願う気持ちがそこにある。


──愛されるよりも愛したい。


 そしてソレイユが愛したいのは、いつだって自分の心から目を逸らさず、苦しみながらも真面目に生きてきた少女。


(そんなルーナを愛するならば、俺自身もまた自分の心から目を逸らす訳にはいかないだろう)


 ソレイユは勇気を出してルーナに愛している事を伝えようと思った。

 もしルーナもまたソレイユを愛していているのなら、彼女は決闘婚に未来を繋ぐかもしれない。


 いやソレイユを愛していなくても、仮初かりそめの愛で決闘婚を選ぶのだって彼女の意思だ。

 もちろん決闘婚以外の選択をしたっていい。その時はまた新しく作戦を考えようとソレイユは思う。


 ルーナが幸せになるなら何だっていいし、何だってしてあげたいのだから。

 それが彼女を愛する男としての嘘偽りのない正直な気持ちだ。


「ルーナにとって本物の恋がそこにあるかは分からないが、どうやら俺のは本物だったみたいだよ」


「ええ、知っていましたわ」


「ですよねえ……」


 少しばつの悪そうな顔をしたソレイユを、オリガは見て見ぬふりをしながらお茶をまた一口飲んだ。

 甘い香りのするお茶もたまにはいいものだと、微かに微笑みながら。




 その日の夜、自室のベッドで横になっていたルーナは、なかなか寝つけないでいた。いつもなら浄化作業で疲れ、ぐっすりと寝ていてもおかしくはない時間である。


(あの王宮から来た人は、何のご用だったのかしら?)


 夕方作業から戻ると、王宮から遣わされた近衛兵が宿でソレイユを待っていた。その時のソレイユの様子がいつもとは違う様な気がして、ついその事を考えてしまうのだ。

 夕食もソレイユとオリガは取らずに、仕事だと言って部屋に籠ってしまった事も気になった。

 逆に言えばただそれだけの事だったのだが、何だかルーナは妙に胸騒ぎを覚えてしまうのである。


 と、その時。


 ドアを遠慮がちにノックをする音が部屋に届く──「ルーナ、起きているかい?」


(オジサマ?)


 こんな時間に何の用だろうと不思議に思いながらも、ルーナは自分の胸騒ぎを裏付けられた様な不安に襲われる。


「はい、起きてます。どうぞお入り下さい」


 しかしその不安に反して、ソレイユはいつも通りの優しい表情で「こんな遅くにごめんね」と、気軽に部屋へと入ってきた。

 少しホッとしたルーナは寝巻きの上にガウンを羽織ると、ベッドを降りてソレイユを見上げる。


「ちょっと大事な話がルーナにあってね、座ってもいいかな?」


 ルーナは大事な話とは何だろう? と思いながらソレイユに部屋に一脚しかない椅子を勧め、自分はベッドの角に腰掛けた。


「あの、お話しというのは?」


「うん、まだ推測に過ぎないのだけれどね。どうやら国王陛下は俺にお与え下さったルーナ保護の任をお解きになり、再び君をブロッド侯爵家に住まわせるお考えの様なんだ」


 途端にルーナの身体が震えだし、唇を紫色へと変える。ブロッドの家での恐怖が甦ってしまったのだろう。


「い、いや……嫌ですッ!」


「分かっているよルーナ、大丈夫だ、心配ない。約束通りルーナは俺が守るからね」


 痛ましいほど震えの止まらない身体を、ルーナは自分の腕で抱きしめながらうずくまる。

 そんなルーナの側に寄り、ソレイユは背中をさすりながら「大丈夫だよ」と何度もなだめた。


(胸騒ぎが当たっちゃったんだ──)


 ようやく呼吸が落ち着いてきたルーナは、そう思いながら大きく深呼吸したようだ。

 そして傍らで自分を気遣い続けてくれているソレイユの腕にそっと触れ、心配そうな彼の瞳に自分の瞳を重ねた。


「ルーナ? 大丈夫かい?」


 そう訊いたソレイユに、大丈夫だと頷いたルーナの瞳に絶望の色はない。


「と、取り乱し、しちゃって……ご、ごめんなさい、オジサマ」


 まだ歯の根が合わなのだろう、上手く話せないルーナはそれでも自分に負けないようにと歯を食いしばる。


──自分は生きると決めたんだから。お父さんが私に『希望』を託してくれたんだから!


