第15話 作戦

 宰相のギュンター公爵に公然とルーナの奪還を告げられ、ソレイユが王都より領地へと戻ってから今日で十三日になる。

 まだ何も知らされていないルーナは被災地の浄化作業を順調にこなし、忙しくも充実した日々の中にいた。


 瘴気が浄化された土地はすぐに村の農夫たちによって耕され、土に堆肥が混ぜられる。来年の収穫に向けた麦の種まきの準備にも抜かりはないようだ。

 暗かった被災地に活気が戻る姿を見ていたら、それだけで鍬を振るうルーナの腕も軽くなる様な気がした。


 しかしソレイユとオリガにとってのこの十三日間は、まさに時間との勝負に神経を磨り減らしながらの日々だった。

 二人がようやくルーナ奪還阻止の作戦を仕上げたのがまさに昨日であり、まるで待っていたかの様に『その日』が訪れる。


 宰相の降った賽の目が再び盤上の駒を動かしたのだ──


 一日の作業を終えたルーナを伴ってソレイユとオリガが宿に戻ると、一人の近衛兵が待っていた。

 その近衛兵は王宮からの先触れの役を務める者である事を自ら伝えた。


 今日から五日の後、ソレイユ辺境伯爵邸に国王陛下からの使者が参ると告げた近衛兵は、正式な文書を手渡すと早々に帰ってゆく。

 五日後に来るという使者の要件は考えるまでもない。宰相が画策していたルーナについての新たな御沙汰が国王より下りたのだろう。


 むろん今日までソレイユたちは、ただ作戦の立案だけをしていた訳ではない。

 王国軍総司令の公爵や軍閥貴族に根回しをし、国王陛下にルーナ保護について現行の有効性を再三具申してきたのだが。


──やはり、宰相の圧力に負けたか。


 ソレイユは険しい態度で宿の自室のソファに座ると、オリガへ向かいに座るようにと目で促し、眉を寄せて腕を組む。


「オリガ、確認しておこう。我々で協議した結果、この事態に及んだ場合にとるべき作戦は三つだな」


「はい、間違いありません」


 オリガは軍人の顔をして頷く。今の状況は決戦を前にして劣勢にある軍と同じである。それを覆して勝利を収めるためには策が必須なのは明白だ。

 ゆえに二人は何日も協議を重ねて策を練ってきた。


「まず作戦その一だ。俺がルーナを養女にし、父親として婚約の破棄を試みる」


「はい、しかしその場合、国王陛下の承認を得た婚約を破棄する理由にはならないかと。実の娘では無い以上同情も得られないばかりか、ルーナ様の異能を独占する為の私利的行為と取られるでしょう」


 ソレイユは不服そうな顔をした。自分としてはこの作戦が一番いいような気がしていたからだ。

 ルーナが貴族になる事で、彼女の何らかの幸せの可能性を摘む事になるかもしれないが、この際やむを得まい。


「私利的行為ね……ルーナにはいずれ他領の被災地にも行って貰うつもりだが、自領を優先している現状は確かに俺の弱味だな──次、作戦その二」


「はい、ソレイユ様がルーナ様と共に国外へ逃亡するのが作戦その二です。ですがこれは何度も申しあげますが悪手です。国王陛下の命に叛くのですから、間違いなく国家反逆罪で手配され逃亡生活におちいります」


「だよなあ……」


 そう同意してみせたソレイユであったが、最悪ルーナを守れないと判断した時はこの作戦その二を実行するつもりでいた。


 騎士道あってこその貴族であり領主なのだ。辺境伯爵家を捨てる事となろうとも、ルーナを守り抜くという約束を果たすのが騎士としての本懐である。

 信頼できる親類縁者に家名を継いでもらえば、領地も現在の使用人たちも心配はない。


「まあ、これは最後の最後での非常手段だろう。となると作戦その三か……しかしこれはルーナの気持ちを考えるとなあ」


「どうしてでしょう? 私はこの作戦こそが最良の選択だと思いますが」


 オリガが支持する作戦その三というのは、法律の面からルーナを守る方法を探していた時にソレイユが見つけた策であった。

 今から百五十年程前の裁判記録にあったその判例は、それより以前にも数回行使されただけの忘れられた法律である。しかし王国の法律は国王の権威の象徴であるのだ。実効性を論じる隙は無い。


──それが『決闘婚』。


 既に婚約者のいる女性や親の許可を得られない未婚の女性との結婚を望む男性が、その女性もまた結婚を望む場合に限り、男性は女性の婚約者または父親に決闘を申込み、勝利する事でその結婚が認められる法である。


「しかし俺とルーナが結婚するんだぞ?」


「何か問題でも?」


「そりゃあるだろ! ルーナの歳を考えてみろよ、こんな中年男と結婚させられたら嫌に決まってるよ。それにルーナにはちゃんと恋愛をして好きな男と幸せな結婚をしてもらいたいんだ」


