第7話 一太、薩摩要人と改革案を交渉する①

 翌日、6月2日早朝。


 私は大鳥圭介おおとり けいすけ榎本武揚えのもと たけあきとともに、数人の供を連れて街道を西に向かっていた。



 この日、昼までには江戸城で勝海舟が主体となり、老中たちを説き伏せて改革案を発表すすることとなっている。


 私達は、その内容を島津久光に伝える、というわけだ。


 すなわち、朝廷から勅令をもらって意気揚々の島津久光に冷水をぶっかけるような行為をしに行くわけである。


 さすがに殺されることはないだろうが、面罵されかねない。


 一応、参事として幕府政治に参画することを認めているので、それである程度納得してもらうしかないだろう。



 ついてくる二人、榎本と大鳥は、幕末には欠かせない人物である。


 榎本は幕府の海軍伝習所で勝海舟とともに学んでいた経験もあり、勝も色々見込んでいるようだ。実際、今回、島津久光の件が終わればヨーロッパに行くことが既に内定している。


 大鳥も勝海舟の知己であり、中濱万次郎から英語を教わっていたという。



 要は、勝海舟の信用できる二人ということだ。



 6月3日、私達は横浜の西で勅使を先頭にゆるゆると進んでいる島津軍を見つけた。


 さすがに正面切って向かうわけにはいかないので、近くまで帯同し、宿に入ったところで面通りを願う。


 どうにか通されたところに、見覚えのある顔があった。


 どうやら、向こうも私に気づいたようだ。


「おまえは、大坂にいた……」


 その男、長身の大久保一蔵が私を見て、露骨に表情を険しくした。


「山口一太と申します」


「一体、何の用じゃ? 我々は勅使に従って東下しているのであるぞ」


「もちろん、分かっております。ただし、幕府の方でも改革案を出しましたので、それを島津公にも知っていただきたく」


「何ぃ!?」


 大久保は態度に出さないが、明らかに立腹していた。鈍感な私でも、ピリピリとした苛立ちを感じるほどだ。


 ただし、私が差し出した文を見るにつれて、今度は顔が青くなった。


「おまえ……、まさか」


「何でしょうか?」


「これは吉之助から聞いたんか?」


「吉之助?」


 何故ここに西郷が出て来るのか。首を傾げた私に烈火のような怒鳴り声が叩きつけられる。


「とぼけるな! 西郷吉之助のことじゃ!」



 大久保の怒りはすさまじい。


 私は一瞬、何故、彼がここまで怒っているのか理解できなかった。


「もう一度聞くぞ! これは、西郷吉之助から聞いたのかと、尋ねておるのじゃ!」


 再度怒鳴られ、大鳥と榎本は「一体何なんだ?」と面食らっている。



 私も戸惑っていたが、西郷から聞いた、という言葉でようやく理解ができた。


 大坂で会った後、西郷は私と土方を不審に思い、京まで尾行させていたという。その事実は大久保も知っているのだろう。


 一方で、島津久光と西郷隆盛は仲が悪い。


 だから、島津久光が要求しそうなことを幕臣の私に教えたのではないか。それで、改革案を幕府に先取りされたのではないか、と疑っているようだ。


「西郷殿とは京で会いましたが、幕政のことについては何も聞いていません。島津公とはやりづらい、というようなことを語られていただけです」


「……本当か?」


「解せませんね。西郷から聞いたと、島津公に言ってほしいのですか?」


「……そうではない。本当に西郷は関係ないのだな?」


「もちろんです」


 私の答えに、大久保は腕組みをして考えている。


 あるいは幕府だけのことを考えるなら、「その通りです。西郷から聞きました」と認めた方が良かったのかもしれない。そうなれば西郷嫌いの久光を怒らせて、西郷を更に閑職に押しやることができた可能性があり、幕府にとって有利になる。


 ただ、私は幕府寄りだが、薩長を阻もうと考えているわけでもない。成り行きで井伊直弼の意思を継ぐ形になってしまっているが、それは松陰先生にしても同じである。

 果たしてどう動いたら良いのか、自分でも分からない。



 ともかく、西郷を陥れるのはやめることにした。


 大久保は尚も考え、「わし一人で決められることではない。しばらく待っておれ」と言い、宿を出て行った。


 島津久光に話を通す前に、別の誰かに通したいということだろう。


 思い当たる人物は一人しかいない。



 大久保の次は小松帯刀こまつ たてわき、薩摩の要人中の要人と相次いで知り合うことになりそうだ。

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