第十二話 進むべき道
ウェルがデイドリオンに変わったあの日からもうすぐ一か月が経とうとしていた。
あの後、帝山は十字架の
だが帝山が街を襲う怪謬になってしまったことは事実であり、その為に自分でウロボロスとの接続を切ったことも事実だった。帝山は防衛局による取り調べを受け、この一か月は謹慎させられていた。
大岩戸も怪謬との戦いで重傷を負ったが、大人しくしていたのは一週間ほどで、傷が治りきらぬままに退院した。相変わらずの熱血的思想で乗り切ったのだ。幸いにもこの一か月は怪謬も現れなかったので出撃する機会もなかったが、もしそうなれば大岩戸は手負いのままでも出撃した事だろう。大岩戸はそう言う男だった。
「……何にも変わらないな」
そのうえ怪謬保護団体から直接秋生にも抗議がくるようになり、前よりも却ってうるさくなったほどだ。
言獣を手に入れても秋生の生活は変わらなかった。そして正規獣を使えるようになっても、やはり変わらなかった。夢見ていた生活からは遠く、ただ責任と不安が増えただけだった。
「ま、いいや……それが俺なんだよな」
「うぇる」
秋生は肩の上のウェルの腹を撫でた。
環境は変わらなかったが、秋生はそれで満足していた。自身を取り巻く環境、それに伴う絶望……それは苦しくつらい事ではあったが、それこそがウェルをデイドリオンに変える力の源だった。今では意味インフレーションを任意に発生させることも出来るようになった。自転車の乗り方のように、一度感覚を掴めばそれほど難しい事ではない。今では、何故あんなに苦労していたのかと不思議に感じるほどだった。
中身の足りない鞄を持って教室を出る。ウェルは空腹を訴えるが、秋生はそれを
玄関で靴を履き替えて校門に向かうと、そこに人だかりが出来ているのが見えた。誰かが校門の門柱の脇に立っていて、それを取り囲むように生徒たちが集まっている。
「何だ……有名人でも来てるのか?」
自分には関係ないだろうと歩いていく。ちらりと見ると門柱の脇に立っている者は秋生の方を見ていた。白い制服……帝山学園のものを着ている。それよりも目を引いたのは、その顔と髪型だった。美男子……美少女? どちらともつかない整った美しい顔立ち。どこかで見たような気もする。しかしツーブロックのような髪は右半分が青く、左に行くにつれグラデーションで金色に変化していく。目も青い。秋生はその目に見覚えがあった。足元に置かれたペット用のキャリーケースにも。
「やあ、ようやく来たね、救衆君」
聞き覚えのある声に、秋生は足を止めた。わっと取り巻きから小さな歓声が湧いた。
「……帝山さん?」
「そうだよ。久しぶりだね」
そう言い、帝山は秋生に歩み寄る。それに合わせざわっと取り巻きも移動する。嘘だ、信じられないといった声が聞こえ動揺しているようだった。だが誰よりも動揺しているのは秋生だった。男装の麗人に姿を変えた帝山に、秋生は目を奪われる。
「どっど、どっどうしたんですか、その……あれは?」
帝山は未確認言獣と接続したことで防衛局から厳しい取り調べを受けたと秋生は聞いていた。あの橋で起きた一連の行方不明事件の背後には言獣教団という謎の組織が関わっている可能性があり、警察はその組織を追っているらしい。
その間、帝山響子は謹慎という事で表には出てこなかった。そうこうしている間に一か月が経ったが、現れたと思ったら今度は妙な格好をしていた。長かった髪をバッサリと切り、しかも男の制服を着ている。あまりの変貌ぶりに秋生が目を丸くするのも無理はなかった。
「あれ? ああ、これか」
帝山は自分の制服に視線を移し、髪を軽く撫で上げた。
「謹慎中に色々と思う所があってね、変えたんだ。似合っているかい?」
「ええっえ……あ、はい。似合って……います」
秋生の答えに帝山は声を上げて笑った。
「君は下手だな、褒めるのもお世辞を言うのも」
「すっすすすいません……」
「まあそれはいいさ。今日は君に礼を言いに来たんだ。下校するんだよね? 歩きながら話そう」
「えっ……あ、はい」
帝山がキャリーケースを持って校門を出ると、取り巻きの人垣が二つに割れていく。秋生もその後ろをついていきながら人垣の間を通り、左に曲がって歩いていく。ウェルは見慣れない人だかりに少し怯え、秋生の後頭部にしっかりとしがみついていた。
「あの時は本当にどうかしていた。君がいなければ取り返しのつかない事になる所だった」
秋生の隣を歩きながら帝山が言った。
「あ……一か月前のあれですか?」
「そうだ。大岩戸君にも悪い事をした。街の人たちにも……」
「まあ、そうですよね……」
街は
「あの土壇場で君がウェル君を正規獣に変える事が出来たのは本当に幸運だった。なんだっけ、君の……」
「で、デイドリオン、です……」
「デイドリオン……何かに由来する名前なのかい?」
「え、いや……たまたまあの時水たまりに尻をついてべちょべちょで、泥だらけで……俺の人生もそんな感じだなって、泥……泥土のって……勢いで」
「ふうん。泥土、デイドリオンか。今まであまり君と話したこともなかったが……君は君で結構な運命の下に生まれたんだね。言獣接続者になったこととも何か関係があるのかもしれない」
