第9話 ユリ・エ

 天二谷アメフタヤ女子高生襲撃事件の犯人・鬼頭という男は、現在は隣県の刑務所に収監されている。

 高速道路を使えば片道一時間の距離だ。


 足はこっちで用意する、運転は熊倉に頼む、と、和寿妃はすぐさま予定を決めていった。

 忍はバイト、和寿妃は予備校で時間が取れないから、午前の授業が終わったら早退させてもらうことにしようとまで言う。


 学級委員がサボッていいのか、と忍が苦笑いしてみせると、胸を張って言った。


『これはサボりじゃないから。みんなにできないことを、わたしがクラスを代表してやっているだけ。忍くんはその手伝いをしてくれてるの』

『そうなのか』

『そうですとも』


 そう、すまし顔で答えたくせに、一拍おいて急にくすくすと笑い出した。

 夜道にこだまするような声で、楽しみ! と叫ぶように言うと、忍に軽く体当たりしたり、スクールバッグを振り回したりして――いくぶん幼い、だが女子高生らしいはしゃぎ方に、忍は我知らず頬をゆるめてしまっていた。


 ここにいるのが自分のような歪んだ性癖の持ち主でなければ良かったのに。

 そう思うと、忍は胸が痛かった。

 噛んで血が出るようなことをしていいような少女ではないのだ、と。



 授業が終わると、二人は十分にサンプルは取れたというていで、ウサミミを返却した。

 午後からは、机を動かしがてら教室内を軽く清掃した後、鼠家ネズミヤ指導のヘッドドレス量産がスタートするらしい。

 教室を出る時には、まだ昼休み中であるにも関わらず垂れ耳のほうがメイドっぽくはある、とか、いやバニー本来の良さが損なわれる、とか、有識者による議論が盛り上がっていた。


 校内はいよいよ文化祭ムード一色だ。

 和寿妃は、すれちがった演劇部らしいドレスをまとった一団に、うんうんと嬉しそうにうなずいた。


「いよいよ来週かあ。文化部の発表が楽しみなんだよね」

「ふうん」

「吹奏楽のマーチングとかさ、なんかお祭りって感じがして好き!」


 気分がかなり高揚しているようだ。

 思えば、ウサミミを付けている間もずっと上機嫌だった。

 これから刑務所へ犯罪者と面会しに行くとは、とても思えない。


「行こ!」


 そう言って手を強く引かれ、忍はもたもたと早歩きさせられる。

 自分と出かけるくらいのことが、そんなに嬉しいのかと、忍は当惑した。

 悪目立ちするウサミミはもうとっくに外したというのに、忍はすれ違う人々がみんな自分たちを見ているような気がして仕方ない。


 下駄箱では、いつかのように画板を手にした美術部二人組と、ばったり会った。

 手をつないでいる忍と和寿妃を見ると、背の高い椋木のほうが「おっ」という顔でニヤついた。

 先に「お疲れ」と声を上げたのは優瓜だ。


 和寿妃は満面の笑みで応じた。 


「お疲れー! 二人は写生に行くの?」

「そうだよー」

「クラスにかかりっきりじゃ美術部に出すほうの絵が間に合わないからね」

「まあまあ」


 愚痴っぽく答える椋木を、優瓜はなだめた。


「でも、大柴さんもなんか描けたら持ってきてよ。ファンが多いみたいだし、見に来た人がみんな喜ぶでしょ」

「えー?」

「大柴さんち、有名だし。おうち関係の人とかもさ」

「そうだ。せっかくカレシいるんだし、モデルになってもらえば?」

「和寿妃」


 靴を履き替え、少し先で立ち止まっていた忍は、三人の会話に割り込む。

 適当なことを言われて、和寿妃が変なやる気を起こしたら、忍のほうが困る。


「行くぞ」

「うん!」


 顎で外を示せば、和寿妃は散歩を喜ぶ子犬のように飛びついてくる。

 しがみつかれながら、忍ははいはいと水飲み場の前まで歩いた。


「車は裏に回してあるって言ってたよな?」


 そう何気なく確認した忍を、和寿妃は嬉しげに見上げ、急に、表情を硬くする。

 その目は、忍の頭上に降る黒い影を、はっきりと捉えていた。

 和寿妃は物も言わずに忍の体を、自分に向かって思い切り引き寄せる。

 

 次の瞬間、あたりに破裂するような音が響き渡り――忍と和寿妃は、落下した花瓶が粉々に砕け散るのを目の当たりにする。


 唐突に突き飛ばされた形になった忍は、地面に尻もちをついて、呆然とする。

 花瓶が降ってきた。上から。

 三秒にも満たない間だったろう。

 顔を上げた忍が次に見たのは、なんの躊躇もなく革靴を脱ぎ捨てる和寿妃の姿だった。そのまま校舎に向かって一目散に走りだす。


「え……えっ。ちょっと、なにこれ」


 水道前で起きた事故に、校庭で作業に当たっていた生徒たちが集まってくる。

 教師の姿も見えた。ジャージを羽織った、体育教師の鵜飼だ。

 中には美術部二人組の姿もあった。


 地面で粉々に砕け散った花瓶を発見し、優瓜が悲鳴を上げる。


「え、これ、落ちてきたってこと。ウソ」

「……え……ええ……!?」


 校舎を見上げた椋木は、膝が砕けたようにしゃがみこんだ。


「また? またなの?」


 真上にあるのは、二年二組の教室だ。


「まだ、こんなことが続くって言うの!? 貉のせいで!」


 泣き出すようにこだまする声に、忍は目を伏せる。

 無残に砕け散った過敏。

 かつてそこに生けられ、いま忍の足元にバラバラに散っているのは、季節外れに咲き誇る、大輪のユリの花だった――。

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