第6話

 アテネにあった宮殿は、クーデターによって破壊され、今は再建中だ。


 その間、俺とゲオルギオスは仮の宿舎に住んでいる。仮とは言っても、国王が住む宿舎であるから十分すぎる建物に見える。ま、それはあくまで日本の庶民から幕末武士だった俺の感覚で、ゲオルギオスは色々不満なようだ。


「私が再建するからには、二度と破壊させぬような宮殿にしてみせる!」


 と、息巻いている。


 ただ、気合が入っているのは結構なことなのだが、どうもデンマークにいた時と比べて国粋主義傾向が増しているようで不安だ。ギリシャは周辺国と比較して強いわけではない。もちろんゲオルギオスにはイギリスとロシアの皇太子と義兄弟という関係はあるが、それだけで押し通せるほど外交というものは甘くない。


 もっとも、だからといって俺にはどうすることもできない。ギリシャ国民の投票で選ばれたという経緯もあるわけだし「ギリシャ王を挿げ替えましょう」というわけにもいかないからな。



 俺は、俺にできることをするだけだ。


 ひとまずエヴァンゲロス・ザッパスと会いたいのだが、彼はルーマニアの首都ブカレスト近郊に住んでいるという。ワラキアはもちろん、東欧でも屈指の大農家で大富豪、呼びつけて来るような人物ではない。


 もっとも、俺が行くかというとそれも問題がある。アテネからブカレストまで行くのは海路を使えば二日程度だが、言葉も通じない、身寄りもほとんどいない場所である。


 だから、俺から行くのは彼に来てもらうよりも難しい。


 さしあたり出来ることは手紙でも書いて、向こうが来てくれるのを待つことだ。



 ちなみにルーマニアは2年前に公国として独立した。


 ルーマニアといっても現在のルーマニアの2/3程度である。この時代はワラキアとモルダヴィアの連合国のみで、トランシルヴァニアはオーストリア領、一番ややこしいドブロジャ地域はロシアに行ったりオスマンに行ったりしている。



 ザッパスは無理なのだが、もう1人のザッパス・オリンピックの立案者であるソウツォスは向こうからやってきた。


 こちらも30年以上前から愛国詩人として名を馳せており、結構な歳だ。


 体もあちこち悪いようで、ふらふらしながら仮宿舎の俺の部屋に入ってきた。


「うん?」


 何だかプーンと臭ってきた。こいつ、酒飲んでないか?


 いや、飲んでいた。酒臭い息を吐きながら因縁をつけるように言ってくる。あ、もちろん、そう聞こえるだけで本人が何を言っているのかは分からない。


「おまえがリンスケ・ミヤーチという奴か」


「そうだけど?」


「おまえはオリンピックを世界的なイベントにしたいそうだな? 目のつけどころはえぇ。だがな、オリンピックはギリシャの魂じゃ! そんなものを金に換えようなど、許されるものではないんじゃ!」


 大層憤慨している。


 憤慨するのはいいのだが、何で酒を飲んでくるのかねぇ?



 どう答えたらいいものか。


 ひとまず、正面からついてみるか。


「金に換えるのは許さんと言っても、ギリシャ国内でやるのにも、ザッパスさんにお金を出してもらったんじゃないのか?」


「それとこれとは話が違う!」


「いや、違わないでしょ。それにギリシャが独立できたのも、イギリスとかフランスとかロシアが強力してくれたからでしょ? だから、ギリシャでオリンピックを成功させるのにも、イギリスとかフランスとかロシアの協力が必要じゃないか? 俺はその三国だけでなく、日本や清、オスマンやインドあたりにも協力を求めようと思っている。みんなの目がギリシャに向いて結構なことだと思うのだが、違うのか?」


「そうだ! 吾輩の指揮するインターナショナルもいるぞ!」


 黙っていたマルクスが後ろから突然叫ぶ。


 うん、インターナショナルには期待していないから……



 ソウツォスはムスッとした顔で黙ってしまった。


 詩人というから激情家ではあるのだろうが、理論的には微妙なようだ。しかも今は酒に酔っている。思ったよりはたいしたことがない相手だ。


「例えばパルテノン神殿の彫刻なんかはイギリスが持っていってしまっただろ?」


 21世紀でも大英博物館で展示されているわけだからな。


「オリンピックも、しっかりしたものを作らないとイギリスとかフランスに取られてしまうかもしれないぞ?」


 これも嘘は言っていない。実際、フランスのクーベルタン男爵が実現させたわけだからな。


 国際オリンピック委員会は一応、アテネを尊重しているが、ギリシャが美味しい目を見ているということはない。


「そうなった時にどうするんだ? 酒と詩で防ぐことはできないぞ?」


 ソウツォスはますます黙りこくってしまった。


 何だか俺がソウツォスをイジメているみたいだが、嘘をついているわけではないし。



 結局、国際社会の状況に対する認識まで含めたうえでの確固たる信念はなかったようだ。ある意味日本にいる尊王攘夷派なんかと似たようなものかもしれない。


「もちろん、うまくいくようなら、何かしら協力してもらうから」


 俺に論破された……というよりは酒が回って眠くなったのだろうが、ソウツォスはおとなしくなった。それを適当に宥めて追い返した。



 今後も似たような文句が出て来るかもしれないが、同じ理屈でやり返せばいいだろう。


 計画が首尾よく進めば功労者としてソウツォスをある程度のポジションにつければ、誰も文句を言わないだろう。



※ソウツォスが酒乱だったという話はありません。

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