第10話 燐介、英米式を止められる

 一体全体、何があるんだ?


 俺は佐那の怒りを買うようなことをした覚えはないんだが……


 そもそも、佐那は現時点では坂本龍馬の婚約者だろう。俺が多少変なことをしても怒る資格もないんじゃないか?


「何をブツブツ言っているのです?」


「は、はいっ!」


 俺は慌てて佐那ともう1人の女と一緒に日陰に移る。


 というか、この女は誰なんだ? まあまあ美人な感じではあるが。


「燐介?」


「見てません! 何も見ていません!」


「……何の話ですか? 実は今回、私がここまで来たのは山口様からあることを頼まれたからでした」


「さっき諭吉が話していたこと?」


「それもあるのですが、もう一つあります。私にはよく分からないのですが、山口様は燐介が進み過ぎるのを止めてほしいと頼んできました」


「進み過ぎる?」


 俺の疑問に対して、もう1人の女が出てきた。


「ここからは私がお話いたします。初めまして、宮地燐介様。私は傅善英ふぜんえいと申します」


「傅善英? 中国の人?」


「そうですね。元は太平天国に属しておりましたが、今は山口一太様の婚約者です」


「マジ!?」


 山口の奴、結婚したと言っていたが、まさか中華美人をゲットしていたとは。


「……燐介?」


「何も考えていません!」


 いいなぁ、俺は佐那の言動にビクビクしているというのに……。



 それはともかく、傅善英から山口の意図を聞くことになる。


「日本は帝が長らく強い影響をもつゆえ、キリスト教を広めすぎるのは良くない、とのことでした」


「キリスト教を広めすぎると、良くない……?」


「はい。福澤様はキリスト教を広めることに強く乗り気ですので、私と千葉様、あとは大村様が制止役としてついてきた次第です」


「……はあ」


 ちょっとよく分からない話だ。


 キリスト教を広めすぎると、良くない?


 帝の影響力を強く受けている……?


 まあ、帝の点は分かる。


 ポツダム宣言受諾とか、日本がうまくいかなくなった時に、最終的に天皇が出て来て責任を取るみたいな形になったわけだからな。


 英米式のような君主に制限をかけすぎるシステムは、日本だと災いをもたらすかもしれないということか。


「……分かった。一応考えておく」



 しかし、そうすると憲法はどうするんだ?


 ドイツはまだ統一されていないし、現段階ではイギリスとかフランスあたりをモデルにするしかないと思うんだが。


 もしかして、憲法はしばらく棚上げか?


 憲法抜きで近代化したと認めさせるのはさすがに難しいと思うのだが。



 と、佐那が厳しい目つきでこちらを見ている。


「燐介……」


「な、何でしょう?」


「おまえはどう思っているのです?」


「……へ?」


「私は、山口様に頼まれたので伝えるは伝えました。しかし、おまえが自分の信じる道を進むというのなら、それを止めるつもりはありません。以前も申しましたが、男子の進む道を女子が止めるべきではありませぬ。信じる道があるのならば、そこを進みなさい」


「佐那……」


 信じる道を行け、か。


 確かにもう10年近く前、そんなことがあったなぁ。


「いや、この件は俺が目指すものではなくて、そのついでについてくるものだ。だから、俺が信じる道というわけではない。諭吉は信じているのかもしれないけど」


 日本国家をどうする、幕末維新をどうするというのは、最初から考えていなかったことだ。そのうえで山口がその道を進んでいるのだから、日本のことについては山口に優先権がある。


 福澤諭吉は偉大な思想家であり教育者だが、先のことまで知っている山口の方がついていくには信頼できる。諭吉には悪いが、山口の言うことに従うとしよう。



「私の役割は終わりました」


 佐那が立ち上がり、大きく背筋を伸ばした。


「う~、こちらは江戸と違って窮屈さがなく、伸び伸びとできるわね~」


 急に態度が変わった?


 そういえば、俺といる時はいつも俺が格下、佐那が格上って感じで気づかなかったけれど、琴さんあたりと一緒にいる時は、かなりふざけた芸をしたりしていたな。


 こいつ、もしかして日本では結構ネコかぶっている……?


「あぁ、そうでした」


 と、何か思い出したようにポンと手を叩く。


「燐介は以前、ふっとぼーるなりべーすぼーるなりで体を動かすことをやっていましたが、最近はさぼっているでしょう? たまには私が稽古をつけてあげましょう」


 と、わざわざ日本から持ってきたらしい竹刀を取り出した。



 俺が過ごすはずだった優雅なエジプトの午後の時間は、地獄の特訓に変わってしまった。

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