第7話 ボンベイの世界的商人③
翌日の朝、ジャムシェトジー・タタが俺達の泊まるホテルへとやってきた。
「……随分とすごいところに泊まっているんだなぁ」
本人は驚いている。確かにここボンベイでは一番良いホテルなのだが、イギリス皇太子エドワードもいるのだから、当然といえば当然である。
「おぉ、ジャムシェトジー! 同志よ、よくぞ来てくれた!」
マルクスとアフガーニーが諸手をあげて歓迎している。
うん?
マルクスの態度が前日と全く違うって?
それは当然のことだ。
あの後、マルクスに対して「あいつは必ず成功する。今のうちに協力しておけば、おまえの研究費も出してくれるはずだ」と話をした。
著述業しかしない……というより、ほぼニートなマルクスにとって、自分に研究費を出してくれるかもしれない相手は神よりも偉大な存在だ。階級闘争とかブルジョワジーがどうこうというのは関係ない。「それはそれ、これはこれ」である。
それに、マルクスの盟友フリードリヒ・エンゲルスの営む工場も紡績工場である。
となると、タタとエンゲルスはライバルにもなりうるし、共闘関係も成立しうる。マルクスにとってタタと関係を締結することは損ではない。こういう言い方は何だが、この時代はカルテルとか価格調整などを規制する法整備はない。
ということで、一夜明けたら同志になっている。
タタは「何だ、このおっさんは?」と思っただろうが、仕方ない。
そして、最大のポイントはエドワードの存在だ。
「今後、おまえの工場で良い製品が出来たなら送ってもらうと良い。さすがにイギリスで俺の名前を使うことはできないが、インドで使うのは構わないぞ」
プリンス・オブ・ウェールズであるエドワードとその部下が、インドにおいてはタタ社の服を着るということは相当なパフォーマンスとなる。
タタ本人、最初は「誰だ? こいつは」という顔をしていたが、ユニオンジャックの旗とともにエドワードだと聞かされて、びっくり仰天、その場でひっくり返ってしまった。
「イギリスの繁栄は、インドとともにあってこそのものだ。インドの地場産業が興るということはイギリスにとっても良いことだと考えている」
エドワードは皇太子ではあるが、所詮皇太子、そこまで大きな予算や財産を動かせない。
だから、タタの会社運営に具体的な応援はできないが、間接的な支援はできるということのようだ。本人が言うところによると。
「こっちではイギリス人自体が少ないから何とも言えないが、カルカッタでは総じてインド人に対して横柄だったし、インド人もイギリスと繋がりがある奴ほど横柄だ。こういうあり方は直さないといけないだろう」
と言っていて、インドの地場産業成長の旗振り役としてタタに期待することにしたらしい。もちろん、俺が言ったからというのもあるだろうが。
ただ、イギリス王家も含めた政府と、ボンベイの地元の結びつきが強くなるということは、政治動向に大きな影響を及ぼす可能性がある。
ボンベイはインドの西側にあるから、スエズルートを発展させたい。
その象徴はスエズ運河だ。運河ができれば、運搬コストはこれまで以上に下がり、商業が活発になっていく。ボンベイの産業界にとっては運河が完成することは最大の目標だ。
だから、タタがイギリス皇太子と知り合いになったということは非常に大きい。タタを窓口にしようということになるからだ。
史実でもタタはそのうちボンベイ産業界の重鎮となるのだろうが、その動きが早まる可能性がある。
一方、イギリスにとっても自国に積極的なグルーブが出てくるのは悪くない。
また、スエズ運河に対する評価も変わってくるかもしれない。史実では完成までは妨害していたようだが、「スエズ運河を完成させて、早めに国有化してボンベイに行きやすくしよう」という動きが出てくる。
これだけなら商業上の動きだが、これが政治的な動向にも関わってくるかもしれない。
というのも、ヨーロッパ本土ではプロイセンが勢力を拡張している。
現在、エドワードの王妃の母国でもあるデンマークと戦争中だ。
プロイセンはデンマークに勝利した後、オーストリア、更にはフランスとも戦争をして、ドイツ帝国となっていくことになるわけだが、イギリスがスエズ運河を獲得しようとなると情勢が変わってくるかもしれない。史実よりフランス寄りになる可能性がある。
そうなれば、フランスとプロイセンの戦争が未然に止められる。ドイツ帝国は建国せずに歴史が変わっていく可能性がある。
まあ、そこはそれ、プロイセンにはビスマルクがいるから、何だかんだとうまくやるかもしれない。
俺は山口と違って、俺はヨーロッパの動向を全部知っているわけではないから、細かい動きの違いが分からないから、な。個々の動きに反応してプロイセンを完全に封じ込めることはできない。そもそも、プロイセンを封じ込めなければならない理由もない。
とにかく、色々と歴史が変わってくることだけは確かだろう。
エドワードが日本に行ったことで、山口が一気に日本の幕末の流れを変えて行ったが、ここインドについたこととギリシャとの関係も追加することで一気に、インドを中心にヨーロッパの流れも大きく変わることになりそうだ。
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