第4話 兎角
クラス全員、小鹿からこんこんと説教を食らった。ペンキまみれになった男子たちは「先生がいないと着替えもできないんですか」と教室から蹴り出された。
主犯と目された亀井を除いて。
反省させようとしてだろう、小鹿は狂ったように赤く染まった亀井を、そのままの恰好で生徒指導室へ連行して行った。
ほかのクラスはもちろん他学年の生徒たちまで、何事かという顔つきで亀井を見る。当の本人は変顔する余裕があるようだが。
「カメさんは伝説になってしまったなあ」
校庭近くの水道で顔を思い切りよく洗い流しながら、宇佐美が言う。
偲ぶような口ぶりに、体育着に着替えた猿渡が噛みつく。
「なにが伝説だ、ふざけんな! ペンキ落ちないじゃねえかよ」
「速乾性だからなあ」
「シャツはもう諦めるしかないかも……」
女子の有志からクレンジングオイルと除光液を借りていた。肌についた汚れはそれでなんとか落ちたが、学校指定のシャツはもう取り返しがつかない。
ブレザーを脱がずに亀井と組み合ってしまった辰雄は悲惨だった。
忍も困った。父の家に替えのシャツを取りに行かなければならない。
しょんぼりと肩を落とす男子たちのなかで、葛見 犀一が「えっでもアレは、アレはさあ!」興奮した声を上げる。
「
鳳は吹き出した。
「なに!? 貉さんって生霊飛ばすほどカバディ好きな人なの?」
「そっそれはわからないけど……」
そういえば呪いがどうとか言い出したのもこいつだった、と忍は思い返す。
ホラー研究会に所属している犀一には、今回の件が魅力的な怪談話に見えているらしい。
「生霊に憑かれた人は、上半身だけ狙って来たりしないと思うよ……」
冷静にコメントしたのは門馬だ。忍もそれは思っていた。
辰雄と亀井本人を除き、ほとんどの男子はシャツ一枚汚されただけで済んでいる。
値の張るズボンは全くの無傷。後始末について考えた上での行動のように思える。
何より、亀井が暴れたことで元からあった教室の惨状はうやむやになった。犯人の罪を一人で被ったともとれる突飛な行動が、忍には不可解でならない。
「……犯人を庇ったってことなのか?」
忍の呟きを、上半身裸の宇佐美は笑い飛ばした。
「ナイナイ。亀井は単に目立ちたがり屋なだけ」
「おまえが言うか」
「言うともさ」
ツッコむ猿渡に、宇佐美は堂々と嘯く。
「亀井は面白いことが大好きで、面白くないことが大嫌いなんだ。だから体を張ってふざけるわけ。誰の呪いだとか犯人は誰だとかキモイ流れを作ろうとしてる陰キャどもに場を仕切られるのは、兎角つまらねえと思うわけですよ!」
そう言って、濡れたシャツを絞らないまま乱暴に振り下ろした。水飛沫を浴びせられた犀一が悲鳴を上げて顔を覆う。
鳳は苦笑いした。
「なに、宇佐美。キレてんの?」
「別にキレてねーわ。おまえはオレがキレた所を見たことあるのか? アア?」
「い、今かも……」
げしげしとローキックを食らわされ、背の高い鳳は「やめてやめて」と笑う。
「でも、やっぱり小鹿先生には言ったほうが良かったんじゃないかなあ」門馬は心苦しそうに言った。「大柴さんも言ってたけど、盗難目的だったら大変だよ」
「いや……それはないと思う。俺が盗られてなかった」
そう答えたのは辰雄だ。ああ、と忍は納得した。
文化祭実行委員の彼は会計係も務めている。諸々の準備にかかるまとまった金額を机の中に置いていることはクラス中が知っていた。
「おまえが怖くて盗れなかったんじゃないの」
「なんでだよ。俺を怖がるようなヤツが教室をあんなにしないだろ」
「ちなみに予算っていくら?」
「……十万円ちょっと」
予想外の額の大きさに、男子は全員騒然とした。
「辰雄おじちゃん! お小遣いくれーっ!」「バニガメ!バニガメ!」「その制服ぼくがクリーニングに出してくるよ!」「ガチャ回させて!」「焼肉奢ってくれや!」「新しい靴買って~」「ど、動物園の年パス……」「俺達親友だよな! な!」
