第12話 燐介、ニコライの診立てをする
ギリシャについての話が一段落ついたところで、ヴィルヘルムが不安げな顔になった。
「しかし、ニコライ殿下は大丈夫なのだろうか? 見に行きましょう」
と、歩きだす。向かう先が分かっているようなので、俺達も付き従うことにした。
最初に気づいた以蔵に確認してみる。
「何か気づいたことはあるか?」
「わしは医者ではないから、そんなことは分からんが……」
「そうだな」
俺も医学的知識は皆無だ。
もちろん、21世紀で過ごしていた分、病名などはこの世界の人間より詳しいだろうが、診断方法や治療方法まで知っているわけではないから、な。
コペンハーゲンにある大学、その医学部の方に向かう。
十分快適そうな部屋にニコライはムスッとした顔で座っていた。
「だからさ~、病気とかじゃないって。ケガがまだ治ってないの」
そんなことを言っている。
子供が風邪などひいて学校を休む。本当にしんどいうちは大人しくしているが少し元気になると我慢できなくなる。「外に出たい」とか言い出して、放任していると外に出て行く。
酷い場合は、風邪を悪化させて戻ってくる。
そんな風邪で寝ていることが我慢できないでっかい子供が、今のニコライだ。
「以蔵、もう一度ニコライの背筋をビシッと伸ばしてやってくれ」
俺が言うと、ニコライはゲゲッと顔をひきつらせる。
「じ、冗談じゃないよ。マジで痛いんだって」
「一年以上経過して治らないケガは、下手すると病気より深刻だからな」
そんなやりとりをしているそばで、ヴィルヘルムが医師に「どうですか?」と尋ねる。
医師は頼りなく首を横に振った。
「分かりませんので、ウィーンへの紹介状を書こうとしていたところです」
「分からないのか……」
痛がりようが尋常ではないから、かなりの後遺症には思う。
本人は落馬で背中を強打したと言っていたから……
「背骨がズレてしまって、痛みが生じるのかもしれないけど、そういうところは診た?」
「うん? どういうことなんだ?」「ですか?」
ニコライとヴィルヘルムが揃って乗ってくる。
「つまり、背骨はこんな感じで沢山あって、それが軟骨でくっついているわけだけど、強打して一部がズレた状態のまま残る。で、ズレたままだから、姿勢によっては近くを通る神経をめちゃくちゃ傷つける可能性がある」
紙に書いて説明すると、2人とも「そうなのか?」と驚いている。
そうか、こうした知識は学んでないだろうな。
「とすると、姿勢に気を付ければいいんだろ?」
「そうも言っていられない。痛いからと姿勢を固定していると、今度は血行障害など別の問題を引き起こす可能性もある。痛い箇所をかばっていると、他の箇所がダメになるというのはよくあることだ」
足首が痛いからかばっているうちに膝に負担がかかる、肘を痛めた野球のピッチャーが肩を痛めるなんていうのは非常によくあることだ。
「それに背骨の問題とも限らない。例えばリンパ腫という癌の可能性もある」
体内を流れる体液には血液とリンパ液というのがある。
血液は有名で誰でも知っていると思うが酸素を運んでいるものだ。一方のリンパ液は老廃物を運ぶものだ。
血液部分の癌は通常、白血病と呼ばれる。
一方、リンパの癌はリンパ腫という。リンパはある程度溜まりやすい部分があり、例えば脇や胸腺のあたりにたまる。それが背中側にも伝わっている可能性もあるが……
そうした話もすると、2人だけでなく医師まで興味を向けてくる。
「おまえ、よくそんなことを知っているな」
「一体、どこで勉強されたのですか?」
うわ、スポーツ医学系だとそこまで難しいことではないが、この時代だとかなり真新しいこととして聞こえるのか。
「……に、日本だ。いわゆる東洋医学というやつだ」
追及されると面倒なので、もう東洋の神秘ということにしてしまう。
俺は以蔵に軽く肘打ちした。
「以蔵、何か適当に日本語を喋れ」
「は?」
「おまえが何か喋っているのを、俺が通訳しているようにして、日本の医学が凄いように喧伝するから」
「……?」
以蔵はちんぷんかんぷんという様子だが、とにかく「喋れ」と言われたのは理解して、少し考えて日本語で自己紹介をする。
「わしは土佐から来た岡田以蔵じゃ」
「……彼が言うには、すなわち日本の医道とは富士山という霊峰の下で始まった特殊な修験道を元にしたものであり、うんぬんかんぬん」
もちろん、ここにいる中で以蔵の日本語を理解できるのは俺だけだ。だから通訳していると言っても口から出まかせで「日本には東洋医学は凄いものがあるのだ」ということを説明した。
2人と医師は唖然としているが、しばらくしてニコライが口を開いた。
「日本ってのはすごいところなんだな?」
「分かってくれたか?」
「ああ、こっちの兄ちゃんは二言、三言話しただけなのに、リンスケは五分以上話をしているぞ。一体どんな言葉を使っているんだ?」
そっちかよ!
ともあれ、ニコライに「ひょっとしたら結構深刻かもしれない」と理解させることには成功した。
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