第7話 バニガメ1/2スケール

 吹き込んできた突風に、黒ウサギの長い耳が揺れる。

 教室のカーテンが大きく膨らみ、はじけた。

 英語の小テスト中だった。

 誰かの机からペンケースが落ちるけたたましい音がして、何人かの机からテスト用紙が舞い上がり、教師は慌てて窓を閉める。


 興奮したように口々に喋りだす生徒たちに、教師は両手を打った。


「はい、はい。集中。用紙が床に落ちた人は挙手。先生が拾いに行きます」

「センセー」

「うん? 宇佐美、どうしたの」

「前の席の人の耳が気になって、テストに集中できませーん」

「…………!」


 忍はとっさに頭を低くしたが、後ろの席の宇佐美から思いきり椅子を蹴られて、顔を上げざるを得なくなる。

 英語教師・小荒木こあらぎとばっちり目が合う。

 長い髪を一つにまとめたこの女教師は、思わずと言った風にくすっと笑った。


「なるほど。今日はやけにカワイイね。三輪」


 こんな辱めはそうない。

 忍は必死に顔をそむけたが、頭から耳を外させてもらえるわけではない。

 その、フリルにビーズ、フェイクファーをたっぷりとあしらった、ヘッドドレスタイプのウサミミを。

 

 監修は演劇部の衣装係である陽炎カゲロウ

 縫製は手芸部のホープである鼠家ネズミヤ

「材料ほぼ100均」(鼠家談)であるにも関わらず、世界で三本の指に入るバニガメ評論家である宇佐美を唸らせ、あの気難しい川尾をして「ちょっと欲しいかも」と言わしめた逸品である。


 では装着した忍はと言えば、もう、死にたかった。

 制服がいつもと変わらないのが、かえってバカの王様みたいだ。


 同じウサミミでも、和寿妃はまだ似合うからいい。

 斜め後ろの席から、蝶子がぽ~っとした視線を送るのもうなずける。

 同じウサギでも、凛としたニホンノウサギの風情だ。


 忍はヘビのコスプレをした上にウサギのコスプレをした、ただの頭の変な人だ。 

 まったく、どうしてこんなことに――。


 骨折り損のくたびれ儲け。

 担任の小鹿がそう嘲笑した先日のバカ騒ぎは、バカ騒ぎで収まらなかった。

 宇佐美は「あんなの、うまくいったって言わねえ! せいぜい半分だ」と声高に主張し、忍に一方的に約束したバニガメの履行を求めた。


 思わず助けを求めるように見た門馬は、すっと忍から視線を外した。


「半分しかうまくいかなかったなら、大柴さんはそんなことする必要ないでしょ」


 味方が思わぬ伏兵に変わってしまい、忍は万事休すだ。


「おもしれ~」


 宇佐美は手を打ち鳴らして門馬の案を受け入れた。


「バニガメた忍を見れば、大柴の百年の恋も冷めるだろうぜ」

「モテないって素晴らしい!」

「今日はパーティーだ!」

「猿渡おめでとう!」

「うるさい! おまえらの気持ち悪い騒ぎに、僕を巻き込むなっ」

「あっ、コレはちょっと残念に思ってるほうの『うるさい』だな」

「気が利かなくてごめえん」


 猿渡はキーキーと宇佐美王国民に食ってかかったが、それで忍への沙汰が覆るわけではない。

 要は同級生女子の家に居候している忍が、男子一同は目障りでならないのだ。


 その時、縫製作業を終えた鼠家が、話に割り込んでこなければ、今頃どうなっていたのか、忍は想像するだに恐ろしい。


 鼠家ネズミヤ 香音カノン

 職人気質の、この不愛想な女子生徒は平然と男子の群れに割って入ってきた。

 「ん」の一音だけで、デザイン担当の陽炎に、完成品を紙袋ごと押し付ける。

 その際、男子全員から詰められている忍をちらっと見たが、別になんの感慨も沸かなかったらしい。ネズミ顔負けのすばしっこさで席に戻っていた。


 呆気にとられた男子達は、紙袋を開けて、そのあまりの完成度の高さに爆発的な熱狂を起こした。

 その声の汚さは、教室の少し離れた島にいた女子からかなりの不興を買ったのだが、結果的に、クラス全体を巻き込む騒ぎとなり――忍および和寿妃の二人が、一日を通して試着することになった。


 市場調査として外部からの反応を見てみる、というのが表向きの理由だが、内情としては、忍への言われなき罰ゲームの性格が強い。

 あっさりと装着する和寿妃の気前の良さが、忍はちょっと怖いくらいだった。


「いや、でも二組は思い切ったね」


 回収した小テストの角を教卓で整えながら英語教師、小荒木は言う。


「うさうさ黒魔術カフェだって? よく思いつくよね」


 床と机を赤いペンキで汚した上に、ビニールテープで床中に大小様々な魔方陣を描いている。発光塗料を仕込んでいるので、教室を暗くすると光る。

 悪い魔法使いに呪いをかけられたという体のスタッフはウサギの耳を付けて接客。


 ベビーカステラはフンってことにしようぜ! ウサギって食糞するしと妙な雑学をひけらかそうとした宇佐美はただちに黙らされ、クッキング部女子の創意工夫で、ウサギの顔に見立てて販売される予定だ。


「テイストが近いし、一組ウチのお化け屋敷は人気に食われちゃうかもな~。なんかテコ入れするよう言っとくわ」


 目下ライバル視していた一組の担任から思わぬ高評価を受け、クラスは明るい笑い声に包まれた。

 だが、その教室には二つの空席がある。


 貉と――亀井。


 亀井は、本人が思っている以上にシンナーに弱い体質だったらしい。

 頭痛が止まらないらしく、今日も欠席している。

『半分しかうまくいかなかった』という宇佐美の言い分は、それこそ、おふざけ半分、もう半分は本音なのだろう。


 自分にその責任がある、とはもちろん忍は思わない。

 亀井をペンキを自分からかぶったのだ。

 だが、そうやってクラスが必死になって、どれほど巧妙に覆い隠したとしても、教室を襲った惨状をなかったことにはできない。


 誰かが、貉の呪いを騙り、二年二組を恐怖に陥れようとしたのだ。

 そして、忍にもわかるようなことだ。和寿妃もとっくに理解している。

 おそらくは、二人の追っている“イエティ”の所業であろう、と。

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