第三章 血のままに生きる少年

第29話 人間の国に紛れたひとつの異端

 町から北西に離れた場所。

その森は合意がなければお互いに出入りという協定が人間と吸血鬼の一族との間に結ばれていた。

境界線は茨の柵や強力な結界が張られており簡単に超えられないようになっていた。

 その森の中には吸血鬼の城があり、何百年もの間吸血鬼の一族はそこで暮らしている。


 吸血鬼の城のとある一室。そこで話し合う二人の吸血鬼がいた。

 片方はケルベスと言い、もう片方は使用人のマルコと言う。


「あいつの様子はどうだ?」

「ここ何日もずっと部屋にこもっているようで……しばらく誰とも話したくないと」

「全く、いつまで拗ねてるつもりだ……」


 ケルベスは心底呆れるようにため息をする。


「仕方ない、私が行く」


 二人は城のとある一室に向かった。


「おい、いい加減に……」


 勢いよく扉を開く。

 しかし、部屋の中には誰もいなかった。


「まさか……逃げ出した!?」



 一方そのころ、吸血鬼と人間との協定を破りその森の中から人間側の領地まで出てきた者がいた。

 背筋を伸ばして心底清々しい顔をした彼は空に向かって叫んだ。


「よっしゃあ!ついに来たぞ人間の国!

 あの堅苦しい城ともおさらばだ!俺はこれから好き勝手に生きてやらぁ!」


****


 一方その頃。町の森の奥深く。

 ブランの屋敷の中でいつも通り話し合いが行われていた。

 食堂の席にはいつものようにブランが真ん中の席にちょこんと座り、その向かい側の席には私が座っている。ブランの後ろには執事の人形が微動だにしないどころか瞬きもせずまるで棒のように佇んでいる。

