第5話 国民国家

 私は、井伊直弼から将軍・徳川家茂のことを頼まれた。


 色々考えてきたが、もっとも確実な方法は彼の時代で大政奉還を実現することだろうという結論になりつつある。



 現代の知識を駆使すれば、あるいは幕府体制を維持したままの解決策を見出すことができるかもしれない。


 イギリスやフランスに対して幕府を認めさせることもできるかもしれない。


 しかし、そうした形の近代化となると、私や燐介のような人物がついていなければならないことを意味する。もし、いなくなると、その時に矛盾が一斉に生じて最悪内戦となる可能性もある。


 そうなったら今度こそ植民地となるだろう。



 だから、早めに幕府主導で国民国家への道筋を立てて、名を捨てて実を取るしかない。


 但し、言うは簡単だが事は簡単ではない。


 史実でも徳川慶喜が大政奉還を行おうとしたが、これは国民国家云々というよりは幕府が弱くなりすぎてそのくらいしか方法がなくなってしまったからである(もちろん、提唱者は国民国家への手段と考えていただろうが)。



「一太よ」


 考えを整理したようだ。河井は少し落ち着いた顔になった。


「そうしなければ、ならないのか?」



 恐らく、優れた武士が導くやり方ではダメなのか、ということだろう。


 河井は幕府を見限っていたが、それは幕府の人間が全て無能に見えるからだろう。優秀な人間、つまり河井のような人間が立てば何とかなるかもしれないと考えている。


 大政奉還から国民国家へ、というのはそれを通り越してしまう。過激なものに見えるのは仕方がない。


 そこまでしなくてもいいのではないか、そう思いたいのだ。


 実際、この3年後でもとんでもない考えだと思う者が多くいたのだし。



「これからの時代は総力化が力となります。バラバラではダメなのです。この日の本のすべてを合わせても更に何倍もなる国と戦わなければならないのです」


「むぅ……」


 優れた面々が指導をする、となると例えばアフリカや南米などはそういう傾向があるかもしれない。こうした地域では国家という制度よりも優れた者の言うことを聞き入れる。それは氏族であったり、民族であったり、あるいは宗教であったり。


 しかし、それで惹きつけられる人数には限界がある。


 武士と農民が戦えば同じ人数なら武士が強い。


 しかし、武士の人数には限りがある。



「今、この日の本に戦える武士は全て合わせれば50万ほどおりましょう」


 江戸時代の日本の人口は3000万人ほどと言われている。うち、武士の人数割合は5パーセントから7パーセントだ。


 ただ、これは武士の総数であって、この中には高齢者や幼児も含む。


 戦える者としては、50万人くらいではないか。


「しかし、例えば、ロシアと何か起きた場合、彼らは100万は動員してきます。清は人数だけならそれを遥かに超えてきます。今のままでどうにかなるでしょうか?」


 実際、日露戦争では、日本も100万人前後の兵力を動員した。


 武家体制を残したままこの兵力を動員するのは不可能だ。



「河井様なら、武士という個人より兵器が重要なことはお分かりでしょう」


 戊辰戦争では、優れた武装を整えて局外中立を達成しようとした河井である、武士というだけで戦争には頼りにならないことを理解しているだろう。


「兵器を揃えるにも様々な努力が必要です。それは一部の者だけで成すことはできません」


「長岡だけではダメで、広く、日の本中で効率よくやれ。そういうことか?」


「はい」


「その方はそれしか方法がないと言うのだな?」


「残念ながら……」


「では、そういうことなのだろうな」


 河井は諦めたように頭を落とした。




 20世紀にかけて、平等思想が進んだのは、綺麗事だけではない。


 端的に全員に協力してほしかったのである。


 そうでなければ戦争に勝てないからだ。

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