第2話 一太、横浜に立ち寄る②

 土方が横浜で休みたいという以上、あえて拒否する理由もない。


 私も横浜で一泊を取ることにした。


 土方の案内に従って宿をとり、そこに荷物を下ろした。土方はすぐに山手にある外国人居留地へと向かう。私も目的がないので、ひとまずついていく。


「誰か会いたい人でもいるのですか?」


 私が尋ねると、土方は「そういうのではない」と笑いながら手を左右に振る。


「でも、中々ないだろ? こういうところで楽しむっていうのは」


「まあ、そうですね……」


 しばらく真面目に活動していたせいで、また遊び人の血が騒ぎだしたようだ。


 ただ、島津久光の一行より大分先にいることも間違いない。一日二日くらいなら、土方の要望に応えた方がいいだろう。



 その日の夕方には、土方は外国人居留地の遊郭に向かったようだ。


 一緒に行かないかと私も誘われたが、そういう気持ちにはならない。


 といって、他に行くところもないので、山手地区を手持ち無沙汰に歩くことになるが。


「山口様!」


 不意に女性の声が聞こえて、ギョッとなった。


 振り返った先に、端正な顔の女性と、若い少年がついている。


 ……のであるが、どちらも見覚えがない。


「えぇっと……」


 私が戸惑っていると、女がニヤリと笑った。


「北宋の芸妓で有名なのはどなたでしょう!?」


「えっ、もしかして、善英……?」


 北宋の芸妓というと李師師である。それを私に対して言ってくるとなると、吉原で李師師と名乗っていた善英以外にはありえない。


 横浜に行っているという話は聞いていたが、今もここにいたのか。


 何より、花魁化粧ではない普通の善英を見るのが新鮮すぎる。


 この時代であるので、化粧も現代ほどのものではないはずであるが、善英の普通の顔立ちは、鹿鳴館の華と呼ばれた陸奥亮子や、銀河鉄道999のメーテルのモデルとなったという楠本高子(ロンドンに行っている失本イネの娘)と比べても遜色のないものと思える。


「もしかしなくても善英でございます。山口様がどのような素顔を想定されていたのかは存じ上げませんが」


 何故か彼女は勝ち誇ったようにクスクスと笑い、そばにいる少年を前に出す。


「こちらは私の弟で、一緒に日本に逃げてきたビリー・フーでございます」


「ビリー・フーです!」


 この少年もかなりの美形だ。仮に江戸にいたのならば、寵童として可愛がられていたかもしれない。




 不意を突かれて出会ったので、主導権は向こう側だ。


 私は、姉弟とともに近くのカフェテリアに行くことになる。


「いかに博識の山口様といえども、コーヒーは初めてかもしれませんね」


 善英が何故か楽しそうに、カフェテリアの女中とともにコーヒーの準備をしている。



 どう反応したものか。


 確かに、日本人であるならば、コーヒーは初体験というものが多いだろう。


 ただ、私は日本人だが21世紀に生きていた者でもある。コーヒーを知らないということはない。


 とはいえ、「コーヒーなんて知っているよ」と反応したならば、何で知っているのだということになるかもしれない。


 もちろん、欧州に行っているからそこで知った風を装ってもいいのだが、ここは知らないフリをしておくほうが賢いのだろう。


「この黒い水は何なのだろう?」


 私は知らないフリをしたのだが、どうもあっさりバレたようだ。


 善英は不敵な笑みを浮かべて、わざわざ唇に紅をつけて、カップに口をつける。


 当然、カップには彼女の紅の痕が残り、


「この上から殿方が飲むのがコーヒーの嗜み方です」


 と随分と挑発的なことを言う。


「そんなわけないだろ」


 さすがに呆れて答えたのだが、善英はそこまで見越していたようだ。


「よくご存じですね」


「少なくともおまえの言う通りの飲み方でないことは、普通の警戒心を持つものなら分かるものと思う」


 私はズバッと言ったつもりだが、全然そうでなかったようで、善英はクスクスと笑う。


「それでは、土方様で試してみましょうか」


「……何がしたいのだ?」


 土方ならほいほい乗ってしまうかもしれない。私は自分が安易に答えたことを認めざるを得ず、善英の反応を待つしかなくなる。


「せっかくですので、山口様の見識を色々と伺いたいと思います。吉原では、私が聞くことはできませんでしたが、ここではできると思いますので……」


「……私の見識を知って、どうなるのだ?」


 投げ槍気味に答えると、善英は舌なめずりをした。


「東洋一の賢者が何を考えているのか、知りたくない者はいないと思います」

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