 唯一いつもと違うのはエウロが私の横の席に座っているということだ。

 エウロはブランの血の研究内容を興味深そうに聞いていた。


「感情によって血の魔素濃度が変わる体質ですか?」


 ブランから私の血についての話を聞いたエウロが驚いた表情をしていた。

 前回の一件以降、エウロはブランの監視、という名目で屋敷に入り浸っている。

 ブランも追い出す方が面倒くさいと感じたようで、最近は放っておいてるようだった。


「確かに人によって蓄える魔素の量が違うことが研究によって明らかになっています。魔素の量が魔術師としての才能に直結することも。

しかし、血に魔素が集まりやすいというだけで驚きなのに、感情によって変化するだなんて……」

「これが記録ダ。本来は他の奴に見せるなんてことはしないガ、この前の一件の貸りを返していないからナ」


 ブランに渡されたくしゃくしゃの紙を受け取ったエウロは神妙な顔でその紙を眺めた。

 魔素値がどうとか、キャタラー値がどうのこうのだとか、聞いたこともない単語のの羅列など私には分からないようなことが書かれていた。

 エウロは魔術師なだけあってブランの研究結果が書かれた紙を理解できるようだったがとても信じられない、というような表情をしているのが見て取れた。


「これに偽りは無いんでしょうね?」

「この俺様が嘘を記述するわけがないネ。」

「しかし、こんなことが……」

「人間によって蓄える魔素が違うなら、部位によって魔素濃度が違っても不思議はないだろウ。もしかしたら頭に集中してるかもしれないシ、手かもしれン」


 ブランから話を聞いてもエウロは納得しきれていない様子だった。

 それほど私の血が特殊であるということだろう。


「これまでの研究では魔素の濃度が体の部位によって異なっていたことなんて……」

「魔素は分かっていないことの方が多イ。絶対に無いと言い切れるのカ?」

「無い、とは言えません。」

「ケッケッケ。固定概念なんて持ってたら研究なんて進まんのダ。」


 ブランはふよふよと椅子の上あたりを浮かびながら嘲笑するようにけたけたと笑っていた。

 その様子を見たエウロは少しむっとした表情をしていたが流石に慣れてきたのか気にせず話を続けた。


「確かに、貴方の言ってることが的を射ているのは事実です。

 そして彼女の体質が特例中な特例なことも。

 彼女の一族が狙われた理由も分かると言うもの。

 錬金術師だけじゃありません。魔術師もこのことを知ってしまえば黙っていない。

 このことが気づかれ、広まらないうちに散らばった一族を助け出さねばなりません」

「他に当てはあるのカ?」

「今はまだ。しかし、魔術師協会の方にも調べてもらっています。

 それほど時間をかけずに調査結果は出るでしょう」


 魔術師協会。その名前を聞いた瞬間にブランの表情が少しだけ険しくなったような気がした。


「マズ、前提としてアタシは魔術師協会を信用していないのだがネ。

 魔術師協会の中に一族の能力を狙う輩がいたらどうすル?」

「絶対にいないとは言い切れません。

 ですが、依頼したトップの人間は信用に足る人物です。それは保証します。

 調査結果も最速で私に送ってくれるように伝えてあります」

「フン。期待しないで待っててやろウ」


 話を終えたブランは自分の椅子まで移動して座り込むと両手で机をばんばんと叩く。

 この流れは……もはや恒例となってしまったあれをやるつもりなのだろう。


「サテ、前回はそいつのせいでできなかったが今日こそ第四回ラーラ幸せ会議を始めるゾ」


 ブランはいつも通り色んなものを用意してあらゆる幸せについての可能性を試そうとするが、ブランが提案するよりも先にエウロが手を伸ばした。


「私に提案があります」


 自分の提案を止められたブランは少し不機嫌そうな表情をしたが、エウロはそんなことは意に介さず話を始めた。


「私はやはり人に奉仕することこそ幸せだと思います」

「奉仕なんざ他人が幸せになるだけだロ。どういう理屈で他人の世話をして自分が幸せになるんダ?」

「分かってませんね。人間とはそういう生き物なんですよ。

 母親だって子供のお世話をすることで喜びを感じるでしょう?

 まぁここは私に任せてくださいよ」


 エウロは胸に手を当てて自信満々といった様子で宣言した。

 よほどエウロに主導権を握られたことが気に入らなかったのかブランは空中に浮いたまま天を仰いでいた。

 しばらくすると少しため息をついて話し始めた。


「チッ。ダガ思いがけない結果を得られる可能性も否定できン。特別に許可してやろウ」

「それじゃ、ラーラさん。行きましょうか」


 エウロは有無を言わさず椅子から立ち上がり私の手を掴むと外へと出ようとする。


「行くってどこへ?」

「まぁまぁ、行けば分かりますよ」


****


 エウロに案内され、町の方へと向かった。

 町といってもブランの屋敷がある森と町の境目の場所なので距離はそれほど遠くはない。

そこには少しさびれた教会があった。

 馬車で町と森の間を行き来する時に何度か見ていたが実際に訪れるのは初めてだった。


「ここって、教会?」

「そうです。今日はここで奉仕活動を行いましょう」


 教会を覗くとあちこちに子供の姿が見える。

 どうやら孤児院も兼ねているようだ。


 入口まで向かうと中にいたシスターがこちらに気づいて駆け寄ってきた。


「あ、貴方は!」


 シスターが駆け寄ってくる様子を見てエウロは誇らしげな表情に変わっていく。


「ほら、私のような人々への奉仕精神のある魔術師となると顔を見ただけで……」


 しかし、私の前で偉そうなポーズで立っていたエウロを素通りしてシスターは私の目の前に来て感激した表情で私の両手を掴んだ。


「……え?」

「その紋章、貴方はブラン様のお弟子さんか何かですか!?」

「あ、いやー、その………」

「この教会は以前経営が立ち行かなくなりそうな時にブラン様が多額の支援をしてくださったことがありまして、それ以降もたびたび支援をしてくださってそのおかげでこの孤児院は今もなんとか続けることができています。これも全てブラン様のおかげです!本当にありがとうございます!」

「あ、いえ……その、どういたしまして……?」


 ブランのやつ、そんなことをしていたのか。一体何のために……?

 これも町の人間の機嫌を取っておいて実験の邪魔をされないためなのだろうか。

 というかそもそも、私はブランの弟子とかじゃないんだけどなぁ……

 錬金術とかも教えてもらったこともないし。

 しいて言えば時々謎の力の実験とか使い方を試行錯誤しているくらいか。


 そんなことを考えていると私の前の方でエウロが素通りされたことによる衝撃で凍り付いていたのが見えた。


「それで、ブラン様のお弟子さんがどうしてわざわざ?」

「えっと、それは……」


 いつの間にかこちらに近づいていたエウロがオッホン、とわざとらしく大きく咳払いをして話始めた。


「ここの孤児院は人手が足りないと聞いたので私たちは何か手伝えることがないかと思い訪れた次第です」

「そうなんですか!助かります!ところで、失礼ですが貴方は……?」

「私は世界に七人しかいないと言われる偉大な魔術師の一人である星の魔術師、エウロです。お見知りおきを」

「は、はぁ……」


 エウロは顎に手をあててきりっとしたポーズを取ってかっこつけるが、シスターは困惑した様子を見せていた。

 エウロは思ったよりも反応が良くないどころか困惑されたことにまたしても衝撃を受けて少し固まっていた。


「……あの、もしかして私のことをお知りではない?」

「い、いえ……星の魔術師のことはよく知っていますが……本当に……?」


 シスターは半信半疑といった表情だった。

 それはそうか。魔術師を代表するような地位の人間が自分のところに来るなんて思うわけがないか。


「いやいやいや、こんな嘘を言うわけないじゃないですか。あ、ほらこれ!星の魔術師である証!六芒星の魔水晶!」


 エウロは腰につけていた金色に光る六芒星の形をした水晶を取り出してシスターに見せた。

 それを見た瞬間シスターが慌て始めた。


「ほ、本当だったんですか!!ごめんなさい!最年少で星の魔術師になったという魔術師の女性がいらっしゃるという話は聞いていますがまさかそこまでお若いとは思わず……」

「い、いえいえ……いいんですよ」

「そ、それで星の魔術師様が一体どのようなご用件で……?ま、まさかこの教会に何か悪いことでも……!?」

「あ、いや……さっきも言った通りただの奉仕活動ですよ。そんな身構えなくても大丈夫です」

「そ、そうですか……それなら、ひとまずついてきてください」


 シスターは歩きながら軽く説明をしてくれる。


「最近は孤児の数も増えてきて……人手が足りていないところだったので助かります。ひとまず任せたい仕事は……」


****


「ちょっと!やめてください!その帽子は私が師匠から譲り受けた大切なもので引っ張っては……あちょっと!私の杖!それ滅茶苦茶貴重で目ん玉とび出るほど高価なんですよ!?子供が持つようなものじゃ……って!誰ですか私のお尻触ったの!子供とはいえ訴えますよ!」

