第6話 庭の大掃除

 買い物を終え、屋敷へと戻った。ブランは食堂で薬瓶やガラス瓶を大量に並べて眺めていた。

 ……というかなんでわざわざ食堂に並べるんだろうか。


「戻ったカ。ケッケッケ、どうダ、幸せにはなったカ?」

「あ、うん。……まぁ、ここ最近では一番楽しかったかも」

「そうかそうカ。ケッケッケ、順調ということだナ」

「それで……私は他に何をすればいいの?」

「そうだナ。ほらヨ」


 ブランが手を叩くと天井の隙間から箒が落ちてきて、私の目の前に置かれる。

 毎回思うが何故わざわざ天井から落とすのだろうか。流石に雑すぎると思う。その雑さのせいか落ちてきた箒も傷だらけだった。

 まさかこの上の天井全てが物置になっていたりして……


「そろそろ幸せ計画会議は終わりにして仕事に入ってもらおウ」

「仕事?」

「お前、自分が奴隷ということを忘れてないカ?労働を放棄するものはアタシは評価しないのだネ。」

「何すればいいの?」

「庭の掃除でもしてこイ。庭の汚いとこ全てナ」


 そういうとブランは宙に浮いたままどこかの部屋へと消えていった。『全て』という単語に危機感を抱きつつも、私はブランの言う庭に出た。


 外に出て庭全体を見渡してみる。ブランの言う「庭」はとてもではないが庭と言えるようなものではなく、雑草や怪しい木に浸食されておりうっすらと黒い瘴気のようなものが見える始末。しかもその広さは尋常ではなく

 とてもではないが今日中には終わりそうも無かった。


「……ここを……全部……?」


 始めて任された仕事の量にうんざりしながらも、私はしぶしぶ掃除を始めた。


****


「……なんでこんなに広いの……」


 私はぼそぼそと愚痴を吐きながら、箒を地面に叩きつけてがむしゃらに掃除する。

 思っていた以上に進まず、途方もない作業を繰り返すうちに頭の中では一族の村で起きたことがぐるぐると周り続ける。


「幸せになれ……か」


 ブランの言っていた言葉を思い出す。あの時はついカッとなって怒ってしまったが、冷静に考えてみたら私にとっての幸せとは一体なんだろうか?

 彼は家族のことを助けることを約束してくれている。しかし彼にとってそれは善意ではなく研究を進めるための材料にすぎないわけだし。

 早く家族を助けてもらうためには、彼の血の実験とやらに協力しないといけない。

 血の性質を変化させるためには私が幸せにならないといけない。

 しかし色んなことが同時に起きすぎて幸せとか言われても漠然としてしまう

 頭の中で色々な考えを抱きつつも、私は気力と気合を心の底から噴出させてこの広い庭の掃除を再開した。


****


 日も暮れてきただろうか。持ち前の気合とごり押し戦法によってなんとか全てとは言わなくても全体の六割は片付いてきたかのように見える。正直言って自分で自分の仕事を絶賛したいくらいだった。

 私はずっとぶっ通しで掃除をしていたので疲れ切ってしまい、屋敷の入り口の前の段差に座り込み、休憩することにした。仄かに橙色になりつつある空を見ながらさっきのことについて考えた。


 私の幸せとは一体なんだろうか?

 集落にいたころはそんなことをわざわざ考えてもみなかった

 この町みたいな便利なものがたくさんあったりしていたわけじゃないけど、女の子の友達もいた。男たちとは……殴り合いの喧嘩もしたことはあったけどなんだかんだ楽しくはあった。大人の皆は私の我儘を言っても頭を抱えながらではあったけど聞いてくれたし。

 そんな生活が私にとってはそれが日常だった。

 ……私にとっての幸せは、あの何気ない日常そのものだったってことだろうか。

 そうだとすれば、あの生活を取り戻すことが私にとっての幸せ?

