第5話 ボンベイの世界的商人①
エドワードが勧めるから、ムガル皇帝の一族と会ってみるということで話は決まった。
ただ、相手も一応皇族である。いきなり会いに行くわけにもいかないので、手紙を送ることにして、それまでの間西側のボンベイに行くことにした。
現在はムンバイと呼ばれているボンベイは、インドの西側の中心地だ。
喜望峰ルートでインド洋を横断する時代に中心地となった東のカルカッタと異なり、西側のボンベイはスエズルートで陸地沿いを進む際には利便の高い場所にある。
そのため、19世紀半ば以降は発展が目覚ましいところだ。
イギリス総督府の支配ももちろん及んでいるが、その支配が長いわけではないので、現地インド人の進出も大きいらしい。
カルカッタはブラフモ・サマージの活動なども含めて、割と格式ばった、イギリス式の街という雰囲気があるが、ボンベイはより自由な雰囲気だ。
当然、不慮の事態が発生するとまずいのでエドワードはきっちりと護衛がついているが、俺とマルクス、アフガーニーにはそこまでの配慮はない。
なので、3人で歩いていると、不意に声をかけられた。
「へい、そこのアンタ! 珍しいね! 中国人がこのボンベイを歩いているなんて!」
チラッと見ると、アジア人にしては彫りが深く、といってインド・ヨーロッパ系としては少しのっぺりした感じの、黒い髭を蓄えた男がいた。帽子や服は高価なものを着ている。
中国人と間違えられるのは仕方ないだろう。
今も昔も、海外にいる日本人はそれほど多くない。中国人の方が圧倒的に多いから、どうしても間違えられる。
「アヘンとかどうだい!?」
「あ、アヘン……」
確かに、インドで生産されたアヘンが中国に売られて、その貿易不均衡からアヘン戦争やアロー戦争に発展していたんだったな。清が負けたから、アヘンは未だに中国に売られているということか。
「なあ、どうだい?」
俺をカモと思ったのか、機敏な動きでついてきた。
「悪いな、俺は日本人だから興味ないよ」
男が足を止めた。「何い!?」と叫ぶ。
「日本!? あの鎖国されている日本から来たって言うのか!?」
うん、こいつ、日本を知っているのか?
尋ねると、当然だとばかりに自分に親指を向けて威張るような仕草をした。
「当たり前さ、俺は中国にもインドにも、ヨーロッパにもアメリカにも行ったことがある」
「……本当か?」
それが本当だと随分凄いな。
「ということは、イギリス人か?」
「いやいや、インド人だ。正確にはペルシャから来たがな」
「へえ、ペルシャ」
「そうだ俺の家は2500年以上続く名門だ」
「……それはすごいね」
相手に合わせて賞賛はしたが棒読みである。
自称2500年続く家なんて、怪しいことこの上ない。それこそ日本の天皇家くらいなら主張できるかもしれないが、世界各国の王家だって怪しいものだ。
「聞いて驚け。俺の家は、ゾロアスターの司祭の家だ。なんて言っても日本人には分からんか?」
「ゾロアスター教?」
というと、大昔のペルシャで栄えていた宗教のことか?
確か拝火教とか言ったっけ。善悪の二大神がいて、最終決戦をする的な。
1000年以上前にイスラームに負けて駆逐されたと思っていたが、未だに存在しているのか。インドは凄いな……。
そんな化石のような宗教をずっと信仰しているとなると、確かに歴史ある一族なのかもしれない。「歴史があるな!」というよりはアンダーグラウンド的に怪しさの方が大きいが。
「で、ゾロアスター教の司祭がアヘンを売っている、と?」
「アヘンだけじゃないね。綿花も取り扱っている」
「あぁ、確かに南北戦争で綿花の需要は伸びているよな」
綿花の一大生産地というと、この時代はアメリカ南部……つまり連合国だが、合衆国と南北戦争中で海上封鎖を受けている。
もう、この時期になるとかなり劣勢に立たされていて、綿花の輸出どころではないだろう。
男が「ほお」と声をあげた。
「あんた、日本人なのにそういう目端が利くとはやるじゃないか」
「多分、おまえより世界を歩いているんでね」
こいつの妙に自慢ぶった口調にイラッとしていたのか、俺は対抗意識を燃やして訪問国をあげていく。
「日本、清、シンガポール、タイ、イギリス、フランス、オーストリア、トルコ、エジプト、ギリシャ、アメリカ、メキシコ……」
「本当か? すごいな。今度、それだけ英語が話せる日本人なんて、日本で会社でも作れば大商人になれるんじゃないか?」
「あぁ、まあ、そうかもしれないな」
大商人というのは考えたことがなかったが、確かにその気になれば同じ土佐で岩崎弥太郎を誘って後の三菱に入るくらいはできるかもしれないな。
「その気がないなら、俺の会社の日本支社長になるか? 日本で売れそうなものもどんどん用意するつもりだし」
まさかの商売人からのスカウト。
一応、こう見えてギリシャの外務大臣みたいな存在なんだが、と答えたらどういう顔をするだろうか?
「……ということは、あんたは社長さんなの?」
「いや、まだ社長じゃない。今は父親の下で働いている。だけど、30歳になるまでには社長になる」
いかにも成功しそうな雰囲気の起業家っぽい発言だ。
インドで大成功した人物なのだろうか?
とはいえ、名前を聞いても分かりそうにない。
さすがにこの時代のインドの人物には詳しくないからなと思ったが……。
「俺はジャムシェトジー・タタだ。覚えておくといい」
タタ……?
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