「やめろ!寄ってたかって来るな!」
一気に金を見る目になったクラスメイトを、辰雄は両腕をブンブン振って追い払う。金欠が続いている猿渡は怒って言い返した。
「やかましい! そんな大金を教室にほっぽらかすなや!」
「
「いや、良くはないでしょ……」正気に戻った門馬が首を振る。「文化祭のクラス予算ってそんなに多いんだっけ」
「一人頭三千円ちょっとで、うちのクラスは男女十五人ずつの三十人。こんなもんだ。むしろ他のクラスは色々と申請出して、もっともらってる」
「ず、ずるい!」
「そう思うなら、もっと積極的にいいアイディアを出してくれよ……」
「バニガメは!?」
「問題外だっ」
ひとしきり騒ぐと、辰雄は「はぁ」と疲れ切ったようなため息をついた。
「盗難についてはクラス全員に確認をとったわけじゃないから、確かなことは言えん。だが俺は正直、素直に伝えたところで小鹿先生は怒る以外に何もしてくれないと思うんだ。変なイタズラは無視して、文化祭の準備を進めたほうがまだ建設的なんじゃないか」
「ふむふむ」
「その心は?」
「もうこれ以上の騒ぎは御免だッ! 内申ひいては来年の受験に差し障るッ」
「……だよなあ」
血を吐くように本音を吐露する辰雄に、その場にいる全員が同調した。
汚された教室は掃除すればいいし、装飾は作り直せばいい。
制服を汚したのは亀井だ。
これに関してはおそらく本人か親が責任を取らされることになるのだろう。
だとすると、犯人探しなどしてクラスの雰囲気を悪くするより、波風を立てずに平穏な高校生活を送ったほうがいいに決まっている。
「……ん? あれ、亀井んちの車じゃね」
「えっ」
高校の裏門に入ってきた車を見つけて、猿渡が声を上げる。業務用の貨物自動車で、白いボディに『弁当のカメイ』と印字されていた。
「え、あいつんちって、弁当屋なの?」
「ああ。サッカー部で試合ある時とか、あいつんちの親が弁当届けてくれる」
「まじか。オーガが親を召喚したってこと?」
「オーガに召喚される親。強そ~」
「賭けてもいい。亀井は絶対ふざけるね」
「ハハハ、停学になったりして」
停学。何気なく呟かれた一言に、場の空気は急に重くなった。
門馬は慌てたように大声を出した。
「や、やっぱり今からでも教室を荒らされてた話をしたほうがいいよ!」
「んなこと言ったって、なんて説明するんだよ!」
「教室が黒魔術状態で錯乱した亀井がペンキをかぶってカバディを……」
「むりむりむり。笑うから」
「だって、亀井くんが全部の責任を取るようなことじゃないでしょ!」
声を大にして意見する門馬に、半笑いだった他の男子たちも顔を見合わせる。
「言わなくていい」
そう断言したのは宇佐美だった。あまりにもドスの利いた声で、そばでテントを設営していた一年生の何人かが振り向いた。
「亀井は自分が楽しくてバカやってんだ。巻き込まれて制服をダメにされたオレらが妙な同情する必要ない」
「そりゃ、そうかもしれないけど……」
「忍きゅんも頼むぜぇ」
宇佐美は濡れた手で、忍の肩をドンと突き飛ばした。身長は大して変わらないのに、わざと猫背になって、忍の顔を下から睨み上げるようにする。
「カラオケでおしゃべりした感じ、おたくのカズヒちゃんは、余計なことに首突っ込むのが趣味みたいだからな。下手な犯人捜しなんてすんなよ。楽しかったカバディが台無しになっちゃうだろ?」
「…………」
「それとも、カズヒママのお尻に敷かれてる忍きゅんには無理な相談かに?」
「み、三輪くん、相手にしちゃだめだよ」
門馬に言われなくてもわかっている。安い挑発だ。
忍は蛇の目を細めながら、宇佐美から視線を逸らさなかった。
緊張した空気の中で、猿渡も「おい、やめろよ」と声を荒げる。
忍はウサギに尋ねた。
「おまえは、それでいいのか?」
