第5話 生麦の処理と新たなギリシャ王候補

 次の日、俺はダウニング街に外務大臣ジョン・ラッセルを訪ねた。


「随分長いことかかったものだな」


 ラッセルは相変わらず多忙なようだが、会うなり軽い皮肉を言われる。


「で、どうだったのだね?」


 生麦事件に対する薩摩と幕府の対応を聞かれた。ゼロ回答になるから、答えづらくはある。


 もちろん、だから答えないわけにもいかないので正直に答えるわけだが。


「薩摩の回答としては、知らぬ、存ぜぬだったよ。幕府としても薩摩が払わないのなら払うけれど、直接の責任は薩摩にあるってことだった」


「……」


 ラッセルはムスッとした顔を俺に向けてきた。


「……リンスケ、それならばイギリスはどうすべきだと思うのだ?」


「まあ、懲罰の艦隊を派遣するしかないのかな」


 史実がそうなのだし。


 それで薩摩とイギリスも近づくわけだから、その方向で進むしかないのだろう。


 そう思うわけだが、ラッセルは不機嫌な表情だ。


「……リンスケ、おまえは自分の故郷に恨みでもあるのか?」


「恨み?」


 あぁ、そうか。


 俺があまりにも突き放した態度に見えるわけか。



 イギリスとしても、一々艦隊を派遣して砲撃したいわけではない。


 俺なら丸く収めてくれるんじゃないかと期待して派遣したわけで、その俺が「あいつら無理だよ、イギリスが吹っ飛ばすべきだよ」とあっさり答えたのでは、話が違う的な受け取り方になるわけだ。


 まあ、確かに俺の態度は軽いと言えば軽い。


 実際の歴史がそうなったから、イギリスが薩摩を砲撃した方が良い、くらいに思ったわけだが、「日本人としてその態度はどうなのだ」と思われるのも理解はできる。


「でも、ラッセルさん。イギリスだって保守党と自由党の二つの考え方があるじゃない」


「うむ、あるな……」


 21世紀のイギリスの二大政党は保守党と労働党だが、この時代では自由党が対立軸だ。


「日本も開国派と尊攘派が激しく争っているわけだよ。で、イギリスと違って議会もないから京都では斬ったり斬りあったりってわけ」


「……なるほど。我が国では国王と護国卿が争っていた時代のようなものか」


 国王と護国卿というのは清教徒革命の時のチャールズ1世とオリヴァー・クロムウェルのことだ。この時代は確かにイギリスでも斬ったり斬り合ったりということが続いていた。


 いかにも英国紳士らしい嫌味だ。さりげなく「日本は200年遅れている」と言っているのだから。


 まあ、文句を言っても仕方がない。


「そういうことなの。迂闊なことを言うと嫌われてしまうから」


「……分かった。では、日本を開国させるためにやむをえない措置を採ることを了としよう。しかし、その後、我々は誰と交渉すれば良い?」


 おっと、交渉相手の話になった。


 これは山口から言われていた2人を勧めるのが吉だな。


 ただ、イギリスが砲撃するのは薩摩だから、肥前の鍋島閑叟や長岡の河合継之助を勧めるのは違う気がする。


 薩摩だと誰だ?


 西郷? 大久保?


 でも、西郷は島津久光から嫌われていたような気がするな。イギリスが「交渉相手は西郷だ。西郷を出せ」と言うと、それはそれで問題になりそうだ。


 もう一人いなかったかな。


 しばらく考えて、思い出す。


「薩摩だったら、小松帯刀が良いと思う。日本全体なら鍋島閑叟と河合継之助だ」


 と、漢字を書くが、当然、イギリス人に漢字が読めるわけがない。


 だから、ローマ読み表記も記すが、河井は「つぐのすけ」なのか「つぎのすけ」なのか分からない。


 まあ、21世紀のサッカー・ワールドカップでも日本人選手の表記は適当だったり、別人の写真になっていたりすることも普通にある。


 日本だって21世紀はともかく、20世紀途中までは適当な当て字をつけているし、結構間違いもある。このあたりは現地で何とかなるし、山口に言えば理解してくれるだろう。




 生麦事件の件については、日本人からは文句を言われるかもしれないが、「イギリスは薩摩を砲撃してしまっていいよ」ということで報告が完了した。


「この件については植民地担当相などとも諮って、決めることとしよう。次にギリシャの件だが、元々退位させるつもりだったオソン1世が、国民の不満を高めるだけ高めた挙句、クーデターを起こされて退位を余儀なくされてしまった」


 ありゃま、国民に追い払われたのか……。


「……そうなると、どうなるの?」


「オソンとマクシミリアンは似た性向を持っている」


 なるほど、と思った。


 ギリシャの前王であるオソンは元々ドイツ・バイエルン出身だ。で、ギリシャのことにはほとんど関心を向けず、ドイツ式の生活を続けていたらしい。だから、国家のことには無頓着で色々不満が高まったという。


「……確かにマクシミリアンにもあてはまりそうだ」


 マクシミリアンは悪い人間ではないし、ギリシャのことを完全に無視する人間ではないと思うが、結構思いこみが強い。ギリシャ人に受け入れてもらえるかというと疑問だ。


 そして、そのマクシミリアン以上にシャルロッテが厄介だ。あれは皇后だの何だの地位のことしか考えない。ギリシャのことを考えそうにない。


「じゃ、どうするの?」


「秘密裡の交渉で別の候補を立てている。デンマークの王位継承者クリスチャンの息子のヴィルヘルム王子だ」


 デンマークの王子?


 ということは、アレクサンドラの兄弟で、エドワードとも義兄弟になるのか?

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