第14話 希望

 小狐亭という屋号のその店は田舎の酒場に相応しく、飾り気のない地味な構えの店である。

 それでも店回りは綺麗に整頓され清潔が保たれており、店主の真面目な経営姿勢が伝わってくる。


 ソレイユは店の重いドアを開けると、「どうぞ」と言ってルーナに笑顔を向けた。

 明らかに緊張しているルーナは蚊の鳴くような声で「はい」と返事をし、まるで滝壺に飛び込むかの様にして店の中へと踏み込む。


 すると静かな外とは打って変わった酒場の熱気が押し寄せる。それに圧倒されたルーナは、思わずソレイユの後ろに隠れてしまったようだ。

 魔人災害復興中の田舎町の酒場ではあったが、街道沿いにある町なだけに客の数は少なくない。


 ソレイユはそんな怖じ気づくルーナに振り向きながら、「俺と居れば心配ないよ」と優しく励ました。

 すぐに店の隅に席を見つけルーナをそこへとエスコートすると、彼女の為に椅子を引く。酒場では場違いな所作の様にも思えるが、なかなか板に付いてて嫌味がない。


「あ、ありがとうございます」


 今では使用人に椅子を引いて貰う事が日常のルーナであったが、ソレイユ自らとなると話が違う。ゆえに顔を赤くしておずおずと席に着いた。

 程なくして現れた給女にソレイユは、慣れた様子で注文をする。


「俺にはエールを、彼女には蜂蜜酒をミルクで薄めてね。あとこの店の自慢の料理をいくつか頼むよ」


 ルーナは何だか大人の世界に入り込んだ気がして、さっきからキドキが止まらない。

 すぐに運ばれてきた酒で二人は乾杯をして、ルーナの成人を祝ったのだった。


「蜂蜜酒って本当に蜂蜜の風味がして、ほんのり甘いんですね!」


「気に入ったかい?」


「はい、お酒ってもっと苦いものかと思っていました」


 店の自慢料理はどれも素朴な田舎料理であったが、ルーナにはそういう料理の方が口に合うらしく、美味しそうに食べていた。


「わぁ! このウズラ肉とレンズ豆の煮込みは、お父さんの大好物だわ」


 そう言って少しの間、黙って料理を見つめていたルーナは「ねえオジサマ、私が酒場でお酒を飲んでいるのを見て、天国のお父さんはビックリしているかしら?」と、穏やかな声音でソレイユに訊いたようだ。


 ソレイユは一瞬沈黙したルーナが死んだ父親の事を思いだし、悲しい気持ちになったのではないかとヒヤリとした。

 しかしルーナの様子からはそういう気配は感じられず、濁りのない瞳で見つめてくる。


 ゆえに内心ホッとしながら、「間違いないね!」とウィンクした。


 ルーナが慣れない貴族の生活に溶け込もうと、マナーや教養の習得に自ら頑張っている事をソレイユは知っている。

 無理をする事はないと心配しても、ルーナは決して止めようとはしなかった。


 しかし今の彼女に限っては、何だか農夫の娘に戻った様にリラックスして見えるのだ。

 ソレイユにはそんなルーナが微笑ましい。だからこそかえって心配となり、思わず訊いてしまったのだろう。


「貴族としての毎日の生活は、ルーナにとって辛いんじゃないかい?」


「えっ? 全然辛くないですよ」


 目を丸くしてそう答えたルーナが嘘を言っている様にはみえない。どうやら杞憂であったらしいとソレイユは胸を撫で下ろす。


「むしろ毎日が夢のようです。お父さんが死んであの恐ろしい家に引き取られてからは、いつも泣いてばかりだったのに──」


 ちょっぴり酔ったのだろうか、ルーナにしては口が滑らかだ。


「不思議な力で被災地のみなさんの役にも立てて、生まれてきて良かったなって時々思ったりもしたりして……エヘヘ」


 頬を染めたルーナが恥ずかしそうに話す姿を見ていたら、ソレイユは彼女に対するどうしようもないいとおしさが湧いてきた。


 それは本当にどうしようもないほどに。


「ねえオジサマ、笑わないでね?」


 上目遣いで何かを打ち明けようとするルーナに、ソレイユは「もちろん笑わないさ」と頷いた。


「私の不思議な能力って、魔人災害の犠牲になった人たちとお父さんが天国で話し合って、それで代表として私に復興の能力ちからを託してくれたんだと思うんです」


「ほう……ルーナが代表とはすごいね!」


 その話を聞いたソレイユは得も言われぬ喜びに満たされる。

 やっぱりルーナは自分で能力の意味を考え、それと共に生きる意味を見つけようとしていたのだと。


 しかしその喜びが思わずニヤケ顔として表れてしまい、その表情を見たルーナは勘違いをする。


「あ、いえ、お父さんが勇者だったから、たまたま私が選ばれたのかなって……もう! オジサマったら、だから笑わないでって言ったでしょっ!」


 ソレイユに笑われたと思ったルーナは、そう言って口を尖らせた。


「違う違う、笑ってなんかいないよ」


「ほんとに?」 


「本当さ、でもどうしてルーナは自分の能力についてそう思ったんだい?」


 ソレイユはもっとルーナの事が知りたかった。成人したてのこの少女から、こんなにも目が離せない自分を奇妙に感じながらも、その気持ちを止める事ができない。


 ルーナもまた自分に興味を持ってくれるソレイユの事が嬉しかった。だから照れながらも真っ直ぐに気持ちを言葉でと綴る。


「えっと……私、凄いなって思ったんです。オジサマの領地で沢山の被災者の方々と知り合えて、どの人もみんな災害の犠牲になった人たちの分までも一生懸命に生きようとしていて──」


