2章・アメリカ社会とスポーツ前史

第1話 近代野球の父、ハワイにあり

 四月に入ると、黒船は下田を出て、函館へと向かった。


 俺達はその客員として乗船し、付き従うことになった。


 結果、松陰がほぼ毎日のようにウィリアムズに付きっ切りとなり、英語やアメリカのことについて質問攻めにしている。


 ウィリアムズは律儀に全ての質問に答えているが、さすがの天才・松陰もすぐにアメリカのことを理解、とまではいかないようだ。




 あの後、マシュー・ペリーはブキャナンから報告を受けただけですぐに了承した。


 もう少し日本との条約周りを配慮するのかなと思ったので、ちょっと意外だったが。「提督は体調が優れないので、いずれ指揮官を降りるつもりでいるらしい。だから、アダムスやブキャナンの方針は尊重しているのだよ」ということらしい。


 確かに、ペリーは翌1855年には海軍を退いている。で、日本への記録などをまとめたりして、三年後に病死したという。開国の衝撃が大きすぎたのと、長身魁偉かいい風貌ふうぼうで恐ろしい人にも見えるが、実際には病気を押して頑張っていたのだ。


 さすがにあんたの余命はあと三年なんてことは言えないので、これについては適当に知らないふりをして流しておこう。


 黒船はこの後、琉球りゅうきゅうに向かって、そこでも通商条約を結ぶことになる。


 その後、ペリーは香港で英国船に乗ってアメリカに戻り、黒船は中国へ向かうことになる。




 アメリカに行きたい俺達としては、帰国するペリーにくっついて、イギリス船に乗り、西回りでアメリカに行くのが最短ルートとなるのだろう。


 それでも半年くらいかかるけどな。



 松陰や総司は海外のことを知りたいだろうから、それでもいいだろう。


 ただ、俺は困る。


「提督、俺はハワイに行きたいです」


 ある日の夕食時に、俺はペリーに頼み込んだ。


 場にいる全員が驚く。一方、日本人三人衆はハワイが何であるか理解していないし、そもそも英語での会話だとついていけていないので、ザワザワしている周囲に視線を泳がせるだけである。


「ハワイだって? ハワイに行って何をするんだ?」


 この時代、ハワイは琉球と同様、まだ独立国だった。ハワイ王国だ。


「ハワイは将来、アメリカが太平洋を支配するうえで重要な位置を占める場所になる。だから、アメリカのためにも今から色々と布石を打っておいた方がいいと思うんだ」


「……それはそうだが、リンスケにそれができるのか?」


「そういうのを期待して乗せたんじゃなかったの?」


 俺が挑戦的に言い返したら、ブキャナンも「うーむ」と唸っている。


 アメリカ海軍の者なら誰だって、ハワイの重要性は理解しているだろう。だから、その端緒を俺が作れるとなれば、凄いことだと考えているはずだ。


「ただ、さすがに二年や三年で行うのは無理だろうね。三十年、いや、四十年くらいはかかるだろうと思う。その間にハワイ国王が失敗すれば、一気にアメリカの州として取り込めるよ」


 俺があまりに堂々と言うものだから、全員「これは本当にできるのかもしれない」という期待満面の顔になっている。


 ただ、実際のところ、俺は大したことを言っているわけではない。


 何せ、アメリカは1898年にハワイを併合しているのだ。だから、俺が何もしなくても45年後にはハワイはアメリカのものになる。「俺がいれば四十年後にはハワイはアメリカのものになるよ」と言うのは詭弁に等しい。


 では、ここまでして何故、俺はハワイに行きたいのか。


 遊びたいわけではない。泳ぎたいわけでもない。


『野球の父』アレクサンダー・カートライトに会いたいからだ。



 野球。


 英語で言うならベースボールという競技は、複数のスポーツにその源流があると言われている。


 当然、そのルールはまちまちだ。日本で言うなら、少し前に話をした多数の流派がある剣術とか、柔術なんかと比較すればよく分かるのではないかと思う。


 柔術を柔道という統一した規格にしたのは嘉納治五郎だったが、野球を形作ったのはアレクサンダー・カートライトという人物だ。


 この人物、消防団に所属していて、当初は消防団員の運動不足を解消するために野球を始めたらしい。その時点ではルールの統一などを考えたことはなかったようだが、何度もやっているうちに毎回ルールが違うことにうんざりして「きちんとしたものを作ろう」と思ったようだ。


 この時作られたルールが、9人でやりましょうというものや、3アウトで交代というものだ。逆に言うと、それ以前には選手の人数すら決まっておらず、アウト数などもその時々によって変わっていたわけだな。


 カートライトが考えた野球のルールは、その後も多少形を変えつつ今に至っている(例えば三振や四球などのルールは更に後になる)。



 カートライトはニューヨークの出身だったが、カリフォルニアで金が発見された、いわゆるゴールドラッシュに便乗するべくカリフォルニアへ、西へ移動する間に各地で野球を伝えていったという。ただ、カリフォルニアでの金採掘はうまくいかなかったようで、その後ハワイに移り住んでいる。


 だから、ハワイに行き、彼と話をしたいわけだ。


 近代野球の父と、現代野球の話を。

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