第5話 松陰、全米一の知恵者と討論する①
詳しく話を聞いているうちに、やはり、いきなりのイリノイへの誘いはエイブラハム・リンカーンからのものだということが分かった。
エイブラハム・リンカーン。
恐らく、アメリカ大統領の中でも最も有名な一人に入るだろう。
奴隷解放を唱えて南北戦争を戦い抜き、北部を勝利に導いたという政治的な事績だけではなく、演説の名手でゲティスバーグ演説をはじめとした多くの名文を残している。暗殺という悲劇的な最期も含めて、非常に印象の強い人物だ。
とはいえ、この時点のリンカーンはまだ大統領ではない。これから大統領に駆けあがっていく過程にあり、今回の件はその活動の一環である。
どうしたものか。
リンカーンに興味がないと言えば嘘になる。
とはいえ、アメリカ史の中で最も
ここは断ろう。そう思ったところで松陰が俺の
「燐介、この人物はどういう人物だ? 奴隷の話というのは一体どういう話なのだ?」
「……リンカーンというのは、現在は弁護士で」
おっと危ない。うっかり「この後大統領になる」と言いそうになってしまった。
幸い、松陰は弁護士という言葉に反応した。
「弁護士? 弁護士とは何だ?」
そこに突っ込むわけか。まあ、確かに江戸の日本には、弁護士に相当するような者は存在しないな。そんな連中が関与することなく、奉行所で奉行が勝手に判断するわけだからな。
「奉行所でお調べをする際に、手助けをする人かな?」
「何故にそういう者が必要になるのだ?」
「アメリカは日本よりも法律が多いからね。普通の人は全部覚えられないから、助ける人が必要になるわけ」
「日ノ本でも領民は法律を知らないと思うが?」
おっと、そう言われてみれば……。
「アメリカの場合、誰でも将軍様(大統領)や殿様(州知事)になれるから、みんなをきちんと公平に扱わなければいけないんだ。法律を知らないから将軍や殿様が損をするなんてことはあってはならないわけだから」
「なるほど。そういうものなのか」
松陰は納得した。説明が完全に合っているか自信はないが、間違っているほどのものではないだろう。
「では、そのリンカーンという男はアメリカのほとんどの法律を知っている頭のいい男なのだな?」
「……まあ、そうなるかな。多分、アメリカでも一、二を争うくらいなんじゃない?」
俺の答えに、松陰はバンッと自らの膝を叩いた。
「素晴らしい! アメリカで一番の知恵者に会いに行くぞ!」
「えぇぇっ!?」
まさかここで吉田松陰の「思い立ったらすぐ行動」が出てしまうとは!
「総司、一太! アメリカで一番の知恵者に会いに行くぞ」
「了解」、「松陰先生の御意のままに」
あっという間に総司と山口も松陰派に回ってしまった。
松陰が記者に向かって高らかに叫ぶ。
「アメリカ一の知恵者が日ノ本から来た我々と議論をするという、真に光栄である! この吉田松陰、逃げも隠れもせぬ! "いりのい"なるところまで行くとしよう!」
松陰の堂々とした物言いに取り囲んでいた記者たちから歓声があがった。遠い国から来た男が、いきなり自分の国の論客に挑むというのだから、「これは記事のネタになりそうだ」と喜んでいるのだろう。
「日本という国には奴隷制度があるのですか?」
「リンカーン氏と何を話すおつもりですか?」
「そもそも貴方は何者ですか?」
19世紀でも記者の取材攻勢はすさまじい。さすがの松陰も面食らったようで、俺に助けを求めに来る。
「燐介、一体、この者達は何なのだ?」
「日本で言うなら、
「何故にここまで熱心なのだ?」
「みんなが瓦版を出しているから、少しでも面白いことを書こうと、それぞれが頑張っているから、かな……」
これも自信はないが、間違っているということはないはずだ。
「なるほど。よし、者共ついて参れ! 手前と”りんかーん”なる者が討論する様子を瓦版に書くといい。きっと面白くなるはずだ!」
うわああああ!
何てことを言い出すんだ、この男は!
アメリカのことをほとんど知らないくせに、リンカーンと討論なんてやばすぎるだろ!
日本の恥になりかねん! いや、まあ、日本の恥はどうでもいいんだけれど……
記者はもうヤンヤの大喝采だ。プロレスで日本から来たレスラーが「おまえの国のチャンピオンと戦わせろ!」というようなものだからな。面白い、という点ではものすごく面白いのは間違いないし、俺も部外者なら見てみたいものではある。
記者達からはシカゴまでの船を用意しましょうという声も出て来る。
ここまで来たら、もう引き下がりようがない。
俺達は、イリノイに向かい、リンカーンと対面することになりそうだ。
当然、俺のベースボールクラブ周りは後回しということになる。
ひょっとしたら無期限延期になりかねん。よよよ……。
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