 ルーナには災害で家族を亡くした者たちの気持ちが理解できる様な気がしたのだ。

 それは彼女自身も父親を勇者としてのまま亡くした事と無関係ではないだろう。


 別れの覚悟も出来ずに家族を失うと、多くの人は心に突然あいたその穴を埋められずに苦しむという。

 この理不尽な不幸に意味を見出だす事は困難だ。だが人間は立ち止まったままでは生きてはいけない。


 だからこそ亡くした家族の分まで生きるという、自分なりの生きる意味を見つけるのかもしれない。

 そしてルーナにはそれが希望の様に思えた。先立っていった者たちが残してくれた生きる為の希望なんだと。


「その残してくれた希望の一つが、私の不思議な能力でもある気がするんです」


「そっか、希望か」


 ソレイユはどこかおごそかな気持ちで、希望という言葉を噛みしめる。

 神の恩寵などよりも、ずっと神聖な響きをもつその言葉を──


「はい。なので、お父さんやみなさんが私に託してくれた能力で、魔人に汚された土地を一杯綺麗にしていきたいなって思っています。被災者のみなさんの、そして私自身の希望になりますようにって」


 酒の酔いがまわって顔を赤らめているのか、それとも自分の心の内を明かして照れているのか。

 おそらくその両方であろうルーナの顔を、まじまじと見つめたソレイユの視線は限りなく優しい。


「な、なんでしょう?」


 そのいつもとはどこか違うソレイユの視線に、ルーナは更に顔を赤らめる。


「いや、なんでもないよ」


「そ、そうですか……」


 そう、なんでもないのだ。でも、なんでもないからこそ愛おしいのだ。


「よしルーナ、じゃんじゃん食べて、じゃんじゃん飲もう。それで明日も一杯働こうじゃないか!」


「ええっ!? 働くのはいいですけど、飲むのはもう無理ですてッ」


 何だかやけに明るい声で給女に注文をするソレイユに、ルーナはハラハラしてしまう。

 そんな心配を大丈夫だと安請け合いして、今日の酒はやけに旨いとソレイユはルーナに笑いかけるのであった。



 ◇*◇*◇*◇*◇



 ルーナが成人となった日の翌朝、馬車で作業現場へと向かうソレイユは二日酔いに苦しんでいた。


「オジサマ、大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫。病気じゃないから……」


 心配するルーナに引きつった笑顔で答えるも、こめかみを押さえずにはいられない。


「お酒が弱いくせに調子に乗るからです」


 オリガは全く同情していない様子で非難する。それでも「それだけ楽しかったって事でしょうけどね」と、ソレイユの頑張りは認めているようだ。


「すごく楽しかったですよ! 料理も美味しくて、生まれて初めて蜂蜜酒も飲みました。また酒場に行きたいなあ」


 そんな無邪気なルーナに、オリガはギョッとした顔をした。


「ルーナ様いけません、昨日は特別だったんですから。本来は女性が酒場へなど気楽に行っては駄目です」


「そうなんですか……」


 少しションボリしてしまったルーナに、オリガは可愛い小箱を手渡して言った。


「これは私からの成人のお祝いです。受け取って下さい」


 声を上げて喜んだルーナは、早速小箱を開けてみる。すると中には銀と瑠璃でできた小さなハート型のブローチがあった。


「可愛い……」


 ほぅっと溜め息をついたルーナに、オリガは母の形見で申し訳ないけれどと付け加えた。


「えっ!? お母さんの形見って。そんな大切なもの貰えませんよ!」


 慌ててブローチを返そうとするルーナの手をオリガは握り、「大切なものだからこそ貰って欲しいのですわ」と微笑む。


「私は貴女あなたのことを本当の妹の様に思っています。だからきっと母も喜ぶはずですよ」


「そんな……私、嬉しいです!」


 ルーナはオリガの思い遣りに感激し、思わず抱きついてしまう。その姿はまるで仲の良い本当の姉妹の様であった。


「ふ、ふーん、仲がいいね君たち」


「何ですかソレイユ様、もしかして妬いているんですか?」


 オリガの指摘に「うっ」と言葉に詰まらせたソレイユは、ルーナの率直な質問でさらに言葉を詰まらせる。


「何でオジサマが妬くんですか?」


「ううっ」


 するとルーナの手の中にあったブローチをオリガがそっと摘み上げ、「さあ、拗らせた中年男は放っておきましょう」と言って、ルーナの胸にブローチを着けてあげた。


「とっても良くお似合いです」


 ルーナは何だか泣きたくなる様な気持ちになってしまう。けれどそれはどこか甘い、幸福感にも似たような気持ちでもあった。

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