第6話 ピーン

 二枚の写真を削除し、一時的に掲示板を閉鎖することになった。

 アップロード履歴から、どこのパソコンから公開されたものかを特定できないか、そう尋ねた忍に、和寿妃は首を振った。


「念のため調べてもらおうとは思うけど、時間的に、学校からアップロードしていると思う」

「情報室か……」

「獅子戸さんが捕まったとわかった時点で、文化祭準備を抜けて制裁を加えたんだろうね。この写真自体はインターネットに落ちているものだから、接続さえできればいつでも使えたんでしょう」


 和寿妃はそこまで一息で言い切って「忍くん、あのねえ」と吐き出した。


「この、イエティとかいうやつは、本当に性格が悪い」

「……うん」

「体育祭と文化祭を台無しにしたくて仕方ないんだよ。そして自分の手を汚さずに、徹底的に人を潰す。標的と方法を変えてはいるけど、やっていることは同じだよ。貉さんの次は獅子戸さん。ここで捕まえない限り、イエティはまた同じように続けるだろう」

「そう、だな……」

「忍くんは、誰だと思ってるの?」

「なんで俺に聞くんだ」

「わかって黙っているような気がするから」


 買い被りすぎだ。だが、疑われても仕方がないのかもしれない。

 忍は頭を掻いて「まあ、動機はわかる」と答えた。


「教えて」と迫られた忍は、逃げるように散らかった将棋盤を見下ろす。

 動物の駒に、クラスメイトの顔が一人ずつ浮かび上がり、また消えていく。

 忍は、倒れたタヌキの駒を起こした。


「動機は、タヌキの口封じ」


 将棋盤の対面に座った和寿妃が、タヌキの駒から目を上げて忍を見る。

 忍はタヌキの駒を盤の中央に置いた。


「タイミング的に、全部そこから始まっている」

「だけど……猿渡くんとわたしの噂と、貉さんに、なんの関係があるの」

「貉と接触しているのが、和寿妃、おまえだからだよ」


 和寿妃はわからないらしい。

 忍は猿の横に柴犬のボトルキャップフィギュアを持ってくる。


「学級委員の仕事で、身内に警察のいるおまえが貉に会いに行っている。イエティにとっては脅威だろう。少なくとも、夏休み中はおまえの動きを止めたかった」


 柴犬の周りを猿がぐるぐる回り、タヌキの駒に寄せ付けないようにする。


「動きを止める、って。猿渡くんからはラインがたくさん来ただけだけど」


 忍は唸った。和寿妃がどうかは知らないが、忍も人間相手の恋愛経験があるわけではない。


「……普通は、高校生の男女が良い雰囲気になれば、どっか遊びに行ったりするもんなんじゃないのか。ましてや夏休みだぞ」

「でも、猿渡くんは、そんな」

「サルは……ちょっと変わってんだよ」


 今どき珍しく硬派というか、女絡みの話になると急に怒り出すところがある。

 そのあたりは、イエティにとっても誤算だったのかもしれない。


「おまえの目くらましがしたかった。相手にサルを持ってきたのは、まあ、女っ気がなくて操りやすいということなのか、さっき言っていたみたいに、獅子戸への当てつけもあったのかもしれないな。ところが、だ」


 忍はサルを避けて、柴犬の脇にとぐろを巻いたヘビのフィギュアを持ってきた。

 おそらくカプセルトイの景品だろう。なかなか可愛い顔をしている。


「おれと和寿妃がつるむようになった」

「…………」

「しかも何か掲示板のことを調べ始めているらしい。カラオケで宇佐美たちも巻き込んで。翌日、おれは休んだわけだが、そのあたりの話は教室で広まったはずだ。あいつらは声がでかい」


 ウサギ、カメ、サル、柴犬、ヘビをセットにまとめ、タヌキの前にライオンを立たせる。和寿妃は「なるほどね」とうなずいた。


「つまり教室荒らしは陽動ってことか。貉さんの机だけが汚されてたし、呪いがどうとかって話に持っていきたかったんだ」


 忍はうなずいた。

 和寿妃が貉について調べないように。


「亀井の立ち回りのおかげで、呪いがどうこうなんて雰囲気じゃなくなったから、もう一度、似たような事件が起こることになった。それも、今度は絶対にごまかしのきかない方法で」


 そして二年二組の教室から花瓶が落ちる。

 落ちたという事実が必要なのであって、誰がケガをするとかしないとかは関係なかったのだろう。花瓶が落ちるほどの事態になれば教師が動く。


 実行犯が捕まっても、イエティは痛くもかゆくもない。

 獅子戸を完全に掌握している自信があったということだろう。

 そして、獅子戸が失敗したとみるや否や制裁を加える。対・獅子戸の切り札を簡単に手放す度胸は、それくらい獅子戸が憎いということなのか。


 あるいは。


 


「貉さんを押さえないとダメだ」


 和寿妃は、将棋盤からタヌキの駒を持ち上げた。

 ガラス製のタヌキは、おそらく信楽焼がモチーフなのだろう。ぽってりとした腹に、あどけなく首をかしげている丸っこいフォルムが愛らしい。


「どうにかして、話を聞かないと」

「無理だな」

「どうして。貉さんはイエティが誰なのかわかってるのかもしれないよ。きっと、彼女を恨んでいる誰かなんだから」

「向こうに話す気があるなら、おまえが来た時にドア越しにでも喋ってるはずだ」


 二度と来るな、というのは、おそらくそういう意味だ。

 もうこの事件に首を突っ込むなという、貉流の脅しなのだろう。

 犯人を捕まえようという意思が貉にはない。


 当たり前だ、怖かったに決まっている。

 知らない男に腕を折られて――。


 腕?


「……なんで腕にケガしたやつが、手にテーピングしてんだ」


 貉の家からの帰り道にふと浮かんで消えた疑問が、再び忍の脳裏をよぎった。

 ドアから飛び出してきたあの不気味な手だ。

 部屋に入った和寿妃はボロボロのテーピングをしていたと言っていた。


「腕を骨折して……でも、ドアは開けられて……変な定規も、使ってるんだろ」

「定規?」

「あの……部屋まで持っていっただろ、点字の……」

「ああ、雲形定規ね。珍しいよね、今時ああいうの使う人」


 当たり前のように和寿妃に返され、忍は首をひねった。


「点字を打つ道具じゃないのか?」

「二本あったでしょ。まっすぐな方は点字用。変な形は雲形定規っていって、製図とか、漫画を描く時に使うんだよ」


 漫画。


 忍は、途絶えていた線が急に一筋につながったような気がした。

 ちゃぶ台に開きっぱなしになっている和寿妃のノートパソコンを見る。

 いや、まさか、そんなことがあるのだろうか?


 忍は無言でガラケーを取り出し、過去のメールボックスを確認する。

 代原。代理原稿が、連載に。

 そして、単行本一巻の発売日。


 時期は一致する。 


「ん? 忍くん、どうしたの、誰に電話かけるの?」

「……ウサギ」


 短く答えると、和寿妃が呆気にとられた顔でこちらを見てくる。

 長く続くコール音に、忍は思わず通話を切りたくなる。

 和寿妃以外のクラスメイトに電話をかけるのは、これが初めてだった。

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