第9話 燐介とディズレーリ②

 ディズレーリは「面倒だからイギリスが直接支配しても良いのではないか」という理屈を持ち出した。帝国主義的政策を推し進めていて、海外への積極派兵を行い続けた保守党らしい考え方だ。


「それができるのなら、それが良いかもしれませんね。ですが、できないでしょう」


「ほう?」


 俺のこの答えは完全に予想外だったらしい。ディズレーリは大袈裟に後ろに傾く姿勢をした。


「できない、というのは、日本はイギリスに勝てるということなのかな?」


「それはありません。もちろん、イギリスが考えるほど簡単には行かないとは思いますが。協力者もいないでしょうし」


 海戦や、この時代ではありえないが、空中戦でどれだけ優勢だったとしても、きちんと占領しないことには勝利はない。占領をするとなれば当然それだけの兵力が必要だ。いくら世界最強のイギリス人といえども、日本を占領するだけの兵は揃えられないし、イギリスのために頑張る勢力は日本にはない。


「そうではなく、日本はそうなればフランスに頼むという選択肢があるからです」


「ほう、フランス?」


「日本の中心都市・江戸にはイギリスとフランスの公使館がそれぞれあります。イギリスがダメならフランスに頼るしかありません」


 実際、史実の幕府はフランス寄りで、新政府はイギリス寄りだった。


 日本が全土をあげて、フランスに頼るという方法は十分にあるのだ。


「ふうむ……」


 ディズレーリはその場をぐるぐると回りながら考えている。


「イギリスとフランスはもちろん関係が良いことはありますが、全てにおいて一枚岩というわけではないでしょう」


 例えば、この前までいたエジプトのスエズ運河などが好例だ。


 この後、マクシミリアンがメキシコに行くことになれば、そこまでまた亀裂が生じる。


 日本を巡る動きで、フランスがイギリスの言うことを聞くとは限らない。そこにロシアがフランスを通じて日本に影響力を及ぼしてきたら厄介だ。


 その場合、イギリスが打てる手は限られている。さすがのイギリスも極東でフランスの勢力を駆逐するために武力活動を起こすのは面倒だろうし……。



「どのような解決策を図るとしても、貴国が日本の幕府から取り立てた賠償金以上の金がかかることにはなりましょう」


 賠償金以上、というところに力を込める。


 日本はイギリスにとって地政学的に有用だ。対ロシアでも、対アメリカでも。アジアの拠点地である香港やシンガポールを守る点でも有効だろう。ぶっちゃけ太平洋戦争では日本が香港もシンガポールも占領したわけだし。南のオーストラリアやニュージーランドにしてもそうだ。


 幸いなことに、イギリスはまだ日本に関してメンツ的なものまでは有していない。だから、利害で割り切って考えるはずだ。


 日本側には薩摩が「島津久光の沽券がかかわっている」という要素があるが、イギリス側には「日本に譲歩することは女王陛下の名にかけて許されない」というような事情はない。まあ、人種差別的な要素がないとは言い切れないが、目の前の利益を無視してまでこだわることはないだろう。


 ディズレーリは大仰に帽子で顔を隠すようにして考える。


 次いで「うーん、どうしたものかな」とわざとらしく額に指をあてて考えている。日本の探偵ドラマで探偵が犯人を前にわざとらしくやっているような仕草だ。


 後ろにいる庶民院の議員達を見た。


「日本の言い分としてはかようなものになるらしい。諸君はいかがお考えか?」


 目に映る議員が揃って戸惑った。「いきなりそんなことを言われても」という様子だ。


「特に返答がないようであれば、保守党の見解は私の一存で構わない、ということかな?」


 ディズレーリの問いかけに、全員が無言で頷くような仕草をした。


「……この件については、ミスター・リンスケに理があるようだ。従って、私はこの点に関しては政府の行動を認めようと思う」


 おぉ、意外とあっさり引いた。


「失礼したね」


 ディズレーリは帽子をかぶると、そのまま足早に登っていった。



 呆気にとられたようなジョン・ラッセルだが、「それでは、政府の提言を認めるということでよろしいか?」と決を求めると、「異議なし」という声があがった。保守党ナンバーツーが認めたという事実は大きかったようだ。


 最大の目的は達成された。結果的にはディズレーリが関与してくれて有難かったが、彼も別にその場の思い付きでこうしたわけではなかったらしい。



 会議終了後、俺はディズレーリのところに挨拶に行った。


「先ほどはどうも」


「うん?」


 ディズレーリはわざとらしく反応した。誰なのか、と確認するようにまじまじと俺の顔を見て、「あぁ、君か」という顔をした。


「礼には及ばないよ。こちらとしても君に恩を売っておきたかったからね」


「俺に恩を?」


「君は何だかんだと、色々な方面に顔が利く。保守党が反対して、君達日本系イギリス人が全面的に自由党側に回られるのは厄介だ。少なくとも中立には立ってもらいたかっただけだよ」


「日本系イギリス人……」


 って、何かアメリカ大統領選に関与しているイスラエルロビーみたいな感じの扱いだな。でも、そうか。自由党と保守党のつばぜり合いが厳しくなっている昨今、俺達みたいな勢力でも敵に回して「保守党の連中を落選させよう!」なんてなられると面倒だったわけか。


「それに私もある程度調べたが、リンスケの提案がもっとも楽だろうということは分かっていた。ならば、バシッとまとめて、保守党内でより私の存在を重くすることにも資すると見たからね。見たかね、私が『君達はどう思うかね?』と聞いた時の彼らの顔を。『そんなことは聞いてないよ』と泣きっ面だった連中もいただろう。そんな連中は私に逆らえまい」


 結局のところ、日本に対する好意以外の様々な要素も絡んでいたようだ。


 そういう点では、結果的とはいえ、俺は運が良かったのかもしれない。

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