 ルーナはその希望と共に父の分までも生きて、魔人に汚された大地を綺麗にしていくと決意したのだ。


──だからもうあの地獄のようだった家に戻る訳にはいかないわ。もう私の人生を他人ひとの勝手にさせてたまるもんかっ。


 ゆえに、ルーナはソレイユに問うた。


「わ、私に、でき、出来る事を、教えてくだ、下さいっ!」


 ソレイユにはガチガチと歯を鳴らしながら不恰好に話すルーナの言葉が、まるで雄叫びの様に聞こえた。戦場で聞く戦友たちの、あの頼もしい声の様に。


(このは……間違いなく強い)


 そう確信したソレイユに迷いはない。ルーナの両肩に手を置き、力を込めて彼女の瞳を真っ直ぐに見る。


「よし! 共に戦う覚悟は出来ているようだね。ならばルーナ、よく聞いてくれ」


「は、はいっ!」


「俺は君を愛している!」


「は……い?」


 ルーナはソレイユが一体何を言っているのか分からない。だから飲み込んだ息を吐き出すのも忘れて固まり、目をぱちくりとさせている。


「もちろん一人の男として、一人の女であるルーナを愛しているという意味だよ」


「は、はい……」


 呆気にとられているルーナを見て、ソレイユは少し唐突すぎたかと反省した。この辺がオリガの言う不器用さなのかとも思ったが、いまさらもう遅い。


「いいかいルーナ、君をブロッド卿に渡さない為の作戦が俺たちには一つある。そしてその作戦をするかしないか、その決断は君がしなくちゃならないんだ」


「わ、私、何でもやりますっ!」


「ルーナの人生を懸ける決断になるから、よく考えて欲しい」


「は、はいっ!」


 正直ルーナは混乱していた。ソレイユがさっき自分を愛していると言ったのは何だったのだろうか? それがいつの間にか、人生を懸ける作戦の話になってしまった。

 けれどルーナはもとより人生を懸けるつもりでいる。なんの躊躇ためらいもない。


「作戦というのはね、俺とルーナが結婚するというものなんだ」


「はいっ! って、え……ええっ? 私とオジサマが結婚!?」


 確かに躊躇いはなかったが、この作戦に驚かないでいられる程、ルーナはまだ世慣れてもいないのである。


「うん、だからその前に告白した。君を愛していると言ったのは本心だし、俺は君を妻にしたいと本気で思っている」


 ソレイユは今回の作戦──つまり『決闘婚』について詳しくルーナに話した。

 もちろんルーナが結婚を望まないのであればまた別の作戦を考えるし、ソレイユとしてはルーナには出来れば本当に愛してる男性と結婚して欲しいとも伝えた。


「そうなんですね……それで結婚を」


 ルーナは気持ちを落ち着けて、深く自分の心の中を覗いてみる。


──オジサマは作戦の実行を決断するのは私だと言った。


 それは結婚という人生の一大事が関わっている作戦だからだ。それだけ私の気持ちを大切にしてくれているからに違いない。

 むろん仮初めに結婚して作戦を実行する事もルーナには可能である。


(だけどオジサマは、出来れば本当に愛した男性と結婚して欲しいと言ったわ)


──君を愛している。


 そう告白したソレイユの声が、ルーナの中で何度も繰り返して聞こえてくる。まるで自分の心臓の鼓動に合わせているかの様に、何度も何度も。

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