 でも、仮にあの集落に戻れたとして皆逃げていなくなってるだろうから元の生活に戻るのは簡単なことじゃない。

 ブランは家族を探し出すとは言ってたけど、見つけて助けた後は一体どうするつもりなんだろうか。まさかこの汚い屋敷に全員押し込むつもりじゃないだろうか。


 あれこれと考え込んでいると、急にこれまでに疲れがどっと押し寄せてきた。少し休もうと横になると、私はいつのまにか眠ってしまっていた。


****


「オイ。」


 突然、額に針金ではじかれたような強い衝撃が加わり、私は跳び起きた。私が額を抑えて痛がっていると、不満そうな顔をしたブランが目の前にいた。


「お前、何をさぼっていル。仕事は終わったのカ?」

「……え、あ、ちょっと休憩してただけで……」

「質問に答えロ」

「一応半分近くはやったけど……」

「フム。確かに思った以上に進んでいるナ」


 ブランは庭を見渡しながら偉そうに私の初仕事に対する感想を述べる。


「シカシ、まさか庭を全部やろうとするとはナ。そこまでさせるつもりは無かったのだガ」


 ……待った、確かにあの時ブランは「庭の汚いとこ全て」って言ったはず。

 こ、こいつ……!


「いや、そっちが庭全て掃除しろって……」

「アァ、あれは瘴気がかかった特に汚いところ全てって意味ダ。庭全部って意味じゃないのネ」

「いやいや、汚いところって……この庭全部汚いでしょ。そんな言い方じゃ分からないって……」

「アン?そんなんお前の理解力が足りないからじゃないのカ?」


 ブランは首をかしげながら不思議そうにする。

 どうやら本気でそう思っているらしい。


「いやいやいや、誰だってあんな言い方されたら勘違いするでしょ……ていうか瘴気がかかった部分でも全体の七割はあるし……そもそも庭広すぎるし、道具も無いし、色んな草木生えすぎだし、どれから手を付けて良いかも方法も分かんないし……」

「何だお前。文句ばっか言いやがっテ。少しは改善案とか出してみたらどうなんダ?」

「いやいやいやいや、せめて指示をもう少し具体的にしてくれないと……」

「仕方ないだロ、俺様は人間雇ったことなんて一度もないネ。人間への指示のやり方なんて知らんのダ」

「……そうなの?」


 そういえば、この屋敷にはブランとブランが作った人形しかいない。

 私以外の人間をこの屋敷の中で見たことがない。

 それを聞いた瞬間、私は心の中にブランに対する一つの疑問が浮かんだ。


「ずっと、一人でこの屋敷で生活してたの?」

「そうダ。何か問題があるのカ?」

「いやその、寂しく……ないの?」

「寂しイ?それはあれカ。人間が孤独な時に感じる感情のことカ。人間は集団や社会で生きる生物だからそのような感情が生まれるのは当然だガ、あいにくアタシはそのような感情とは縁がないのでナ。その寂しいとやらは理解できン。ケッケッケ」


 ……嘘を言っているようではないみたいだった。

 私だったらこんな汚い屋敷でずっと籠って研究なんてやってたら頭がおかしくなりそうだが、彼にはそういう感情がないようだった。

 人間みたいにしゃべる人形だとしても、感情というものがないのであれば確かに人間にとっての幸せというものが理解できないのも不思議ではないのかもしれない。


「マ、とにかく初日の仕事にしては及第点といったところだろウ。この後は昨日貸してやった部屋で好きに時間でも潰すのダ。こんなにも休憩を与えてくれる主人などアタシくらいのものダ。優しさに感謝するがいいのダ」

「あ、うん。ありがとう」

「明日からは来客の対応の仕事とか食器の片付けとかも任せるからナ」


 ブランは次の日の仕事の内容を言うと、そのまま去っていった。私は言われた通りに昨日押し付けられた自分の部屋へと行く。


 部屋を開けて中に入る。

 部屋は埃や蜘蛛の巣、木の屑や割れた薬瓶や正体の分からない黒色の液体の入ったガラス瓶で散乱しており、更には床には液体がこぼれた痕があった。

 昨日はベッドだけ何とか整えて寝たが、今後この部屋で生活することを考えると、このままにはしておけなかった。


「……疲れてるけど……掃除するか……」


 とりあえずは今日一日はブランに呼ばれるまで掃除に時間を費やすことにした。

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