第9話 燐介、共和党党大会を見物する

 民主党の混迷を見極めた後、俺は諭吉を連れてスプリングフィールドに戻った。


 リンカーンは動いている時はものすごく情熱的なのだが、そうでない時はかなり悲観的なところがある。

 今回の党大会に向けて頑張っていたのに、この期に及んで「やっぱり今回も勝てないのではないか」と考えたらしい。シカゴには行かないと言っている。

 リンカーンの考えは「最有力と目されているのはウィリアム・スワードだが、最初の投票で過半数を取れなければチェイスかベイツが勝つのではないだろうか」らしい。

 ニューヨーク州の上院議員ウィリアム・スワードは共和党最大の実力者であり、有力候補者だが「奴隷廃止主義者ではないか?」と思われている。

 これは現代の価値観ならともかく、この時点のアメリカでは行き過ぎだ。

 リンカーンのスタッフ曰く、若かりし頃はともかく、今のスワードはそこまで無茶なことは考えていない。しかし、そのイメージを拭いとることには失敗している。だから、一発目で過半数を取れなかった場合勝ち目はなくなる。敗退確実者がつくのは別の穏健な候補者になるはずだから、と。

 そして、リンカーン本人は敗退確実者の票はチェイスやベイツに流れるのではないかと考えているが、リンカーンのスタッフは「リンカーンに流れてくる」と確信している。


 ともあれ、リンカーン本人は党大会には行かない。

 俺はどうすべきか。

 イリノイ州関係者以外の知り合いは少ないから、大会に行っても何もできない。

 ただ、シカゴは馴染みのある場所だし、ただ待つだけなら大会の熱気のようなものも感じたい。

 諭吉もただ待っているだけよりは、実際の評決などを見たいだろう。


 5月16日、シカゴのウィグワム集会堂で、大会が始まった。

 民主党の方では、南部勢力が対立意識をむき出しにしていたが、共和党にはそもそも南部支持者がいないのでそうした不毛な対立はない。

 その間も、候補者らしい者達は動き回っている。

 リンカーン本人は来ていないが、リンカーンの支持者達も動いている。「彼は謙虚にスプリングフィールドに残っている。彼は最後まで共和党の調整者として振る舞っているのだ」と支持者に呼びかけていた。

 本人はどちらかというとビビッていて来られないのだが、支持者は「無暗に他の候補者と対立しないようあえて謙虚に居残っているのだ」と言いつくろっているわけだ。

 果たしてこれがどう評価されるのだろうか。


 党大会の最終日18日。

 いよいよ、メインイベント。大統領候補者決定投票の時が来た。前列に集まった投票権者が書いた紙が集まっている。

「果たして、こちらは決まるのだろうか?」

 という諭吉の声。民主党では散々時間がかかって、結局何も決まらなかったからな。

 さすがに、こちらはそのようなことがないと願いたい。


 たっぷり一時間ほど集計したのだろうか。

 司会が壇上に上がった。それまでがやがやと騒いでいたが、サッと静かになる。

「それでは発表します。一位、ウィリアム・スワード、173.5票」

 どよめきが上がった。

 有効投票は466だから、過半数は234。かなり遠い。

 一位にも関わらず、スワード陣営から「あ~」とがっかりしたような声があがった。前回の上院選挙の時もそうだが、優勢と思える数字が実は違っていたり、選挙は本当に複雑だ。

「二位、エイブラハム・リンカーン、102票」

 再度のどよめき。リンカーン陣営からは「やった!」、「僅か70票差だ!」と勝ったかのような声があがる。

 その後、三位キャメロンが50票、四位チェイス49票、五位ベッツ48票と続く。

「過半数獲得者がいなかったので、一時間後に再度、投票をいたします」

 司会はそう言って、休憩を宣言した。


 休憩というが、関係者にとっては戦闘スタートである。スワード陣営とリンカーン陣営が猛烈な勢いで他の候補者陣営に流れていく。「君達に勝ち目はない。こちらについてくれれば、大統領となった暁にはお返しをする」と、まあ、そういう感じだ。


 一時間後、再投票が始まった。同じく集計に一時間ほどかけ、その間がやがやとしている。

 司会が再度出てくるとまた静かになった。人間の単純さが分かる。

「一位、ウィリアム・スワード、184.5票」

 スワードは一回目より11票増えていた。過半数までは49.5票だ。0.5票があるなら233.5でもいいんじゃないかという気もするが。

「二位、エイブラハム・リンカーン、181票」

「うおぉ」

 横にいた諭吉が叫んだ。俺も驚きだ。

 一気に差が詰まっている。


 三度目の投票までの一時間が与えられた。またも、両陣営が戦闘態勢だ。

 とはいえ、勢いは明らかだ。リンカーン陣営は意気揚々としているのに対して、スワード陣営はどこか暗い。

 そして、三度目の投票が読み上げられる。

「一位、エイブラハム・リンカーン、231.5票。二位、ウィリアム・スワード180票」

 会場が激しくどよめいた。

 リンカーンが逆転した!

 しかも、過半数までわずか2.5票。

 スワードは二度目よりも票を減らしている。その本人は首を左右に振り、「終わった」とばかりに両手を広げた。


 確かに、この状況だと四度目で確実に決まりそうだ。

 と思ったら、四度目に行くことはなかった。

「議長、我々はエイブラハム・リンカーンに支持を変えます」

 チェイス、ベッツらに投票していた者の大半がリンカーンに支持を変えた(キャメロンの支持者は二回目でリンカーン支持に変わっていた)。更にはスワードに投票していた者の多くもその意思を表明した。

「少々お待ちください。再集計をいたします」

 異様な興奮の中、司会も汗を拭きながら議事を進める。

 30分後、司会が宣言した。

「一位、エイブラハム・リンカーン350票、二位、ウィリアム・スワード111.5票。従いまして、大統領選挙候補者はエイブラハム・リンカーン氏に決まりました!」


「やったぁぁぁ!」

 リンカーン陣営が爆発したかのように歓喜の声をあげる。そこにスワードが苦笑しながら近づき、代表に握手を求めている。ここにいないリンカーンに電報を打つためにスタッフが一人、走っていく。彼は間違って「354票」と打ち込んだらしいが、まあ、その辺はご愛敬だろう。

 本人は不在だったが、リンカーンは共和党を制した。

 次は大統領選挙だ。

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