「子供達に好かれたみたいですね」

「まぁ、言ってもエウロもまだ子供だし」


 シスターに案内され教会の中へと入った私たちは早速仕事を始めた。

 エウロの方は「子供たちに私の魔術を教えてあげましょう」と意気込んでいたものの、彼女が魔術を披露するよりも先に子供たちが彼女を取り囲んであれやこれやとじゃれつき始めて今ではあの調子だ。

 私の方は屋敷でブランに押し付けられたこともあって掃除洗濯といった家事全般がここ最近得意になっていたのでシスターと一緒に家事をしていた。


「孤児院ってこんなに大変な作業が多いんですね」

「そうなんですよ。前はよく手伝いに来てくれる人もいたんですが最近あまり来なくなってしまって……」


 私が以前住んでいた集落の中では集落の皆が全員顔見知りということもあり、子供の世話なんかはよく周りのお母さんが手伝い合うこともあった。

 病気で両親が死んでしまうということがない限り孤児になるということはほぼなかった。


「孤児って、こんなにたくさんいるんですね」

「病気で親を亡くしたりだとか、魔物に両親が襲われたり、理由はそれぞれですけどね」

「子供たち……か」


 集落で私はよく子供の面倒を見ていた。

 まるで昨日のことのように思い出せる。

 一人ひとりの顔だって。

 アンナとロナは助けることができたが、まだまだ助けるべき家族はたくさんいる。

 なにより、ロナよりも年が下の子供もたくさんいたし、私は昔のことを思い出しつつ絶対に全員助けて見せるという決意も胸にしたのだった。


 そのあと孤児院の掃除していると、子供が一人おろおろしながら辺りを見回しているのが見えたので私はその子に優しく話しかけた。


「どうかしたの?」

「お菓子がどこか行っちゃんたんだよぉ……」


 お菓子?どこかに落としたんだろうか。


「探してあげるよ。どこで落としたの?」


 しばらく辺りを探してみたものの、お菓子は見つからなかった。

 仕方がないので新しくお菓子を持ってこようと子供を連れて食堂に向かう。

 すると、その食堂で子供たちが集まって騒いでいた。


「お菓子がないんだ!」

「え?ここでも?」


 話を聞いてみたがどうやら落としたとかではなく、机の上に置いてあったはずのクッキーの山がいつの間にか消えていたらしい。

 誰かが独り占めするために盗んだのだろうか?でもあちこちに子供がいるし誰かが目撃しているはずだ。


「おい!お前が全部食べたんだろ!」

「違うよ!こんなにいっぺんに食べられないよ!」

「じゃあお前か!」

「そういうお前はどうなんだよ!」


 子供同士で誰が犯人かと喧嘩を始めてしまったので私はあわてて子供たちの間に入り仲裁をする。


「これこら喧嘩しないの。仕方ないわね。さっきエウロに預けてもらったお菓子があるからみんなこれを……」


 懐から取り出したお菓子を子供たちに配ろうと手の上にのせて机の上に置こうとした瞬間、お菓子の山が目の前で消失した。


「……え?き、消えた!?」


 てっきり落としたのかと思って辺りを見渡したがどこにもお菓子はなかった。

 まさか、魔術?誰かが魔術で瞬間移動させてるとか……

 この前、転移魔術っていうのがあるってエウロから聞いたしもしかしたらそれかもしれない。

 あれこれと思考を巡らせていると子供に引っ張られまくっているエウロが満身創痍な状態で話しかけてきた。


「ど、どうかしたんですか」

「ちょうどいいところに。実は目の前でお菓子が消えちゃって。これって魔術だったりする?」

「気のせいじゃないですか。魔術が使われたのなら魔術痕が残ります。見た感じそんな痕跡はないのでどこかに落としてきたんでしょう」

「そんなはずないんだけど……」


 悩んでいるといつの間にか大分時間が経っていたので、私たちはそろそろ孤児院を後にして屋敷に戻ることにした。

 シスターにあいさつし、子供たちに別れを告げると私たちは屋敷に戻っていった。


 ――しかし、教会の屋根の上でお菓子を貪りながら不敵に笑う影がいたことを私は知る由もなかった。


「フッフ、人間の作るお菓子ってのは案外美味いもんだな」


「ん?あの女……変わった血の匂いがするな。

 面白そうだ、あとをつけてやる」

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