「そう、なんですかね」
「幸福な哲学者はまれだ。痛苦にまみれた人生の中でしか芽生えない花もある。私たちはそうした感情を言獣に奪われているのかもしれない。私のウロも、君のウェル君にしても。あの大岩戸だってそうだ」
「大岩戸さん……悩みなんかあるんですか、あの人に」
「知らないのか? 彼の母親は――いや、やめておこう。言いふらすような話じゃない。とにかく、彼にも悩みはあるだろうさ。今までの怪謬の基になった被害者だってそうだ。みんな苦しみを抱えていたはずだ」
その言葉に、秋生は少し考えて答えた。
「……苦しみのない人間なんているんですかね? そんな人、いないんじゃないかな。でもそうだとすると、みんな言獣接続者になってしまう」
「……いずれそうなるかもね。全ての人が言獣とつながり、その心を、意味を奪われる。新しい生態系が生まれるかもしれない」
「生態系……人間の感情が餌か……なんか嫌ですね」
「そうかい? まあそれはいずれ分かる事だ。今日は君にお礼を言いに来た」
帝山はそう言って足を止めた。秋生も足を止め、帝山の方に顔を向ける。
「あの時、街を守ったのは君だ。そして私を止めてくれた。私の狂った心を……改めて礼を言う。ありがとう、救衆君」
言いながら帝山はキャリーケースを地面に置き、秋生の左手を取った。そして胸の高さに上げ、秋生の手を自分の両手で包むように握った。
「君は恩人だ。何か困ったことがあったら相談してくれ。君の……力になりたい」
「えっ……は、はい」
秋生は帝山の手の感触、そのぬくもりに動転していた。女子に手を握られるなどおよそ秋生の記憶にはない事だった。しかし帝山は男装をしているし、これはいったいどういう事なんだろうかと混乱していた。
「……と、いうわけだ」
帝山は秋生の手を放し、ウロの入ったキャリーケースをつかんだ。
「君のスマホに私の連絡先を送っておいた。登録しておいてくれ。何かあれば気兼ねなく連絡してくれ。では、また」
「は、はい……」
どうやって俺の連絡先を知ったんだ? 秋生はふと思ったが、まあ帝山カンパニーだしなんでもできるかと納得した。そして帝山が青いリムジンに乗って走り去るのを見送る。
「痛っ! えっ、何?!」
突然の背中の痛みに後ろを向くと、さっきの取り巻きの方からすごい視線を感じた。半分はもう散っていなくなっていたが、残っている連中はほとんどが秋生の方を睨んでいた。自分の足元を見ると紙屑のようなものが落ちていて、何かと思って拾うと小石がノートの切れ端に包まれていた。
殺す。
殴り書きでそうノートには書かれていた。一体何故……と思ったが、さっきの帝山とのやり取りを思い出した。帝山は女子からも男子からも人気が高い。帝山カンパニーのアイドル的な存在だ。その立場を本人は望んでいないようだったが、いずれにしてもファンは多い。そのファンからすれば、さっき秋生が手を握られていた姿は許されない物なのだろう。
「えっ……でも、俺が悪いの……?」
また厄介の種が増えてしまったかもしれない。絶望の種が増えた。しかしそれもまた人生だ。自分はそういう運命なのだと今は諦める事が出来る。
「はぁ……困ったもんだぜ……」
家では母の珠代が待っている。秋生が正式に正規獣を扱える言獣接続者になったことで給料が上がり、珠代は無理なシフトで働く必要がなくなった。しかし家にいる時間が増えたせいで以前から多かった酒の量がさらに増えてしまった。その内アルコール中毒に……いや、もうなっているのかもしれない。それに秋生の方が給料が高くなったせいで変にひがんでしまっていた。一難去ってまた一難という感じだった。
「うぇる、うぇる」
「はいはい、分かったよ」
秋生はポケットから言獣クッキーを取り出しウェルに食べさせた。ウェルの食欲はいつも通りだった。
そう簡単に人生は変わらない。人は幸せになるために生まれたわけでもない。小さな絶望を繰り返し生きることもある。
それでも人は生きていくしかない。頼れる誰かがいれば助け合い、いなければ孤独に。
その人生に意味はあるのか?
意味は、ある。この宇宙が存在する前から、あなたという意味が存在した。星々のように輝き、あるいは目に見えぬほどの暗さで燃え尽き、この宇宙を満たしていく。
その瞬きの中で、一瞬の光の中で、人は抗う。その命の意味を探す。その魂の形を探し求める。
「帰るぞ、ウェル」
「うぇ!」
言獣はあなたの魂に問いかける。あなたは――かと。あなたは答えなければならない。私は――であると。
言獣接続者となった彼らは、その問いに答えを返すことになる。だがそれは今日ではない。いつか来るその時まで、彼らは自らの意味を問い続けることになるだろう。
秋生は自分の家へと歩き出した。その足元を固めるものが絶望であっても、彼は歩き続ける。傍らに言獣を伴い、未来へと進んでいく。
その絶望こそが、彼の魂の形なのだから。
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