第10話 燐介、英国の大問題児と競馬をする②
「悪いことは言わない。5番に賭けておきな」
賭け馬に窮した俺の前に、生意気そうな少年が勝ち馬を提案してきた。
果たして乗るべきか、やめるべきか……
いや、正直選択の余地はない。俺には馬を見極める目はない。自分で考えても当たる可能性はまずない。
それならば、こいつの提案に乗った方が賢い。外れたとしても、「あんなに自信満々に勧められたからだ」と言い訳ができる。
正直、自分でも情けない了見だとは思うが、ここは従うことにしよう。
「分かった。5番にかけてみよう」
「えぇ~、そんないい加減なことでいいのか?」
総司が文句を言ってくるが、「ここまで言うのに別の馬を賭けるのは失礼じゃないか」と誤魔化す。
総司もそれ以上は何も言わずに、少年に尋ねた。
「なあ、あんた、俺達をつけてこなかったか?」
「ヘッヘッヘ、バレていたか」
「……どこに隠れていたんだ?」
「それはまあ、絨毯の中とか、カーテンの後ろとか」
「えぇっ、あんな高価そうなものの陰に隠れていたのか? 破いたらどうするつもりだったんだよ!?」
総司もデューイも呆れている。
確かに、二人とも目視はしっかりしていたが、絨毯をめくったり、カーテンを広げたりはしていない。値段が高そうなものだし、うっかり破いたら、国際問題になりかねないから手をつけずにいたからだ。
それをこの少年は。
ただ、見た目からしてかなりのボンボンであることはうかがえる。この少年に関しては「破いたとしても親が払ってくれる」くらい考えているのかもれしない。厄介なことではあるが。
少年の案内に従って、俺達も観覧席についた。
5番の馬を見てみるが、これがまあ、どこにでもいそうな鹿毛の普通な感じの馬だ。
「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だって、俺を信じろ」
「信じろと言われてもねぇ……、俺達はあんたが何者であるかも知らないし」
身なりと、高価なものを気にかけないあたり、相当な金持ちの息子だろうということは分かるが。
「ああ、俺ね。俺のことはバーティーって呼んでくれ」
「バーティー?」
と言われても、さすがにそんな名前だけで分かるほど、俺はイギリスのことが詳しいわけでもない。そもそも、単なるボンボンなら歴史に名前が残っていない可能性すらある。
色々突っ込みたいことはあるが、ひとまずはレースに専念する。
レースが始まった。
このレースは4000mを超える距離のレースで、とにかく長い。令和の日本で最長のレースがステイヤーズステークスでこれが3600mだから、日本ではありえない長さだ。
これだけ長いと最初から全力で飛ばす馬はいないだろうと思ったら、5番と3番がスタートから最前列で走っている。競馬には詳しくないが、こんなに最初から飛ばしてしまっていいのだろうかと思う。
そのまま変わらないペースで進む。二、三頭、明らかに力のない馬が脱落してしまった。この時代のレースは、駆け引きというよりはとにかく走って相手を脱落させていくものなのかもしれない。
アスコット競馬場は三角形の形をしていて、一周でほぼ2マイル弱。最後の直線だけで1キロ近くある。そこに来た時点で3番のソースボックスがトップに立った。
「マジっ!?」
バーティーが叫び、俺達も続く。全員、ウィンクフィールドのみに賭けているから、このままでは全員負けてしまう。
まあ、それでも二着にはなりそうだから、俺の立場的には面目が立ちそうだけれど。
「こら、ウィンクフィールド! もっと頑張れ! 俺が賭けているんだぞ!」
バーティーが叫ぶ。それで走ったら苦労がないよと思ったが。
「おぉっ!?」
まさかバーティーの声が聞こえたのか、5番が一気にペースをあげ3番を抜き去った!
そのままトップでゴールイン!
「やったぁ!」
全員で肩を抱き合いながら喜ぶ。
「すげえじゃん!」
総司が言って、俺もバーティーに礼を言おうとした瞬間。
「いたぞ! あそこだ!」
不意に観覧席の上の方から叫び声がした。声の方向を見ると、これまたキチッとした身なりの紳士達が数名、こちらを指さしている。
「やべえ! こいつを頼む!」
バーティーは、俺に賭け券を投げ捨て、脱兎のごとく走り出した。そのまま競馬場まで入ってしまい、更にどこかへ逃げていく。
「殿下! お待ちください!」
後ろの面々は、俺達の横を通り過ぎ、叫びながらバーティーを追いかけている。
俺達は呆気に取られて様子を見ているだけだ。
しかし、殿下……?
イギリスの貴族事情は知らないが、殿下と呼ばれるとなると該当者は一人しかいないのではないだろうか。
すなわち、プリンス・オブ・ウェールズ、英国国王の法定相続人である。
この時代のそれは、ヴィクトリア女王の長男エドワード・アルバート。
後のエドワード7世を置いて他にない。
バーティーが、あのエドワード7世だとは……
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