「うん?」
ひくひく動く低い鼻と、やや突きだした前歯。下膨れ気味の顔。宇佐美はたしかに、ウサギに似ている。
今までさんざん絡まれ、騒ぎに巻き込まれ、宇佐美の性格はわかっているつもりだ。空気を読んで勝手に犠牲になった亀井と、何よりもそんな状況を作り出した犯人に対して、誰よりぶちぎれているのは宇佐美だ。
忍はウサギとカメという昔話じみたコンビになんだか同情してしまっていた。
「……たしかに和寿妃は、犯人を捜すと思う。あいつはそういうやつだから……でも、このままでいいとはとても思えない」
「だから? どうしろってんだよ」
「話を収めるだけなら、方法は他にもある」
忍は言葉に詰まりながら、宇佐美に話をした。
周りで聞いていた男子たちも、たまに口を挟んだりしていたが、忍が話し終わる頃には、みんな静まり返っていた。
忍は深くため息をついて、うつむく。クラスの男子たちの前でこんなに長々と意見を言うなんて、どう考えても自分向きではない。
モゴモゴ喋ると同時に耳に入ってくる自分の声が気持ち悪くて仕方がないのだ。
「おまえ、犯人を責めようって気が全然ないんだな」
宇佐美がぽつりと呟いたので、忍は思わず「なんで?」と聞き返してしまった。
「……こんな風になるってわかってて、教室をあんなにするなんて、よっぽどの事情がなきゃできないだろ。おれみたいなのが、良いとか悪いとか裁けるわけない」
「ハァ。忍きゅんは、お優しいことで」
顎を撫でさすった宇佐美は、二度、三度首を振った。
ぽきぽきと関節が鳴る音がして、その場の男子はなんだか落ち着かない気分になる。最初に口を開いたのは意外なことに、鳳だった。
「俺は、三輪くんが言ったのでいいと思うよ」
「…………」
「やるなら急いだほうがいい。蝶子に連絡とろうか」
そう言ってスマホを取り出した鳳を、忍は複雑な気分で見た。
掴みどころのない男だ。宇佐美がしきりに『スカしている』と評するように、日和見主義の茶髪ロン毛野郎のくせに、急にこうやって忍の味方についてみたりする。
だが、普段から目の敵にしている鳳がそう言ったことで、宇佐美は答えざるを得なくなった。
「……ああ、もう、クソッ。亀井のバカを停学にするいいチャンスだったのによ!」
忍の顔面を行儀悪く指さして「うまくいかなかったら、おまえ、大柴ともども一日バニガメてもらうからな!」と言う。
「宇佐美ィッ!」
「だから相手にするなと言ったのに」
和寿妃の名前を出されて怒り狂う猿渡と、嘆くように顔を覆う門馬を、宇佐美はハエにするように手で払った。
「うるせえな! 鳳、おまえスカしてないで早く蝶子に連絡とれ。辰雄は公星ちゃんにラインするチャンスじゃねえのか。門馬はいい子ちゃんなんだから、生徒指導室の様子くらい見に行けるだろ! 残りのボンクラ野郎どもは教室行って女子を説得してこい! おまえらオレがいないと自分が何をすればいいのかもわからないのか!?」
イライラとその場の全員に指示を出した宇佐美は、犀一から「あれっ、宇佐美は教室行かないの?」と聞かれ、とうとう火を吹いた。
「バカが! 女子全員から嫌われてるオレ様が行ったら逆効果なんだよ!」
自覚があるのか、と忍は驚く。
そのタイミングで、スマホに耳を当てていた鳳が「宇佐美、宇佐美!」と声を上げた。
「んっだよ、ピヨピヨうるさい」
「やばい、大柴さんもう推理ショーだか学級会だかやる気満々だって」
「——……ッ、忍!」
和寿妃のやるだろうことは、もはやわかりきっている。校舎に向かって走り出していた忍の名前を初めてまともに呼び捨てて、宇佐美は人差し指を一本立てた。
「バニガメ!!」
失敗したら、一日バニガメろ。
その執念の物凄さに、忍は思わず吹き出してしまった。
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