 ソレイユは嘘偽りのない本心からそう言った。しかし嘘はなくとも正直とは言えまい。なぜならソレイユ自身の気持ちを故意に無視しているのだから。

 さといオリガはそれを見逃しはしない。


「ソレイユ様はルーナ様が恋愛をして好きになる男性が、ご自分である可能性から目を背けていますよね」


「いや、あり得ないだろ」


「ほらまた。なぜ正面からその可能性を見ようとなさらないのですか?」


「なぜって……」


──そんなのは決まっている。俺がルーナの事をすでに愛してしまっているからだ。


 最初は本当に父親の様な気持ちでルーナを可愛く思っていたのだ。それは保護欲であったとも言えるだろう。


 しかしルーナとの生活の中で、彼女の生きる姿勢やたたずまいを見てきたソレイユは、抵抗し難くこころひかれるようになった。健気な一生懸命さが美しかった。

 彼はいつの間にか一人の男としてルーナを愛していた。


 だがそれは決して認めてはならない感情なのだ。認めてしまったらルーナを苦しめてしまうだろうとソレイユは思っている。

 だってそうだろう、状況的にもルーナの立場ならソレイユに恩を感じざるを得まい。真面目過ぎる程のルーナなのだ、もしソレイユの気持ちを知る事となったら。


(あの娘は自分の気持ちを曲げてでも、俺の気持ちに応えようとするだろう……)


 そんな残酷で卑怯な真似を、ソレイユは自分に許したくはない。潔癖過ぎると笑われようとも。


「オリガ、俺はルーナにはね、王国から押し付けられた婚約とか、いま保護された籠の鳥の様な状況なんかで恋をして欲しくはないんだよ。大空を羽ばたける自由な状況で恋を見つけて欲しいんだ」


 そう、たとえルーナが自分に恋愛感情を抱いていたとしても、それは籠の鳥での恋なのだ。成就するべきではない。


 真摯に答えたソレイユに、オリガは「なるほど」と真面目に頷いた。

 だが、その後に続けられたオリガの言葉に、ソレイユは面を食らう事となる──


「ソレイユ様、もしかして酔っぱらっているんですか?」


「はあ? 酔ってるわけないだろ、酒も飲んでいないのに……」


「じゃあご自分に酔っていらっしゃる?」


 確かに普段からよく軽口を叩くオリガである。でも時と場合というものがあるだろとソレイユは少し腹を立てた。

 自分としてはかなり誠実に気持ちを伝えたつもりでいたからだ。


「なんだよ、自分に酔ってるって」


「違いますか? ソレイユ様が恋愛に潔癖で不器用なのは存じておりましたが、しかし籠の中の鳥とか大空を飛ぶ鳥とかは何ですか? 夢見る乙女ですか? それとも父親気取りですか?」


「父親気取りって、お前……」


 ソレイユにしては険を含んだ目でオリガを見つめた。しかしオリガはその視線をまともに受け取りながらも、まったく悪びれた様子は無い。


「自分のむすめだけは夢の世界で生きる特別な存在だと思う、そんな親バカは見苦しいだけですわ。誰だって人はみな自分に与えられた現実の中で、必死に生きているのですから」


 オリガはソレイユからの視線を逸らさぬままに、言葉を続ける。


「それにたとえ自分が何処で生きていようと、本物の恋と出逢えば分からないはずがありません。そんな事も分からないほど、人を愛するとは頼りないものですか?」


「それは……」


 果たして先に視線を逸らし床へと落としたのはソレイユの方であった。

 口ごもった後に漏れたのは言葉ではなく、長く吐いた息。


 だがやがて再びオリガを見たソレイユは、漸くという風に口を開く。


「…………」


 しかしその言葉もまたソレイユ自身によって飲み込まれてしまったようだ。

 そんなソレイユの葛藤を、オリガはただ黙って見守り続けるのであった。


 ソレイユの葛藤はひとえに、自分の心に正直になる事への恐怖との戦いと言えるだろう。

 正直な心を覆うたった一枚の薄皮を、人は様々な理由で剥がすまいと苦心する。だから今ソレイユも、途方もない数の思考を繰り返してその薄皮と向き合っていた。


 それほどまでに正直になるという事は、人にとってある意味恐ろしい。


(俺は間違っているのだろうか?──)


 オリガの言葉のひとつひとつに、ソレイユは認めざるを得ない真実を感じていた。

 自分がルーナの為にと思って守ってきた薄皮が、酷くみっともないものに思える程、それは強烈な真実だ。


(そうだな……おそらくオリガが正しいのだろう)


 深く息を吐き椅子から立ち上がったソレイユは、オリガに「ちょっと一服しようか」と言って魔法で湯を沸かし始めた。


「いいお茶が手に入ったんだ」


「あ、なら私が──」


 そう言ってオリガが自分で入れようとしたのを、「いや大丈夫」とソレイユは制止する。

 そして「自分で淹れたいんだ」と言って僅かに微笑んで見せたのだった。

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