第14話 燐介、タイ国王と会う①
言葉の問題もあり、ベトナムには長居することはなく3日でフエを後にした。
その後、船は西に、タイへと向かう。
19世紀、アジアのほとんどの地域が植民地となった中で、タイは唯一独立を維持し続けた国である。
とは言っても、ビルマとマレーシアを支配して西から迫るイギリスと、ベトナムを支配して東から迫るフランスの間で苦労したという以外、それほど多くのことを知っているわけではない。
まあ、それでも独立を維持できたのだから、たいしたものだと言って良いのではないか。
もう一つ、タイというとムエタイだ。
元々、タイではムエタイが盛んに行われていたというが、大王と呼ばれるラーマ5世チュラロンコーンが奨励したそうだ。
現代のタイはムエタイも盛んだし、ボクシングも盛んだ。
この流れを少し先取りすることができれば、オリンピック参加国の中に引き入れることができるのではないだろうか。
問題はタイで外国人がどのくらい活動できるかだが、これもそれほど問題がなさそうだ。
イギリスとタイとの間では1855年にボアリング条約が締結されていて、イギリス人がタイ国内で通商活動をすることが認められているし、イギリス外交官のために施設も作られていた。
ただ、駐在大使のような存在はいないようで、現在は香港やシンガポールからコントロールしているらしい。海洋交易の要地であるか否かを重視するイギリスの姿勢も影響しているのだろう。
では、バンコクにはイギリス系の人間はいないのかというと、そういうことはなかった。
現在の国王モンクット(ラーマ4世)が、子弟に西洋文化や言語を教える教師を求めていて、何人か応募しているイギリス人がいるからだ。
「国王は非常に教育を重視している方で、ご自身も時間を見つけては勉強をされています」
国王に対するイギリス人の評価は概ね好評のようだ。
となると、何とか国王モンクットに会ってみたいところだ。それを現地のイギリス系の人に話すと。
「それなら、アナ・リオノウンズに会うといいよ」
「アナ・リオノウンズ?」
「去年から王室に出入りして、皇太子に英語や文化を教えている女性だ」
ほう。皇太子に英語や文化を……。
タイにおいては俺達一行も彼らも少数派なので、お互い親近感は強い。
だから、アナに会いたいというと比較的あっさり話を通してくれるという話になった。
おそらく、琴さんとイネさん、中野竹子と女性が多かったことも効いたのだろう。
「タイというのは凄い国ですね」
そして、その女性陣はタイ国王のやり方に一様に感銘を受けていた。
「日本で、将軍様の後継者や殿様の後継者に同じことをするなんてありえませんよ」
確かにそれは言えるなぁ。
明治維新以降なら、皇太子がイギリスに留学することは普通に行われていたが、この時代でそんなことを主張しようものならすぐに斬られて、四条河原に晒されることになるだろう。
数時間後、頼んでいた人が戻ってきた。
「本人は別に構わないと言っているのだが、王宮住みの状態で、ね。王宮の許可がなければ入れないようなのだ」
「王宮は許可をくれないわけ?」
「それはまあ、国王陛下だしね。誰とも分からない人を通すのは無理だって」
確かに、国王というのはそういうものかもしれないな。
となると、会うのは無理か。タイは独立国だから、イギリス皇太子の知り合いだぞ、というのでは面会の理由にならないだろうし。
と思っていたら、伊藤がとんでもないことを言い出した。
「ならば、殿の書状を作れば良いではないか」
「えっ?」
「確かに。わしらが作ったものを渡せばいいのだ」
井上もあっさりと言い出す。
いや、いいのか。お前ら?
自分の主君の名前を騙って、文章を偽造することになるんだぞ?
「心配いたすな。このような遠国だ。発覚することはない」
「そういう問題ではないだろう……」
この2人はタイが最果ての国のように思っているのかもしれないが、200年くらい前には山田長政とか多くの日本人が来ていたんだぞ。その気になれば、簡単に来られる場所なのだが……
しかし、本人達は完全にやるつもりだ。
会うことができないという現実もあるし、やりたいなら勝手にやらせるとしよう。
かくして、毛利敬親の「日本を支配したからにはタイと国交を交わしたい」という文書が作られることになった。
俺がこれに翻訳文を加えて、「日本の代表として伊藤と井上を連れてきた」という名目でタイ王室に面会要請を出すことになる。
徳川幕府にバレたら、大問題になりそうだ……
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